どれぐらいの時を

2007-10-17 10:24:24 | Weblog

考えてみたら俺達は一体、

どれぐらいの時を一緒に過ごしたのだろう?


何千時間?・・いや、何万時間?

それとも、たかだか何百時間なのかな。


俺にはわからない・・・・って言うか

わからないことが多すぎる。


ほとんど、いや全ての生物は

世界を理解しないまま消えて行くのだろうし、

きっとそれはそれでいいのだ。

たかだか一個体にすぎない俺が、世界を理解しようだなんて

まぁ無理な相談なのかも知れない。

でもね・・・・・。


まぁいいや、何の話だっけ?


そう、時間だ。

でも問題はどれぐらい長く一緒にいたか、ではなく

どれぐらい深くわかりあえたか、というところにあると思わないか?


だとしたら


無意味なことなんてありはしないし、そうすると

無意味な時間っていうのも無いんだ。


俺達は膨大な時間を共に過ごして


ん・・・・、とても楽しかったよ。


それはそれでよかったんだ。

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どうもありがとう

2007-10-15 17:53:23 | Weblog
まず、お客さんとして来てくれた沢山の人たちにありがとう。

出てくれたバンドのみんなにありがとう。

ファンダンゴにありがとう。

BONちゃんありがとう。

ランブルフィッシュにありがとう。

佐治恭子殿ありがとう。


そして、

佐治朝吉に万感の思いを込めて・・・・・ありがとう。


身体はなくなっても、

今でも俺達を守ってくれてるのですね。

どこまで優しいんだ・・・・。






ワームスを観ながら、

「佐治に観せたかったなぁ・・・・・」

と思って、

「な?こいつらめっちゃええやろ?」

と話しかけている自分を想像したら突然、

くるっと振り返って親指を立ててニヤッと笑いながら

ウインクしてる佐治の映像が鮮明に浮かんで、

階段のところで一人で泣いてしまった。

・・・・気持ちは伝わったみたいやな。


1967も良かった。

1967がやってるとき、何か昔に戻ったみたいな気持ちがして、

何か不思議だった。

1967の出演は、佐治ご指名やからね。


サンボケますたぁもな、楽しくやってくれてよかった。

「サンボ」も「ボケロウ」も命名者は佐治やからな。


俺は、観ててわかったやろうけど、

佐治がステージにいると思ってやってたんだよ。


だから、楽しかったな。


これからどうなっていくのかわからないけど、

まぁ少なくとも、寂しくはないよな。


たくさんのひとたちの(佐治への)愛情と、

優しさに感謝します。






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スゥィート・ソウルの日々

2007-10-12 03:12:33 | Weblog


君のソウルに火がついて、

始まりはいつも夜だった。



神聖なる真夜中、

確かなことなど何もない世界で、

単純に僕は好きだったんだ、


確固たる


君が。




僕にとっての音楽は、

「楽しむ」ものというよりは

「しがみつくもの」だった。


君がどう思っていたのかはわからない。



それでもいつしか僕達は、

風に運ばれて知らない浜に打ち上げられた。




まるで白骨のような月


まるで葬送のような沈黙


まるで年月のような空白




僕はまだここにいて、

追憶の中で生きている。



「若さ」という無意味な刃も

とうの昔に失くしてしまった。



でも運命というレコード盤はまだ廻り続けている。



そいつがかつて奏でたものは


・・・・・ソウル、


君の


スゥィート・ソウルだったんだ。






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「アサヤケ」

2007-10-10 12:32:27 | Weblog
 
佐治朝吉作詞作曲

前回のライヴで初披露した、

{ランブルフィッシュ16年ぶりの新曲}の歌詞なのだが、

(佐治朝吉5月の日記から引用)


 「アサヤケ」

  嗅いだことのない

  太陽が出たぜ

  生まれ変わる

  瞬間が来たぜ

  つつんでくれた

  夜のために

  心の底から

  乾杯しょうぜ


  2007・1・11 





ちょっとびっくりするよな。

・・・・「生まれ変わる瞬間が来たぜ」

なんて言ってる。


去る2007年6月3日のライヴでは

MCで

「俺ら、最後やねんけど 楽しんで帰ってな」

とも言っている。

いや、これは「出番が」最後、という意味で言ってるんやろうけど、

それにしても。





佐治の遺言となってしまった、ある「指令」に応えるために

14日のライヴでは

俺がこの、「アサヤケ」を歌います。



心して臨むので。

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魂のギター

2007-10-08 22:57:15 | Weblog

佐治には何人かの兄弟がいて、

みんな素晴らしいアーティストなのだが、

佐治朝吉に最大の影響を与えたのはその中でも

「m.saji」氏である。

ファンダンゴから出たランブルのライヴCDのジャケットの油絵を

描いたひとだ。


何年前かのある時、「M.saji」氏は思いついてギターを自作した。

ペグとピックアップとテールピース以外は完全に手作りだ。


それを佐治朝吉にプレゼントしようとしたそうなのだが

そのとき朝吉は、「ミチにやってくれ」と言った、という。


仮通夜の席で「M.saji」氏は突然そのことを思い出して・・・・。

結果、恐れ多いのだが俺はそのギターを頂いた。

それは・・そのことは、

いろんな思い、みたいなものを引き受けることでもある。


「M.saji」氏の製作したギターは今のところ、これ一本である。

世界中探しても他にはないし、お金で買えるものではない。


ゴツゴツとした感触で非常に緻密、

それでいて素朴な味わいのある、素晴らしいギター。


昨日初めて家に持って帰ったのだが

・・・・・・・・・佐治朝吉が家に来たみたいだったな。

ははは、これからはいっしょに暮らすのだ。


ランブルフィッシュも、10月14日のライヴに向けて動き出した。

ランブルの曲をやっているのに佐治がいない、というのは

奇妙極まる・・・・・のだが。


佐治が残していったランブルの新曲、

前回もやった「アサヤケ」で俺はこの、魂のギターを弾くよ。


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散文

2007-10-07 15:42:00 | Weblog

そんなのただの言葉でしかないから

どうってことない

どうってことない



夜の幻が実体を持って

君に話を持ちかけたとしても

返事をしてはいけない



帰り道に

真っ暗なラーメン屋台で

玉葱の塊を噛み砕きながら俺は、

「こうするしかなかったんだ」と思う。

だって実際そうだったから。

3時間が永遠のように思えた夕方と夜だった。



ろくでもないドジを踏んでも

気にしなければ関係ない。


気がつくといろんなことが同時進行している。

本当はいつでもそうだったし

そんなの普通のことだ、

だけど今は・・・

ひりひりする位に一秒が長いよ。

まるで時間なんかそもそもの始めから

存在してなかったみたいだ。


それでこうしてこんな風に

言葉を書き連ねて

まるで奇妙な現実の「写し」を

現出させたような気になっても


それも実はただの言葉でしかないのだ。




                  2007・9/20

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どれぐらい遠くへ

2007-10-06 09:50:51 | Weblog

昨日の夜は眠れなくて、

また例によって考え事の堂々めぐりだった。


思うんだけど

眠るのって、飛ぶのと似ている。


おちついて、滑らかに滑走して、

ここぞ!というポイントで集中すると・・・


意識は地上を離れて

空に上がる。


そのポイントをはずすと、

いつまでも地上のまま。


現実的な重力の中で暮らすしかない。


鳥とかはきっと、

そのポイントのとらえかたが上手いんだ。


きっとそうなんだぜ。



・・・・うまく飛べたのかな、佐治も。



そして今頃、どの辺りまで行ったかな。


アラスカはもう越えた?






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回想

2007-10-04 11:55:19 | Weblog
昨日のロックライダー、来てくれた人どうもありがとう。

こんなときだからこそ、という感じやったよね。


木曜日だから、今日でちょうど一週間。

早いなあ。

少しずつ、佐治とのいろんなことを思い出している。


ヒマな方はお付き合いください。



初めて出会ったころの佐治は、

リーゼントに長ラン。古典的なタイプの不良スタイルだった。


佐治17歳の誕生日を覚えている。


高校卒業の時にはどうしても数学の単位がとれなくて

追試、追試、追試、で三回目のテストでは

問題がついに算数になった(笑)。

その三回目まで受けなければいけなかったのは

全校で4人くらい。その4人の中に佐治と俺がいた。


19歳の時二人で合宿免許で長野の山奥、清里に行った。

実際それはそれだけでたいした経験だったのだけれど(面白すぎで。)

重要なのはバンドに人生をかけよう、と決心したのは

このときだった、ということだ。

真っ暗な草原が目に浮かぶよ、覚えてる?


その後戻ってから大阪で一人暮らしを始めた。

佐治も同時期に大阪に出てきて、

偶然か必然か、俺達がそれぞれ借りた部屋は、

歩いて15分しか離れていない場所だった。

お互いまだ大阪には他に友達もいなかったから

しょっちゅう行き来していた。

あの時期が懐かしいなー、

何てことなかったけど、ヒマで、平和で、すべてが新鮮で。



でも訪れてしまう、

岩佐の突然の死。


岩佐の家に佐治と一緒に行ったのを覚えている。

クルマでは伸びきったヘロヘロの、クラッシュのテープを

大音量で流していた。

それはどうしようもなく残酷な現実そのものだった。

全てが恐ろしく歪んでいた。



本当にひどい精神状態だったけどその頃に

ファンダンゴと出会ったんだよな。


それは今から考えてもやっぱり

ひとつの「救い」だったと思う。

そのことで、驚くほどたくさんの愛に触れることになったんだから。



書いてたらきりがなくなってしまうけど、

ほんっーーーーーーーとうに!


いろいろあったよな。


何かやっぱり実感湧かんわ。

「おお、実はな・・・全部嘘やってん」っていう電話くれ。



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慢心と、決心と。

2007-10-03 10:48:11 | Weblog

日常には戻れないし、

ひどく慢心している自分に気付く。


自分で自分の感情を制御できない。

いつもなら出来るのに。


それで

どうしようかと

化粧をしながら考えた。

どうすればいいのかと。


そうだ、

ランブルフィッシュの片山道郎に戻ればいいんだ。



って言うか

それでいいんじゃないかな。
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ありがとう

2007-10-02 10:18:49 | Weblog

いろんなひとからいろんな形で

メッセージをもらった。

沁みるものばかりで、心がヒリヒリするよー。

本当にありがとう。



俺は、悲しいけど虚しくはないよ。

心の中には

佐治の残してくれた愛と光があって、

闇と怒りはないんだ。

だから大丈夫。



10月14日のファンダンゴはちゃんとやるぜ。

佐治からの「指令」が俺のケータイに残ってるんだ。


でもその前に明日10月3日、難波ロックライダーに

片山道郎スラップスティック・アローンとして出演するよ。

佐治が評すところの「感傷的な」(笑)世界観。

そーゆーのを、アコギで引き語りスタイルでやるんだ。


無理して来てくれなくってもいいけど・・・・・・・・

いや、やっぱり来てくれ。

こんなときだからこそ。


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