<大きな木の下で休憩>
※「インドを走る!」について
三月二十二日。日本を出てから丁度一ヶ月。我々一行はまさに、ようやくといった感じで北インドのゴラクプールに辿り着いた。ゴラクプールからネパール国境までは自転車でも一日で行ける距離である。食中毒を起こした日から数えてこの日は五日目にあたる。ラクノーからは約三百キロメートル離れた地点である。宿泊はたまには良い所に泊まろうということで二ツ星のちょっとしたホテルに泊る。レストランにはインド料理をはじめ西洋、中華と多彩なメニューがあり、しかもどれをとってもうまい。宿泊料は素泊まりで一泊三人で五十五ルピー。約千五百円である。
翌日は休息日。皆んな疲れが出たのか外に出る気力なし。庭に出て自転車を見ると、前輪のスポークが一本折れている。いやいや修理していると、タクシーが二台乗りつけて来て、中から日本人が降りてくる。中年の夫婦に若い娘二人。ここ一ヶ月、色黒の彫りの深いインドの女性しか見ていなかったので、色白のあっさりした顔立ちの我が国の大和撫子はなんとも新鮮に見える。彼女たち近づいて来て曰く、
「世界一周ですか?」
「い、いや、インドとネパールだけだよ。」
「へぇー。すばらしいわね。」
「いやなに・・・。」
「股裂けない?」
「・・・・・・。」
馬鹿を言っては困る。日本女性と見て大和撫子を想像していた私に『股裂けない?』は無いヨ。はしたなき日本女性なり。
ナデシコ達、我々の隣の部屋に泊る。シャワー室が隣り合わせで上から覗こうと思えば覗ける窓があって、これを発見したのは私だがM君に言うと、M君疲れている筈の身体にムチ打ってさっそくシャワー室を占有する。あいにくナデシコ達はシャワーを浴びた後とみえて、彼の数度にわたる試みも失敗に終る。
日本にてはこれを「デバカメ」というがインドにも面白い神話がある。ヒンドゥー教の人気者の神であるシバの息子ガネーシュは、女人の風呂を覗き、シバの怒りに触れ首を刎ねられてしまう。それではあんまりだというので、たまたま通りかかったゾウの首を切り、ガネーシュの胴体に着けたという。だからガネーシュ神の頭はゾウなのだそうだ。
<ガネーシュ神>
翌日起きるとE君調子悪し。出発を一日延期する。暇が出来たので日本の友人たちへの手紙やみやげを郵便局まで行って送る。帰ってくると、EM両君ベッドで惰眠を貪っている。私も軽く昼食をとってから寝る。気持ちよし。夕方起きて、レストランで旅行記などを書いていると、M君が息を弾ませてやってきて語るには、今しがたナデシコ達が帰ってきてシャワーを浴びたという。彼、ついにインドに来てゾウになりし。
「おまえもみればよかったのに。」
と言うが終ってから来てそれは無いヨ。
夜、ベッドに転がって考える事も無くうつらうつらしていると、ブザーが鳴る。EM両君寝ているので私が出るとナデシコ達である。インスタント味噌汁と「小梅ちゃん」のアメを一袋ずつくれる。親切な日本女性なり。トランプか花札を持っているかと聞かれ、無いと答える。
(チキショー。持っていれば一緒に遊べたかもしれない。)
『作るか!?』と半ば本気で考えた時、自分で自分が可笑しくなった。E君が風邪で今日は発てなかったと言うと心配してくれる。M君、話し声に起き出したのか、ベッドからしきりに「ありがとうございます」を連発している。数分前の味噌汁と小梅ちゃんに対する礼か、はたまた数時間前の裸身に対する礼かは定かでない。
夜中E君、ゲーッ、ゲーッしながら起き出す。明日もまた発てまい。E君の風邪は私やM君のそれとは違い、治るのに時間がかかりそうだ。私やM君の場合は突然高熱を発しはしたが、次の日には熱も引いて回復するという山の天気のようなものだったが、E君のは今まで耐えに耐えていたものがここへ来て一挙に崩れたという感じがして、なにか痛々しいのである。
インドという異国の圧力が我々自身が感じている以上に強力にのし掛かっている。ゆっくりと休んでいるようで、結構精神的に騒いでいるとでもいうのか、何かそんな感じがあって、この一ヶ月かなりの疲れが溜まったようだ。
E君の場合、その疲労の蓄積がここに来てついに出たという感じなのである。彼自身も、もうこれだけ走れれば十分でやれるだけやったような気がするなどと弱気なことを言う。病身にては何かと弱気になるものだが、E君もその例であってほしい。
夜半、雷と雨少々。インドに夏来たる。
つづく