萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

インドを走る!第12話「国境の町」

2007年06月13日 | 自転車の旅「インドを走る!」

<木に登っているのがM君。下は私。>

※「インドを走る!」について

  故郷を離れてはるばる千里
 なんで想いがとどこうぞ
  遠きあの空つくづく眺め
 男泣きする宵もある

 ご存知!?東海林太郎の歌っていた「国境の町」の二番の歌詞である。望郷の想いをいかんともし難い旅人が、故郷の方角の空を眺め、ついには男泣きをしてしまう感傷的な詩である。旅というのは確かに感傷的になり易い精神状態にあると思う。旅の孤独と言うものが、仕事や人付き合いやその他諸々の世俗により閉ざされていた“感受性”を引き出し、その土地の風に当ててくれる。そして、旅人はその風にまったく従順になる。

 我々もまた、一行の旅人として望郷の念止み難く、男泣きしたことは無いかも知れぬが、日本の常の生活より、感傷的に物事を見ていたことには変わりが無いのである。

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 E君の病気の為五日間程、ゴラクプールに足止めになっていたが、彼の病気も回復してきた。彼は翌日バスでネパール国境へ向かうことにして、私とM君の二人だけでネパールとの国境へ向けて車輪を進めることにした。

 この日の我々は、期待で胸をふくらませていた。この一ヶ月間、北インド地方に大きく横たわるヒンドスタン大平原という平地ばかり走り続け、山影ひとつ目にすることが出来なかった。ところが、デリーからこの平原を東進して来て、ここゴラクプールからははっきり北へと進路を取る。今日明日中には、世界の屋根、ヒマラヤの頂が見えるかも知れないのである。これが興奮せずにいられようか。

 胸をはずませながら走っていると、前面にいきなり象が現れる。象の背中には人間がヤリを持って乗っている。人食い人種かと思ったがそうではなく、そのヤリで象を操縦するのだそうだ。しかし、でかい。そして、不思議だ。ごく普通の田舎道に何気なく象が人を乗せて歩いているなどという光景は、日本では木戸銭を払っても見られやしない。

 私はこの時、小学生の頃から抱いていた推測に確信を持ったのである。つまり『印象』という漢字は、その昔印度に行った中国人が、印度の象を見てその大きさや鼻の長さに大いに驚き、中国に帰ってのち、そのような様を『印象』と書き表すに至ったのではないかという推測である。

 田舎道に集落があって、ここらで一息入れようかと思っていると、茶店のオヤジが飛び出して来て、ラッシー(犬の名ではない。ヨーグルトを水で薄め、さらに氷を入れたインドにしては上品で美味しい飲物)を飲んで行けと勧めるので、その店に入る。

 たちまち村人が集まる。店のオヤジを中心に好奇の眼で我々を見ながらヒンディ語で騒いでいる。店のオヤジは、陽気な人の多いインド人の中でもさらに、陽気な性格らしく、始終笑っている。そのうち「インディアンマジック」と叫んで立ち上がる。何事が始まるのかと思って見ていると、傍らにいた彼の5、6歳になる息子の顔をいきなり無造作に力強く鷲づかみにする。息子はあまりの痛さに、ギャッと叫んで大声で泣き始めた。これが“マジック”なのだそうだ。息子には悪いが、我々がその滑稽さに笑っていると、店のオヤジ、調子に乗ってその子に何度も同じ事をするので、その子はとうとう泣きながら逃げてしまった。
 
 お返しに私が「ジャパニーズマジック」と称して、例の百円ライターによる火吹きの芸をやったら、彼らは「おおっ」というどよめきとともに真顔になり、ヒンディ語でなにやら火を吹く原理について話し合っていたようだ。

 そこを出て北へ北へと向かっているとM君が叫んだ。

 「山だ!」
 「ナニ!?ワッ!ほんとだ。」

ついに山影が姿を現す。苦節一ヶ月。日本の美しい山々に別れを告げてからこの日まで山影すら見られなかった。来る日も来る日も平地を走り続け、ある時は腹をこわして力が入らず、また、ある時は熱を発して倒れながらも、ゴキブリのように復活してはペダルをこいできた。その苦労があの山影を見ることで報われた気がするのである。見れば、何の変哲もない山影である。白い頂が見えるわけでもない。川越辺りから見る秩父連峰と大差は無いのであるが、それでもやはり感慨無量なのである。


 地続きの国境と言うものを持たぬ国で生まれた身であるので「国境」という言葉に一種のロマンを感じる。映画・テレビや小説などから想像する「国境」とは、

(多数の兵士が肩からマシンガンを提げ、怪しき奴は一人も見逃さぬという眼であたりを警戒している。そして、検問所で身元を調べる兵士は、見回りの兵士よりも一層陰険で厳しい目つきをしており「疑わしきはこれを捕らえる」という信念で凝り固まっている。検問所付近には戦車の2~3台ぐらいは常に待機している。また、国境沿いにはずうっと高圧電流が流れている鉄線のバリケードが築かれており、触っただけでオダブツとなる。運良くそのバリケードを乗り越えたとしても、物見櫓で見張っている兵士にたちまち見つかり、けたたましくサイレンを鳴らされ、サーチライトを浴びる。「まぶしい!」と思った時にはマシンガンの餌食さ。)

 と、まぁ、かくの如き緊張感ではち切れんばかりの空気が漂っていると思っていたのであるが、インド・ネパールの国境は実にのんびりとしたものである。地元のインド人やネパール人は国境を顔パスで通れ、インド側のラッシーの方が美味いという事であれば、ネパール人は気軽にインド側の茶店に行ける。

 外国人旅行者の取り調べも簡単で、数枚の書類にサインをしてパスポートを見せるだけ。ネパール側の検問所長などは我々に「売るものを持っているなら私に売ってくれ。そのデジタル時計はいくらだ。」などと密輸の促進をする始末。

 厳重なチェックも無ければ、多数の兵士もいない。戦車だの高圧電流鉄線などは夢のまた夢である。いささか拍子抜けした次第であるが、インドもネパールも今は平和なのだな、と思うと安心した心持になった。

 この晩はネパール側の国境の町バイラワの最も国境に近いホテルに泊る。ついに、ネパールに来たという興奮の為か、なかなか寝つけない。故郷離れてはるばる千里、想う事はただただ、日本食を食いたい。これにつきる。

                            つづく
コメント
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