萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

列島攻略!第1回 『東北』 その1~特徴と“轍・靴跡”~

2009年05月26日 | 列島攻略!


「日本列島轍靴ノ図」の東北地方部分>


【特徴】

東北地方は関東以北に長々と伸び、その面積はざっとみて本州島の三分の一は占めている。しかしながら、江戸時代まではその広大な地域を、たったの二ヶ国でしか呼んでいなかった。すなわち、奥羽山脈を境に左半分が「出羽」(現、秋田、山形県)右半分が「陸奥」(青森、岩手、宮城、福島県)である。当時日本には蝦夷地と琉球を除いて六十八ヶ国あり、本州島に限ってみても五十一ヶ国もあったのにだ。

これだけ広大な地域に二国名しか割り当てなかったことで、時の中央政府の“東北”に対する関心の薄さが推し量れる。だがしかし、江戸人の“大雑把”さを我々は笑えるだろうか。今でも、関西以西に住む人たち、いや首都圏に住む人たちでさえも、親戚でもいない限り、“東北”という地に対する認識は希薄なのではないか。

かく言う小生も仙台に住むまでは、これほど豊かな国で、しかも、六県ともどもに特徴があり、それぞれに文化も、祭りも、方言も、気質も違っていようとは思ってもいなかった。“東北”ということでひとくくりにしていた感はいなめない。江戸人を笑うどころではない。彼等は、まだしも、二カ国で呼んでいたのだから。


【轍】

東北地方に親戚や友人、知人はいなかったが、過去に馴染みがないわけではなかった。大学1年の夏に初めて自転車でロングランを経験したコースは“東北”であった。小生の“自転車の旅”の原点とも言える土地だったのだ。

まずは、先輩に連れられてクラブの合宿の集合地青森まで走った。東京~仙台までは野宿をしながらのランである。仙台から秋田までは輪行して、秋田~青森間を無人駅などに泊まりながら走った。

青森からはクラブ合宿で、皆で手分けして鍋やテントをキャリアにくくりつけて走り、泊まりはキャンプ場である。青森からは八甲田山中腹の発荷峠を越え、十和田湖経由で八戸へ行く。八戸からは三陸海岸を南下し気仙沼へ。アップダウンの繰り返しがきつかった。内陸に戻って平泉見学をした後、一関から奥羽山脈の峠を越え山形に行き、また、登り返して仙台まで来て解散した。これが1977年夏の20日間ほどのロングランのコースである。(赤いライン)

この20日間の経験がその後の小生の「自転車乗り」としての運命を決定付けた。「自転車は長く走るに限る」と思ったのだった。


社会人になってからは男鹿半島を御免丸で走ったぐらいが“轍”であった(紫のライン)。昨年7月、仙台に“止り木”を持つようになってからは「津軽」「最上川」「白河~仙台」「貞山掘」「北上川」と走りまわっている。(緑のライン)

【靴跡】

山スキーに初めて連れて行ってもらったのは1997の5月連休の鳥海山だった。師匠はドラゴン氏。スキーの裏にシールを張って雪の斜面を登っていく感動。登り終えて、ゲレンデとは全然違う自然の雪の上を滑る難しさと楽しさ。子供の頃の“雪遊び”の興奮が四十男にまざまざと蘇ったのを思い出す。

登頂済み百名山は北から言うと、岩木山、八甲田山、八幡平、早池峰山、鳥海山、朝日岳、蔵王山、吾妻山。東北エリアの登頂率はかなり高い。


◆総じて、自転車にしても山にしても、そして、仕事にしても、“東北”は小生にとって縁が深いエリアである。もちろん、住み心地もいい。だから、「列島攻略シリーズ」の第一回は“東北”から始めねばならないと思ったのである。
コメント (2)
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