公民館で定例の気功同好会では、先生の指導で「気を練る」ことがある。下丹田(臍の少し下)の前で両手を近付けたり離したりすると、両手の間の空気圧が増すような感じがしてくる。次に、水飴を大きく練るように両手を回すと、空気に粘りが出てくるように感じる。
気を練っていると、掌がだんだん腫れてきたような温かくなってきたような感じになる。左掌に対して、右手人差指をピストルのように向けると、向けられた左掌の部分が騒ぐような感じがする。右手人差し指を左掌に対してゆっくり廻すと、左掌の騒ぐような感じがする部分もゆっくりと動いてゆくようだ。
こんな感じがするという話は、気功に親しむ以前の私だったら笑い飛ばしていただろう。そんな非科学的なことはあり得ない、それこそ「気」のせいだろう、と。
気功の「気」の正体は、ある程度科学的に証明されてきてはいるものの、完全には解明されていない、と聞く。科学は万能ではないこと、功罪があること、場合によっては本当に罪深いものであることは、今回の原発事故で悲劇的に暴かれたのだ。
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