みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

差異の中で

2015-09-29 11:36:09 | 
柄谷行人が「実験の史学」と題して、岩波の「図書」10月号に短文を寄せている。言語の差異についての柳田国男の考察は、デカルトの思想に類似している、という。

(国家・文明の中心では、古い言葉が)消滅しても、周辺に話し言葉(方言)として残る。その場合、南北で一致するものがあれば、それがかって中心であったこと、すなわち古層であるということが証される。それが 方言周圏説 である。

方言周圏説は、空間的な調査を通して、時間的な順序を推定することを可能にする。彼(柳田国男)はそのような歴史学を「実験の史学」と呼んだ。

柳田は一般に民俗学者とみられているが、実際は、民俗学的方法を用いた歴史家である。

柳田国男のことを私はほとんど知らない。信奉者が多い学者で、緻密な民俗学の研究で膨大な業績を残した人らしい・・ぐらいのイメージだった。今回のこの柄谷の文章で、とてつもなくスケールの大きな思想と、人々の営みへの深々とした視線を有する人物らしいことを感ずることが出来た。

デカルトの「方法序説」はフランス語(当時のヨーロッパの、いわば方言)で書かれているそうだ。有名な Cogito ergo snm (われ思う、ゆえにわれあり)は、「方法序説」の最後にラテン語(=当時のヨーロッパの共通語)で書かれていて、デカルトの思想に対する誤解が生じることになった、と柄谷は言う。

デカルトのコギトは、近代的主観或いは思考主体のようなものではありえない。むしろ、(そうしたものを)「疑う」ことがデカルト的なのである。

「われ疑う」は「われ思う」とは異なる。「われ疑う」は、異なる言語や文化の体系の間にあるときにのみ可能である。「われあり」とは、「疑いつつわれあり」ということだ。

柳田もまた、異なるものの間にあって「疑う」人であった。

疑う我は差異の中の我であり、関係性の中の存在だ。既成の独立したものとして前提されがちな近代的自我とは、確かに異なるようですね。