夢に関しての考察。

2020-05-05 16:08:00 | Weblog

この何日か、実によく眠った。

知ってるかもしれないけれど僕は眠るのが何より好きで、

何日かでもいいから好きなだけ眠りたい、というのがここ最近の願望であったので、

たっぷり眠れて、とてもとても幸せである。

何しろ平日は・・・・・・・・・・朝早くて夜遅い、寝足りない日々だった。

カフェインの錠剤を齧りながら生きてるのだ。

それはともかく。

 

眠りの中で

昨日の朝は、今はもうこの世にいない友達と会った。・・・・・岩佐だ。

ちょっと不思議な感じだった。

大体が、そんな風に「今はこの世にいない人と会う夢」は僕は、明け方に見る。

昨日も、明け方だった。深い眠りから浅い眠りへと移行して行く途中。

そして「夢」が薄れていく中で会う。僕は、そういう事が多い。

 

何だか、大勢の人の中で彼を見た。忙しい、騒がしい感じ。

別教室に移動中の学校の廊下みたいな。でも我々は学生ではない。

そして人波の中で、彼を追いかけた。でも彼はこちらに気付かないし、

なかなか追いつけない。やっと追いついて声をかけたら気付いてくれて、我々は座り込む。

その場所が、何故か今僕が住んでいるマンションの玄関で、自動ドアが二重になっている。

現実のマンションのドアは一重なのだが、夢の中でのそこは宇宙船のエアロックみたいに、

ライヴハウスの防音部屋みたいに、外と内の真ん中に部屋がある。

後から考えたら、それは象徴的だった。「あちら」と「こちら」の中間の部屋。

その真ん中のガラス張りの部屋で座り込んで、少しだけ話をした。

僕は「今はどこにおるん?」と聞く。夢の中の彼は、亡くなってない(生きている)、という設定のようだ。

彼は言う「沖縄とか、東京とかな・・・あ、大阪にもちょっとおったな」と。

沖縄?ちょっと驚く。

「家(奈良の実家、という意味だ)には帰られへんの?」と聞くと

「国の都合でな、いろいろあんねん」みたいなことを言う。・・・国????

このへんから急速に夢が醒めていく。

「俺、こないだ岩佐の家行ったよ。(岩佐の)お母さんとごはん食べてん」と僕が言う。

それに返して彼が何と言ったのかはもう、聞き取れなかった。

何か聞いた気もするけど、覚えていない。

不思議なのは、夢の中の自分が、「こないだ(彼の)家行った」ことは明確に覚えているのに、

「彼」が亡くなって、もう32年も経つのだ、ということを認識していないことだ。

すっごく、変。

夢の中の記憶ってその時々で違ってて、「彼」が亡くなっている、ということを認識しながら

会ったことも、何度もある。

夢の中で会って「あああ、生きてたんだ!」と思うこともある。

 

それは、岩佐だけでなく、今はこの世にいない人・・・・佐治に会ったときも、自分の父親に会ったときも、

様々な状況と、「夢の中での設定」がある。

 

すごくすごく不思議。

 

最近の定説では夢は、脳が記憶の整理をしている途中で発生する、「泡」みたいなもの・・・・

ということになっているように思う。

長期記憶と短期記憶をより分けているのだそうだ。

そして、不要な記憶は消去される。AIには絶対出来ない芸当、「忘れる」という奇蹟。

(でもまぁ、「忘れられないこと」も・・・ある。)

 

しかし、夢って、それだけのものではないような気が、僕はずっと、しているのだ。

 

その、記憶を整理している「隙間」に、電波みたいに「思念」が入り込んでくるのではないか??

それは「この世の出来事ではない」から、

記憶として頭の中に留めておくことが出来ない・・・・のではなかろうか。

(夢ってなかなか・・・覚えていられないよね。)

 

ちょっとスピリチュアル過ぎるかもしれないけど。

僕は自分では「唯物論者」的だ、と思っているのだけれど・・・・・・・・。

 

「夢」に関してだけは、そんな風に思う。

こういう、今は亡き友達と会った夢を、

僕の(無意識の)願望がもたらす「妄想」だとは思いたくないし、思えないのだ。

 

 

 

 

 

 

目覚めてから本を読んでいた。

全世界にばら撒かれた人工のウィルスによって50億人が死んだ、という世界の話、

「12モンキーズ」というテリー・ギリアム監督作品の映画の、ノヴェライズ(小説版)だ。

 

テリー・ギリアムは佐治が大好きな監督の一人だ。

「バンデッドQ」も、「バロン」も、「未来世紀ブラジル」も、佐治と二人で映画館に見に行った。

 

その「12モンキーズ」の中に出てくる心理学者のキャサリン・ライリーの台詞に、こんなのがあった。

「夢には、自分が生きていくのに必要なものが現れるのよ」。

 

そういう解釈も、あるのだろうか。

そうすると、僕が生きていくのに必要なものって・・・・・

 

一体、何なんだろう?

 

 

 

 

 

 

 

写真は、順調に育ちつつある、僕の ひまわり。

・・とか言ってるあいだに、この2020年の奇妙なゴールデンウィークも終わりだ。

飽きるほど寝れて、満足。

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