前回の日記でも言ったが
サッチモの「WHAT A WONDERFUL WORLD」の訳詞を自分なりに作ってみたら、
とても気に入ったモノが出来てしまったので嬉しくて、
今日は一日頭の中でそれを歌いながら仕事した。
ほとんど脳味噌お花畑状態である。
しかし、久々に英語の翻訳・・・・の(簡単な)真似事みたいなことをやってみて、
やっぱり一人称単数が難しいな・・・・・と思った。
翻訳の場合は、「Iをどう訳すか問題」である。
この問題は翻訳以外の場でも頻繁に出現する。
つまり、自分のこと言う時に、
「僕」じゃ弱すぎる(気が弱い感じ)し、
「俺」じゃあ強すぎて、傲慢な感じ・・・がしてしまうのだ。
「私」だと堅すぎる。「アタシ」だと(男の場合)、オカマ感が漂う。
それぞれの
「弱すぎる自己」
「傲慢な自己」
「堅過ぎる自己」
「オカマな自己」(←あるのか?)
を表現したい時はとても便利なのだが、
それの、どれでもない「素」の自分・・・・として発言したい時にふさわしい自分自身の呼称が、
ないのだ。日本語ってオモシロイ。
同じように
二人称単数も難しい。
「オマエ」だと、親密な感じもするのだが、「上から」感が拭えない。
「アナタ」だと、少しよそよそしい。
「君」 っていう言い方、僕(片山道子)も・・・よく歌詞とかブログでは使うのだが、
現実に使うと、ちょっと気障・・・・・って言うか「架空」の感じが してしまう。
「物語的」・・・・と言うか。でも、だから良い、っていう側面もある。
「アンタ」ってのはちょっと、突き放した感じが し過ぎるし、
兎にも角にも、言葉っていつもいつも、もどかしい。
言葉がもどかしい、と言えば思い浮かぶのが、有名なRCサクセションの名曲
「君が僕を知ってる」(訂正、「たとえばこんなラブソング」だった!)の中に出てくる
「だけど 言葉で何が言える?」というフレーズだ。
中学生だった頃に初めて聴いて、この言葉(概念)に、ショーゲキを受けた。
「言葉」というものの 「もどかしさ」 を、あっさり、ストレートに看破してしまっている。
すごいなあ。
でも今では僕(片山道子)は逆に、
「言葉でしか言えないこと」も、この世界には、(随分多く)あるよな・・・・・・・と思っている。
言葉って複雑で、素敵で、奥深くて・・・・・面白過ぎる。
ワンダフル・ワールドの訳詞の「I」は、ランブルフィッシュの佐治を念頭に、
「俺」にしてみたのだ。
佐治には「俺」っていう一人称代名詞がよく似合っていた。
が、正解。
はじめて聴いたシングル「トランジスタ ラジオ」もよかったけど、随分後で出したライヴ盤のバラードバージョンが、これまた良かったな。
ショーゲキ受けた、とか言っててこれかよ(笑)。
・・・こんなこともあるわよ。
ご指摘、アリガット!