萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

インドを走る!第13話 「フンケーの友」

2007年06月20日 | 自転車の旅「インドを走る!」

<左がM君、右が小生>

※「インドを走る!」について

◆注意:以下の文書は「インドを走る!」を社内報に掲載していた1984年4月のものです。


 先日、「インドを走る!」に登場してくる「M君」と会って、今、社内報にインドを走った時の事を連載している。という話をしたら、彼曰く「一度チェックしないと心配だ。」というのでコピーして送ってやった。返事がきて、昔のことが非常に懐かしく思い出されたと書き連ねた後、「最後に一番大事なことを言っておくが、俺がデバカメやってインドで象になった話も良いが、もう少しカッコいい話も頼むよ。おまえだけカッコつけるのはきたねーぞ。俺にも書かせろ!」と結んであった。

 彼との付き合いはかれこれ7年になる。インドに行く以前からもよく二人で走ったものだ。こう書くと“無二の親友”“刎頚(ふんけい)の友”などと取られがちだが実は違う。インドに行く前は二人で走っても、ケンカばかりしており「二度とこんな奴と走るものか。」と一緒に走る度に意を固くしたものだ。しかし、クラブも同じで家も近くであったため、ヒマつぶしにどっか行ってみるか?と誘われるとつい「いいね」といって走り出してしまう。出れば出たで「なんだこのやろう」となる。このパターンで終始したのが彼との付き合いである。決して、一緒に頸(クビ)を刎ねられても後悔しないなどという仲ではなく、むしろ、隙あらば相手の寝首を掻いてやろうといった仲である。

 インドに行く時も彼が秩父にでも行くかのように、

 「Eとインドに行こうと思っているのだが、おまえも行かんか。」

と言うので、

 「いいね。」

の二つ返事で行くことになったのである。当初の計画では、「三人とも走りも違うし性格も違うのだから、向こうへ行って準備期間は一緒に行動しても、その後は別行動をとろう」ということになっていた。

 しかしながら、実際に着いてからは異国の圧力から、三人の仲間意識が密着し、さらに下痢だ、熱だ、インド人だ等の経験を積み重ね益々連帯感が濃厚となっていき、結果的にカトマンズまでの一ヶ月半余り、行動を共にすることになってしまったのである。そしてカトマンズからは、E君は日本へ帰国。M君は自転車を降りヒマラヤトレッキング、私は再び自転車でインドへ、とようやく別れ別れになったのである。

 なにはともあれ異国での一ヶ月半を伴にした我々三人の間には我々しか判らない親しみと懐かしさがあり、今も会うたび、酒の肴にはインドを選ぶ。私とM君の間も「寝首をかいてやろう」と言う仲から、揚げ足を取り合う仲程度に歩み寄りを見せてきた。

 だからといって油断はならぬ。彼が「インドを走る!」のデバカメをやって象になった話を読んでジダンダ踏んで悔しがり「俺にも書かせろ!」と喚いたってゾウはいかない。うかつに書かせればある事無い事書き連ね、残り少ない私の社内での信用を根こそぎ持っていってしまうに違いない。未だに彼と私の間柄は「フン」といえば「ケッ」の仲、つまり「フンケーの友」なのである。

 M君、今は千葉に住んでいる。

                             つづく

コメント
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