まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

神仏霊場巡拝の道~熊野古道を路線バスでたどる

2024年03月17日 | 神仏霊場巡拝の道

紀伊田辺から熊野古道の中辺路ルートに入る。これから乗るのは紀伊田辺駅14時50分発、道の駅奥熊野行きの龍神バスで、途中宿泊する川湯温泉で下車する。時刻表を見ると所要時間は約2時間。路線図が何重にも折り重なっており、道のりの遠さがうかがえる。

バスはそれなりの乗車があり、外国人の旅行者の姿も見える。インバウンドの増加もあるが、熊野古道や熊野三山は外国人、特に欧米やオーストラリア人気スポットだそうで、もちろん熊野の自然や歴史文化が豊かなこともあるが、外国人向けのプロモーションの成功によるところが大きいという。

まずはきのくに線の線路に沿って朝来まで進む。途中の工業高校前とは県立田辺工業高校で、大阪勤務時代、ここまで高校生の募集に来たことがある。よくこんな遠いところから採用しようと思ったものだ。

朝来から朝来街道に入り、稲葉根王子のバス停から国道311号線に合流する。並走する富田川も水垢離の場であったとされる。しばらくはこの川沿いの景色を楽しむ。

鮎川温泉の先で、清姫というバス停を通過する。道成寺の安珍・清姫伝説で知られる清姫はこの地の庄屋の娘で、熊野詣でに来た安珍に一目惚れするも逃げられ、その恨みのために大蛇に姿を変え、最後には焼き殺してしまう。清姫もその後入水し、その墓もここに残されている。

滝尻を通過。熊野九十九王子の中で格式が高い五体王子の一つで、ここからいよいよ熊野の霊域に入るとして、富田川でのみそぎ、社前での供養や神楽の奉納が行われたという。後鳥羽上皇が歌会を開いたともある。また、バスはこのまま国道311号線を走るが、熊野古道の徒歩ルートは十丈峠を越えて近露王子に向かう。この辺りはかつての道の風情をよく残しているそうだ。私も早い時間のバスに乗れば、こうした途中の道をのぞくことができたなと、今にして思う。

バスは栗栖川に到着。かつて紀伊田辺から熊野本宮へは国鉄バス~西日本JRバスの便があり、栗栖川は「自動車駅」という扱いだった。

長いトンネルでショートカットし、近露に入る。ここでトイレのある駐車場に乗り入れ、しbらくトイレ休憩を取る。紀伊田辺を出てから1時間ほど経っている。「近露の水は現世の不浄を祓う」(京都仁和寺所蔵「熊野縁起」より)という看板が立つ。トイレの目の前に掲げられると妙にしっくり来てしまう。ちょうど熊野本宮方面からのバスも到着し、同様にトイレ休憩となった。

近露王子に到着。ここで何人かの外国人旅行者が乗って来る。荷物がキャリーケースでなく大型のリュックサックであることから、先ほどの古道の区間を歩いてきたようだ。

野中一方杉に到着。先ほど近露王子から乗って来た外国人旅行者はここで下車していった。野中の清水、一方杉も熊野古道のスポットである。結構器用にバスを利用するものだと思う。また、その先の小広王子口ではまた別の外国人グループが乗って来る。この方たちも古道めぐりのようで、ここまでの乗客の移り変わりを見ると日本人より外国人のほうが多いのではないかと思う。

熊野本宮温泉郷の看板が現れた。まず目指すのは湯の峰温泉で、バスは湯の峰温泉で折り返してまたこの看板の前を過ぎることになる。

湯の峰温泉は4世紀頃に発見されたといい、後の熊野御幸によってその名が広められた日本最古の湯とされる。この湯の峰温泉も世界遺産の一つに含まれているとのことだ。こちらは私も以前に立ち寄りで来たことがあるが、有名な「つぼ湯」は長い順番待ちだったため、公衆浴場だけ入ったと思う。

ここで、外国人旅行者を含む多くの客が下車していった。その間にすれ違ったのは奈良交通の新宮駅行きのバス。それも大和八木駅から延々と走って来る「日本一距離の長い路線バス」にここで出会うとは。土日は観光特急「やまかぜ」として運行している便である。

温泉街の奥でUターンして来た道を引き返し、渡瀬温泉を過ぎる。いったん国道から離れてトンネルを抜けると、静かなたたずまいの川湯温泉に到着。何とか日のあるうちに到着できた。この日(3月9日)はここで1泊とする。

私が下車した龍神バスのすぐ後に、先ほど渡瀬温泉で追い越した新宮行きのバスも到着。川湯温泉から新宮駅までは後1時間かかる・・・。

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