ほとんど、どーでもいいような話なんだけど、
生涯で何度も何度も引越し・・・・したなあ、俺。
って思ってさ。
新宿の、あの戸山ハイツはかなり古びたとはいえ、いまだ健在なのだ。
(何年か前に、某バンドのツアーの合間に、一人で訪れたから知っている。)
引越しなどせずに、一家であのまま、あそこに住み続けていたら・・・・・・・
僕は、そして、僕の家族は
どうなっていただろう?
と時々、考えてしまう。
それはさておき
引っ越した先の福山市の家は超ボロかったし、トイレは非・水洗(くみとり)で怖かったし隙間風吹きまくりだったが、
少しは庭などもあって、あの家はとても好きだった。
でも中学卒業後、そこから単身で、奈良の学校の寮に入る。荷物などは、ほぼ、なかった。
家から持って行ったのはラジカセと、ギターと、本数冊と、服をちょっとと、布団一式・・・くらいだった。
父親の運転する乗用車で引越しした気がする。何て簡単な引越しだ。
高校を出て、大阪の専門学校の寮に入った。
ここは天神橋筋6丁目の近くで、都会で猥雑でエネルギッシュで、もう何だか、すごいところだった。
僕が住んでたとき丁度、阪神が優勝したりした。もう、エライ騒ぎだった。
この寮から50CCのスクーターで西梅田の学校まで通ったりしたのだ。
まだ原付ならヘルメットなしでオッケイだった。ちょっと信じられないけど。
その寮にうんざりして、その当時のバイト先の奈良の法隆寺にある小さなスナック(笑)の二階に引っ越した。
(このときの引越しはランブルフィッシュの、もうひとりのギタリスト、ショーちゃんが一緒にやってくれた。)
スナックの、住み込みバーテンダーになったのだ。そこで3ヶ月くらいバイトしながら学校行って、
ワンルームマンション借りるための頭金を貯めた。
そして次の春、お金がたまったので、めでたく大阪市東住吉区北田辺のワンルームマンションを借りた。
昼間でもまったく日のあたらない部屋だったけど、最高に気分が良かった。電話すらなかったけど。
あそこで何年くらい暮らしたんだろう?5年位か?
隣の空き部屋に 若い、精神の壊れかけたヤンキーが入居してきて、大人数で毎晩シンナーパーティーをするようになったので、
その部屋からは逃げ出した。隣の部屋なのに、こっちの部屋までシンナー臭がするのだ。
冗談じゃないよな。
そして「避難」みたいに、南森町のビル街の中にある友達のワンルームマンションに半年くらい居候したあと
(そういえば、この頃がランブルフィッシュの最盛期だった)、
中央区、玉造のワンルームマンションを借りた。
(あとで気付いたのだがここは、あの中島らもの仕事場のマンションのすぐ近くだったはずだ。)
もう暗い部屋は嫌だったので、5階の、部屋の二面が大きな窓になっている温室のような部屋を借りた。
しかし日当たりが良すぎてクーラーは全然効かないし、数年後にはすべてのポスターが日焼けして色褪せてしまった。
ここでの暮らしは楽しかったが、
その頃の僕は馬鹿なことに、車庫を借りずにクルマ(軽自動車)を保有していたので・・・・・・
その関係でいろいろと困ったことが多発した。しまいには90日免停になった。
「バイク大事故」も、この頃のことだ。
でもそこで、5年くらい暮らしたのかな。
そしてそのあと「ばるぼら」を結成することになり、
メンバー皆で近くに住もう、ということになり、長居へ引っ越した。
古い、2DKのマンション。
ここの暮らしも、楽しかったことしか覚えていない。偶然、家から歩いて3分ほどのところに、
オルタナ・フォーク・シンガーソングライターの正垣祐樹が一人暮らししていたから、
しょうちゅう行っては、二人で飲んだのも懐かしい。
そこでまた6年くらい住んで・・・・・西暦2000年くらいになって、「ばるぼら」が停止してしまったので、
天王寺近くの、美章園に引越しした。ここは天王寺まで歩けるくらいの距離で、とても便利だった。
マンションはJRの美章園駅まで歩いて3分くらいで、めちゃ便利だったし、
街自体も、好きだった。都会のすぐ近くなのに昔ながらの情緒を残した、美章園。
住みやすかった。ここも長く住んだ。7年くらいかな。
でもここに住んでた最後の年(2007年・・・か。)に、佐治朝吉が、闘病の末、他界した。
僕が、大阪に住んでる「意味」というものが突然、消失してしまった気がしたのだ、その時。
大体が・・・・・思い返せば高校三年の終わりごろ、佐治が僕に尋ねてきた。
「卒業したらどうすんねん?」と。
僕は迷わず言った、「東京へ行く」と。
佐治は即座にそれを却下した。「あかん」と。
「オマエはなぁ、俺らと一緒に大阪でバンドすんねん。だから大阪へ行こうぜ」と。
僕は・・・・・・・・・・・・・・・・・・多少悩まないでもなかったが、結局は、進路を変えた。
そんな風に言われて、ちょっと感動したのだ。
そしてそれは・・・・大阪で一緒にバンドやる、という「希望」は、現実になった。
目がくらむほど楽しかった。そういう日々が本当にあったことを感謝したい。
そして2007年、「大阪に住む意味」を喪失した僕は、
他にもいろいろ要素はあるのだが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
京都に住むことにした。
そして現在に至る。
京都に移り住んでから、もう13年近くになる。
住んでから少しずつ発見したのだが・・・・・・・・京都って、東京に似ているのだ。
いや本当に。
だから僕は結局は自分が初めに求めていた環境を、
手に入れたのかもしれない。
どーでもいいような話に、付き合ってくれてありがとう。