まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

奈良8番「大神神社」~神仏霊場巡拝の道・17(三輪山のご神体とご神水)

2022年07月12日 | 神仏霊場巡拝の道

桜井駅10時45分の奈良行きに乗り1駅、三輪に到着する。大神神社、三輪明神の最寄り駅である。駅からは名物の三輪そうめんを出す店も並ぶ。

工事中の参道を抜け、大神神社の鳥居に着くが、これは二の鳥居とある。では一の鳥居は、今回は訪ねなかったが万葉まほろば線の車窓に見える大鳥居なのか・・というとそうでもないようである。駅から歩いてきたから参道をショートカットした形になるのかな。

参道を歩く。大神神社の祭神は大物主神で、祀られている三輪山じたいが御神体ということで本殿を持たない。直接山に祈りをささげるという、古来からの様式が今に伝わるということで、我が国最古の神社とされている。

この記事では大神神社という名前で書いているが、いっぽうで三輪明神という呼び方も浸透しているように思う。中世以降は神仏習合の色合いも強く、神宮寺も有していたそうだが、明治の神仏分離により大神神社という名前になった。神を「みわ」と読ませるのも、ここ「三輪山=神」という意味が込められているのだろうか。

最後の石段を上がり、拝殿に向かう。江戸時代前期、4代将軍徳川家綱の手により再建されたもの。まずはここで御神体の三輪山に向けて手を合わせる。

手前には巳の神杉という、樹齢500年といわれる杉の巨木がある。ここも手を合わせる対象だが、お供え物で目立つのが卵。中には10個入りのパックでお供えされているのもある。この杉には大物主神の化身とされる白蛇が棲んでいるとされ、蛇の好物ということで卵がお供えされるそうだ。

こういうのを見ると気になるのが、お供えされた卵のその後。お下がりで神社の方がいただくのか、それとも処分されるのか。この暑さの中に置いていたらそれだけで温泉卵でも出来上がりそうだが・・。

朱印をいただく。敷地の地下に冷房の効いた参拝者休憩所があり、しばらく涼む。

大神神社にはいくつかの式内社がある。その一つである狭井神社に向かう。その参道も山の辺の道に含まれている。狭井神社は病気平癒の神社であるが、三輪山への登拝口がある。ただし、新型コロナウイルスの影響で現在は登拝受付が中止されている。御神体山の安泰と、神域が感染源にならぬようとの配慮である。病気平癒の神社といっても現実的な対応をせざるを得ないところのようだ。

なおこちらには万病に効くという薬水が湧き出る井戸があり、大神神社の御神水としていただくことができる。私も喉をうるおし、ペットボトルに汲ませていただく。

この池のほとりに「清明 三島由紀夫」と刻まれた石碑を見つける。説明によると、三島由紀夫は1966年に三輪山に登拝し、その後に色紙にしたためた文字だという。大神神社の神域を「清明の一語に尽き」として、終生忘れられない思い出としている。三島由紀夫の遺作となる「豊饒の海」の第2巻「奔馬」の一場面に大神神社が登場するが、この時の取材を元にしたという(「豊饒の海」・・以前、4巻通して読んだのだが、ストーリーはまだしも、仏教・神道に関する記述は難解だったな・・)。

これで大神神社の参詣として、三輪駅に戻ることにする。三輪といえば「三輪そうめん」ということで、「万直し本店」という店に入る。メニューは温かいにゅうめんのほうが多いのだが、この暑さ、やはり冷やしそうめんだろう。これに柿の葉寿司のセットをいただく。奈良らしい食べ物の組み合わせである。

次は12時10分発の奈良行きに乗り、3駅先の長柄に向かう。目指すのは奈良7番の大和神社である・・・。

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奈良21番「安倍文珠院」~神仏霊場巡拝の道・16(安倍元首相にも通じる寺院)

2022年07月11日 | 神仏霊場巡拝の道

7月9日~10日にかけての神仏霊場めぐりのお出かけ。前日の8日は、安倍元首相が近鉄大和西大寺駅前での演説中に銃殺された事件で持ちきりだった。その翌日に奈良に行くことになるとは・・。

ただそれより気になるのは天候。8日夜は広島市内も大雨に見舞われ、JRは山陽線をはじめ深夜まで運転見合わせとなった。クルマでの退勤時もアンダーパスが冠水して通れず、渋滞が発生していた。翌日も西日本は天候が乱れるようで気になるところだ。

さて9日、外は弱いながらも雨模様。広島6時26分発の「のぞみ90号」に乗るつもりで広電~山陽線と乗り継ぐ予定にしていたが、JR西日本の列車走行位置サービスによると、どうも山陽線の列車が動いていないようだ。線路の安全確認をしているのだろう。前夜は運転再開後も中には数時間遅れという列車もあったらしい。

そこで・・・札所めぐりにおいては自ら禁じ手としているのだが、タクシーで広島駅に向かうことに。運転手も安倍元首相の銃殺事件の話題を振ってくる(その時に「統一教会」という単語も出てきたが)。

無事に広島からの「のぞみ90号」に間に合い、新大阪に移動。東に進むにつれて雲も取れ、青空が広がる。ただ、9日の関西地方も所により天気の急変の予報が出ている。特に奈良県があやしい。

新大阪から御堂筋線に乗り継ぎ、大阪難波8時30分発の名古屋行き特急に乗る。00分発のアーバンライナーに「ひのとり」車両が割り当てられ、かつてのアーバンライナー車両は停車駅が多い30分発の列車に使用されている。それでもデラックス席がつくなどサービスレベル向上につながっている。

前回、飛鳥、吉野、橿原と回った基点の大和八木に到着。ここで普通に乗り換え、やって来たのは桜井。近鉄大阪線、JR万葉まほろば線の接続駅である。今回は桜井を起点にして、万葉まほろば線を乗り降りして奈良に向かう。

まず向かうのは安倍文珠院。とりあえず宿泊荷物を桜井駅観光案内所横のコインロッカーに入れる。桜井駅からバスの便もあるがタイミングが合わず、まずは20分ほど歩く。9時すぎだが蒸し暑く、タオルが手放せない。「木のまち桜井」という看板にもあるように、木材の加工場も並ぶ。で

安倍文珠院の表門に到着。境内に入ると、参道の両脇には奉納の石灯籠が並ぶ。そこを抜けると本堂に出る。「安倍山」と書かれた扁額の前には多くの絵馬も奉納されている。「三人寄れば文殊の知恵」という言葉にあるように、学力向上、合格祈願でお参りする人も多いようだ。

安倍文珠院が開かれたのは大化の改新の頃で、左大臣に登用された安倍倉梯麻呂が氏寺として建てたのが始まりとされる。その後兵火に遭うなどして場所は移り変わったが、本尊の文珠菩薩は鎌倉時代、快慶の手によるものである。丹後の切戸文珠、出羽の亀岡文珠と並ぶ日本三文殊の一つとされる(どこの文殊を三つとするかは地方によってさまざまな説があるそうだが)。拝観料を納めて本堂に入る。まず手前には弘法大師像と、座布団大に敷き詰められた四国八十八ヶ所のお砂踏みの間があり、外陣に出る。ここから、一段上がった内陣に祀られる国宝の文殊菩薩のほかに、善財童子などの脇侍仏を見る。まずはこちらでお勤めだ。

棟続きの釈迦堂を含めて、それぞれの干支の守り本尊が祀られている。ちなみに文殊菩薩は卯年の守り本尊。

神仏霊場めぐりの朱印帳を預け、境内をしばらく回る。まず目立つのは本堂向かいの金閣浮御堂で、1985年建立という最近の建物。阿倍仲麻呂、安倍晴明らを祀る。手前には、百人一首の一つでもある「天の原ふりさけみれば~」の歌碑も建てられている。

その横に石灯籠が添えられている。「為世界平和」の祈願文があり、その施主は「第九十代内閣総理大臣 安倍晋三」とある。平成22年ということで1回目の首相の座を退いた後の時期だが、遠くさかのぼれば安倍氏のルーツということで寄付したようだ。もっとも、安倍元首相が実際に安倍文珠院を参詣したかどうかは見当たらないようだ。安倍元首相が氏族ゆかりの大和の地で亡くなったのも何かの縁かもしれないが、ここで手を合わせておく。

他にも西古墳、東古墳、弘法大師像や白山神社などを見て、奥の院に向かう。

こちらに建つのは晴明堂。安倍晴明千回忌を記念して再建されたものだそうで、陰陽師とのつながりで天体観測の場として置かれている。ちょうど藤原京から二上山、葛城山を見渡す地で、かつての文珠院もそれを意識してこの地に建てられたのかなと想像する。

朱印をいただき、再び来た道を歩いて桜井駅に戻る。次に向かうのは今回のあみだくじで当たりとなった奈良8番の大神神社。万葉まほろば線で1駅、三輪までの移動ということもあり、荷物は桜井駅コインロッカーに預けたまま、列車に乗り込む・・・。

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神仏霊場巡拝の道~Bs大花火大会、生で観たかったな・・・

2022年07月10日 | 神仏霊場巡拝の道

7月10日、せっかくの神戸の試合のチケットを確保して、神仏霊場巡拝の道のスケジュールも組んだところだというのに・・・。仕事の無神経な連絡が入り、10日の午後から急遽広島に戻ることになってしまった。これ、私が必ず広島にいて対応しなければならない案件か?と思うが、そこは世間から見た底辺の産業、しかもブラック企業のしがない管理職だけに逆らうことができない。

せめてもの救いは、試合にはバファローズがマリーンズ相手に大勝したこと。

そして驚いたのは、NHKーBSが試合のみならず、試合後に行われた大花火大会も中継してくれたこと。私も帰宅してテレビ画面越しに楽しめた。NHKも粋な計らいをしてくれたものである。

私の気持ちは少し晴れたが・・・すっきりしない。緊急が緊急でなく当たり前になっている。事業改革のプロジェクトチームもできたようだが、果たして何ができるのかね。底辺の産業の慣習が改まらない限り、一緒(あ、だから底辺なのか)。

この後、今回の札所めぐりの記事を書いていくが、何だかもやもやしたものが残る回になりそうである・・・・。

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神仏霊場巡拝の道~安倍元首相、奈良で銃撃され亡くなる

2022年07月08日 | 神仏霊場巡拝の道

お出かけとしては第4回となる神仏霊場巡拝の道。今回は7月9日、10日の両日での関西遠征である。例年この時季はまだ梅雨の最中だが、2022年は早々と6月28日に、過去最早となる梅雨明け宣言が出された。

このタイミングにしたのが、7月10日の神戸でのバファローズ対マリーンズ戦観戦との組み合わせのため。16時から試合開始なのだが、試合終了後には大花火大会が行われる。花火を見てから新幹線に乗ったとして、広島に戻るのは23時を過ぎるという強行スケジュールだが、7月9日、そして10日の昼過ぎまでを札所めぐりの時間に充てることにする。またこのところ新型コロナウイルスの感染者数の増加がどうのこうの言われているが・・・。

前回、丹生川上神社下社でのあみだくじの結果、今回の行き先となったのは奈良8番の大神神社。三輪山である。これまで飛鳥、吉野近辺に行き先が固まっていて、今回はそれに隣接する桜井エリア。大神神社の最寄り駅がJR桜井線(万葉まほろば線)の三輪ということで、桜井をスタート地として同線を乗り降りしながら北上することにしよう。

そうすると大神神社と前後して、安倍文珠院(奈良21番)、大和神社(奈良7番)、石上神宮(奈良6番)、帯解寺(奈良5番)といったところが今回の目的地になりそうだ。比較的駅に近いところが多いが、石上神宮だけは天理駅徒歩30分とある。そして宿泊はJR奈良駅前で確保した。翌10日はどこに行くことになるのか(できれば、試合のある神戸近辺が希望だが、そこはあみだくじ次第・・)。

・・・と、ここまでを神仏霊場めぐりの前段記事として7月7日の時点で下書きをしていたのだが、8日に奈良で大変な事件が発生した。

参議院選挙の応援演説のために奈良・近鉄大和西大寺駅前にやって来た安倍晋三元首相が演説中に銃撃に遭い、ドクターヘリで橿原の病院に搬送されたものの、夕方亡くなった。

昼休みにネットニュースに第一報があふれていたのに驚き、以後、演説の様子をたまたまスマホで撮影していたところで銃声が聞こえてきた動画だとか、心臓マッサージを受けて救急搬送される様子だとか、犯人の身柄確保の映像だとかいろいろあった。午後は正直仕事も手につかず、そちらの情報が気になっていた。しかし17時過ぎに死亡が確認された。その直前に到着した昭恵夫人の確認を受けてのことだろう。

安倍元首相といえば毀誉褒貶いろいろあった人物。その中で私はどちらかといえば「毀」「貶」のほうで、過去のブログ記事ではその政治手法や人間性に対して不平不満、心無いことも書いたことがある。さまざまな疑惑も権力を用いて結局有耶無耶にしたという思いは今でもある。

ただ、一足飛びで殺してしまう・・のは違う。疑惑が本当なら司直の裁きを受け、議員辞職、政治の世界から去れ・・ということだろう。

犯人にどういう意図があったのかはこれから解明されることだろうが、参議院選挙の投票を翌々日に控えた中での衝撃的な事件。この先も歴史に残ることだろう。

安倍元首相銃撃を受けて連想したのが、1960年に社会党の浅沼委員長が演説中に青年に刺殺された事件。この事件をを取り上げた沢木耕太郎氏のルポタージュ「テロルの決算」を読んだことがあるが、今回の事件を受けて、後にさまざまな角度から考察したルポも出ることだろう。ただ、浅沼委員長を刺殺した山口二矢のような何かが出てくるとは思えない。かつて安倍氏が言った「こんな人たち」よりもしょーもない男でしょう。そんなんに銃殺されて終わる一生っていったい・・?

もっとも、「安倍三代」を著した青木理氏なら、「それでも殺された安倍のほうが悪い」という内容の作品を出すのだろうが・・。

奈良行きを前にして、何だか支離滅裂だが。

ともかく、ご冥福をお祈りします・・・。

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第13回中国四十九薬師めぐり~第21番「不動院」(参議院選挙のついでに・・)

2022年07月06日 | 中国四十九薬師

中国四十九薬師めぐりは前回に因島、生口島、安芸津と回り、広島までコマが進んだ。広島県内は、次の第21番・不動院と第22番・大願寺を残すところだ。

この2ヶ所とも、広島新四国八十八ヶ所の札所も兼ねていてすでに回っているし、いつでも気楽に行くことができる。とはいえ、ここを過ぎてようやく山口県に入ることもできる。機会をとらえて回っておこう。

7月3日、日曜日だが午前中は仕事都合で職場に出社していた。そして昼から、時間が空いたので不動院に行くことにした。そのまま宮島に行くことも可能なのだが(ちょうどこの日、広電の宮島口駅も移転、リニューアルされたばかりという)、宮島は「ついで」で行くにはもったいないので、また別の日とする。

自宅から不動院に行くなら、高須から広電で西広島まで出て、山陽線で新白島、そしてアストラムラインで不動院前に行くのがスムーズだが、この日はマイカー通勤先の職場からスタートのため、クルマで行く。市内中心部を通過するので時間がかかるかな。

途中、西区役所に立ち寄って参議院議員選挙の期日前投票を済ませる。投票日の7月10日は、前々から入れていた所用のため自宅にはいない予定である。まあ、私の所用といえばおおよその見当がつくだろうが、7月10日が参議院議員選挙の投票日になったのは、私の予定が決まってから後のことだ。

広島の参議院議員選挙といえば・・・前回3年前の選挙で河井克行・案里夫妻により行われた大規模買収事件である。広島県議会、市議会議員にもこれに関連した者たちが多数いて(西区の私のすぐご近所に実家があるT・G元市議会議員もその一人)、「政治とカネ」の問題がクローズアップされたところである。

その後の再選挙では野党候補が勝利したのだが、昨年の衆議院総選挙では自民現職が圧勝。そして今回の参議院だが・・・「政治とカネ」の問題はあまり取り上げられていないようである。まあ、身近な関心事としては物価高、コロナ復興をはじめとした経済関連が大きなところで、次いでロシア×ウクライナ紛争に関連した外交、軍事関連が多いようだ。もちろん、それらのほうが大きな関心事であるが、少なくとも広島県については、前回案里・・もといあんな事件があった選挙区であることを意識して、良識ある投票をしていただきたいものだ。

広島選挙区には改選2に対して過去最多の10人が立候補。政治団体、無所属含めて多士済々である。ただ、当選者が2人となると、どちらが1位になるかはさておき、順当にこの候補とあの候補が当選するものと思われる。この選挙結果も自然なものとして、3年前のことなどもう過去の話となるのだろう。

私はといえば、選挙区の結果は目に見えているのでせめて比例区では・・という思いで投票した。その結果やいかに・・・。

そのまま市内を通過して、不動院に到着。クルマを下りるとムワッとした熱気が体を覆う。参道をそのまま走り、山門の脇から駐車場に入る。

不動院、正式には安国寺不動院という。安国寺は南北朝時代、足利尊氏が戦乱で命を落とした人たちを弔うため、夢窓疎石のすすめで諸国に開かれた。安芸の国にも安国寺が開かれ、守護の武田氏の菩提寺だったが戦国の争乱の中で焼失した。

これを復興したのが毛利氏に仕えていた僧・恵瓊である。京都にて諸国の情報を集める外交僧として活躍し、備中高松城の水攻めの最中に本能寺の変が起こった時は、毛利側の代表として交渉をまとめて和議を結び、その後も豊臣秀吉と毛利氏の仲を取り持つ役割を果たした。そのことで、恵瓊自身も秀吉の手で後に大名として取り立てられた。

本堂にあたる金堂は、恵瓊が周防山口の寺にあったのを移築したものである。本尊の薬師如来がこちらに祀られていて、まずは中国薬師のお勤めである。この金堂はその後の歳月、あの原爆でも大きな被害を受けずに残り、広島市内に現存する唯一の国宝である。その原爆投下の直後、市内から大勢の人たちが不動院にも避難してきた。ただ、この不動院で治療の甲斐なく亡くなった方も多かったそうである。

不動院という名前にもあるように、こちらの不動堂は広島新四国八十八ヶ所の本尊不動明王が祀られている。こちらでも手を合わせる。

境内の裏手に墓地がある。そういえば、広島新四国の時には訪ねていなかった。寺としては真言宗なのだが、浄土真宗のご利益の一つである「倶会一処」が彫られた墓も目立つ。さすが、安芸門徒の地域である。

その奥にあるのが4基の石墓。中央にあるのは豊臣秀吉の遺髪を埋めた墓。その横には安国寺恵瓊、そして関ヶ原の戦い後に安芸を治めた福島正則の墓。

さらには、安芸の守護で銀山城主だった武田刑部小輔の墓がある。銀山城は毛利氏の攻撃により落城、安芸武田氏も滅亡したのだが、安国寺恵瓊はもともとその武田氏の一族だったという。その縁もあってここに墓を建てたのだろう。

納経所にケースがあり、中国四十九薬師の朱印はこちらでいただく。

さてこの日はこのまま太田川放水路沿いに出て、クルマを走らせて帰宅した。次は宮島の第22番・大願寺だが、宮島は宮島で改めて行くことにしよう。そろそろ、2県目もクリアしないとね・・・。

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自分のやっている仕事なんて・・・

2022年07月04日 | ブログ

いわゆる「底辺の仕事、そういう業界」。

自分にはそれだけの能力しかなかったんです。

もっと、親のいうことを聞いて、他人を蹴落としてでも一番になればよかったんや。

もう、辞めようかな・・・。

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第2回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第7番「興徳院」(巡拝の後は温泉入浴・・)

2022年07月03日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

甘木、田主丸と回った今回の九州八十八ヶ所百八霊場めぐり、最後は第7番の興徳院である。こちらは甘木駅から徒歩5~6分のところで、筑後川の支流である小石原川沿いにある。

興徳院は1929年、妙善尼が甘木に開いた寺で、当時は病人や貧しい人を救おうと、弘法大師を本尊として加持祈祷を行っていた。1965年に現在地に移転され、十一面観音を本尊とした。こちらの本堂も寺というよりは民家風の造りである。

本堂の脇には四国八十八ヶ所のお砂踏みがあり、地元の方だろうか、小銭を入れて順に手を合わせている。私の姿を見ると会釈してくれる。

寺の周りにも結構な台数のクルマが停まっていて、お堂への人の出入りもある。この日、ここまで回って来た寺院は私の他に参詣者を見かけなかったから対照的である。甘木の町中に位置することもあるのかな。玄関脇が納経所のようでそちらをのぞくと、「どうぞ中にお入りください」と招じられる。

本堂には椅子が20脚あまり並べられ、腰かけている人、場所取りをしている人も。また内陣には多数のお供え物が並ぶ。何か法要でも行われるのかと尋ねると、この日は先祖供養があるとのこと。来られているのも檀信徒の方々のようで、別に拒まれたわけではないが、そういう中に参列するというのも少し違う気がして、法要の前にお勤めだけして引き上げることにする。

朱印と一緒にここでもお茶菓子のお接待を受ける。こういうところでの話の入口は「どちらから?」ということで、広島からだというと驚かれる。さらにこの日、バス、徒歩、鉄道を組み合わせて回ったと答えると、「それはご苦労様で・・」と。九州八十八ヶ所百八霊場めぐりはクルマで・・という人がほとんどだそうだが、私としては九州の鉄道、路線バスも楽しみたいので、できる限りはそうした手段を利用したい(ただ実際は、レンタカーの世話になることも増えるだろう)。

興徳院を後にして、この日の目的の4ヶ所(1ヶ所は工事中のため、機会を改めて再度巡拝となったが)を終えて甘木鉄道甘木駅に戻る。時刻は13時前。普通ならここで遅めの昼食をというところだが、私が向かったのは前日宿泊した「ホテルグランスパアベニュー」。

そう、朝から歩き回って汗だくになっており、13時から開業の日帰り入浴利用である。これも計算のうち。数百メートル離れたところには、朝倉市の健康施設でもある「卑弥呼の湯」という施設もあるが、「入浴後に数百メートル歩いて戻る」というのが汗のもとになりそうだ。その分、駅前の温泉はありがたい。PH値が高い湯に浸かり、今回の札所めぐりの締めくくりとする・・。

昼食だが、コンビニで浴後のビールとつまみを買い、そのまま甘木鉄道甘木駅に向かう。13時47分発の基山行きに乗車する。甘木鉄道も1両ごとに異なる塗装の車両を走らせていて、バラエティ色豊かに感じる。中には国鉄急行色をまとったものも。できればこちらに乗りたかったのだが・・。

車内の2人向かい合わせのシートにて飲み鉄とする。この後は広島に戻るだけだ。甘木鉄道でトコトコと走り、太刀洗、小郡といったところを過ぎる。終点基山に到着。

基山からだとそのまま鹿児島線で博多に出たほうがよいのかもしれないが、購入したきっぷが久留米からの「バリ得こだま・つばめ」のため、また久留米まで南下する。当初の予定より早い時間に久留米に戻ったが、そのまま列車を繰り上げて、「つばめ」・「こだま」と乗り継ぐ。

車内には、博多で購入した鳥栖名物の「焼麦」。先日、久しぶりに横浜・崎陽軒のシウマイを新幹線でいただいたが、こちら鳥栖のシャオマイはこのところの九州めぐりのお供である。まだ日のあるうちに広島に戻った・・・。

・・・さて、九州八十八ヶ所百八霊場めぐりだがこの先は福岡北部に移る。まずは宇美、篠栗と回り(この篠栗には江戸時代に開かれた篠栗八十八ヶ所があるのだが・・)、飯塚、直方、小倉と、福北ゆたか線に近いルートを行く。また時間を作って、少しずつ楽しむことにしよう・・・。

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第2回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第90番「浄心院」(甘木の神仏習合スポット)

2022年07月02日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

第2回の九州八十八ヶ所百八霊場めぐりも後半2ヶ所。甘木観光バスの小田から暑い中20分あまり歩いてやって来たのは、第90番の浄心院。

先ほど第6番、第5番と来て、いきなり第88番もすっ飛ばして第90番まで番号が飛ぶとは。これはこの霊場の成り立ちによる。1984年に発足した時は、四国や他の霊場と同じく札所寺院は88ヶ所で、5ヶ所が番外寺院だったという。浄心院も番外寺院の一つだったそうだ(先ほど訪ねた第6番の南淋寺の駐車場には「九州八十八ヶ所」の古い看板が残っていた)。それが後に煩悩の数、また八十八ヶ所+別格二十霊場=百八霊場とするべく寺院の数を増やし、89番以降の番号が付けられた。ちなみに第88番は宗像の鎮国寺、浄心院の手前の第89番は篠栗の金剛頂院、そして第108番は鎮国寺の奥の院である。

九州八十八ヶ所百八霊場は89番以降の番号も混在するので、札所番号順はそれほど厳密にこだわらず、エリアごとに回っていくことにする。この次は福岡市近辺で宇美、篠栗辺りを回るつもりだが、その時に第89番の金剛頂院も訪ねることになる。四国、中国よりも広いエリアを回る九州八十八ヶ所百八霊場は、この先結構ハードな道のりになりそうだ。

さて浄心院だが、山門ではなく鳥居が出迎える。スマホ地図を頼りに来て場所は合っていたが、寺ではなく神社だと思って素通りする人も結構いるのではないだろうか。

そして境内では不動明王や地蔵菩薩の石像が立ち、そして建物の玄関に向かって赤い鳥居が並ぶ。一見不思議な光景だが、ここには神仏習合の歴史があるのだろう。ただ、赤い鳥居の先にあるのはは寺のお堂というよりは家屋の玄関である。本堂があらへんがな・・と思いながら、いったん不動明王の石像の前に戻り、ここでお勤めとする。

納経所はこちらだろうと、家屋の玄関のインターフォンを鳴らす。看板には九州八十八ヶ所百八霊場、九州二十四地蔵尊霊場の札のほかに、「正一位壽稲荷大明神」の扁額がかかる。仰々しいなと思ううち、寺の方が出てきた。気さくに、「どうぞ中に上がってお参りください」と玄関から上げてくれる。その先には広間があり、祭壇が設けられている。普通の家屋に見えたのが実は本堂だったわけだ。

浄心院は、浄心法尼という人がこの地で不動尊を感得して開かれたとされる。内陣は神仏習合で、中央には大日如来、不動明王、十一面観音を祀り、左手には地蔵菩薩、そして右側には稲荷大明神が祀られる。稲荷大明神(荼枳尼天)は弘法大師も信仰していたとされ、真言宗寺院では大切にされているという。

改めて本堂内でお勤めとする。寺の方はその間に朱印を押し、そしてお茶菓子を用意してくれていた。歩いて暑かったのでありがたくいただく。広島から来たというと驚かれた。やはり九州内以外から巡拝に来る人というのは珍しいようだ。

浄心院を後にして、甘木に戻るために西鉄の上浦駅を目指すべく西に向かう。この辺りは水田も広がるところ。

その一角、フェンスの向こうに高床式倉庫のようなものが見える。平塚川添遺跡という弥生時代の遺跡である。そういえば、甘木駅前に「日本発祥の地」として邪馬台国の存在をアピールする石碑があったが、ここ平塚川添遺跡は邪馬台国の甘木朝倉存在説の中心だという。甘木朝倉が邪馬台国だったかどうかは別として、古くからこの一帯が開けていて、それなりの勢力があったことは確かなようだ。

集落を抜けると単線の線路が現れ、ホーム1本の上浦駅に着く。駅そのものは大正時代、当時の三井電気軌道により設けられたが、後に西鉄の駅となった。周りには集落もあり「秘境駅」でもないが、上浦は隣の馬田と合わせて、西鉄の中で乗客の少ない駅のワンツーだという。

12時15分発の甘木行きに乗車する。次が馬田で、その次の終点甘木までは6分、駅の手前でいったん甘木鉄道の線路と並走し、また分かれる。

島式ホームの行き止まり式の甘木に到着する。ちょうど朝出発したところまで戻ってきた。次はこの日最後となる第7番・興徳院へ・・・。

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