言葉はもどかしい。

2018-08-21 21:50:24 | Weblog


前回の日記でも言ったが

サッチモの「WHAT A WONDERFUL WORLD」の訳詞を自分なりに作ってみたら、

とても気に入ったモノが出来てしまったので嬉しくて、

今日は一日頭の中でそれを歌いながら仕事した。


ほとんど脳味噌お花畑状態である。


しかし、久々に英語の翻訳・・・・の(簡単な)真似事みたいなことをやってみて、

やっぱり一人称単数が難しいな・・・・・と思った。

翻訳の場合は、「Iをどう訳すか問題」である。


この問題は翻訳以外の場でも頻繁に出現する。


つまり、自分のこと言う時に、

「僕」じゃ弱すぎる(気が弱い感じ)し、

「俺」じゃあ強すぎて、傲慢な感じ・・・がしてしまうのだ。

「私」だと堅すぎる。「アタシ」だと(男の場合)、オカマ感が漂う。



それぞれの

「弱すぎる自己」


「傲慢な自己」


「堅過ぎる自己」


「オカマな自己」(←あるのか?)


を表現したい時はとても便利なのだが、


それの、どれでもない「素」の自分・・・・として発言したい時にふさわしい自分自身の呼称が、


ないのだ。日本語ってオモシロイ。




同じように


二人称単数も難しい。



「オマエ」だと、親密な感じもするのだが、「上から」感が拭えない。


「アナタ」だと、少しよそよそしい。


「君」  っていう言い方、僕(片山道子)も・・・よく歌詞とかブログでは使うのだが、


現実に使うと、ちょっと気障・・・・・って言うか「架空」の感じが してしまう。


「物語的」・・・・と言うか。でも、だから良い、っていう側面もある。



「アンタ」ってのはちょっと、突き放した感じが し過ぎるし、



兎にも角にも、言葉っていつもいつも、もどかしい。







言葉がもどかしい、と言えば思い浮かぶのが、有名なRCサクセションの名曲



「君が僕を知ってる」(訂正、「たとえばこんなラブソング」だった!)の中に出てくる



「だけど 言葉で何が言える?」というフレーズだ。



中学生だった頃に初めて聴いて、この言葉(概念)に、ショーゲキを受けた。



「言葉」というものの 「もどかしさ」 を、あっさり、ストレートに看破してしまっている。



すごいなあ。





でも今では僕(片山道子)は逆に、


「言葉でしか言えないこと」も、この世界には、(随分多く)あるよな・・・・・・・と思っている。



言葉って複雑で、素敵で、奥深くて・・・・・面白過ぎる。











ワンダフル・ワールドの訳詞の「I」は、ランブルフィッシュの佐治を念頭に、


「俺」にしてみたのだ。



佐治には「俺」っていう一人称代名詞がよく似合っていた。







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2 コメント

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♪たとえば… (どいけん)
2018-08-23 22:38:10
こんなラヴ ソング♪
が、正解。
はじめて聴いたシングル「トランジスタ ラジオ」もよかったけど、随分後で出したライヴ盤のバラードバージョンが、これまた良かったな。
あ! (片山道郎)
2018-08-24 22:12:26
タイトル間違えてたね~。ははは、

ショーゲキ受けた、とか言っててこれかよ(笑)。

・・・こんなこともあるわよ。

ご指摘、アリガット!

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