まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

『最長片道切符の旅』をめぐる机上旅行~第30日(直方~伊万里)

2020年06月12日 | 机上旅行

1978年、宮脇俊三の『最長片道切符の旅』、舞台は九州に移る。

42年前の国鉄と2020年のJRを比べてみると、新幹線の距離は各方面に延びた一方で、赤字ローカル線の多くが廃止され、バス転換または第三セクターへの移管ということになっている。また昨今では、新幹線を新たに開業させる代償として、並行する在来線をJRから切り離し、沿線の県単位に第三セクター路線を運行させるということになっている。東北本線、信越本線、北陸本線、鹿児島本線などがズタズタに切り裂かれている。

それでも、まだ鉄道として残っているところは(採算の面はさておくとしても)まだ存在感を維持できているのかもしれない。ただ、廃止後に転換されたバス路線も廃止・統合されるところもあるし、近年激甚化している災害に遭った後の町づくりの中で鉄道の存続をあきらめるところも出ている。特に北海道や九州のような、もともとの鉄道会社の経営基盤が厳しいところでそうした事態が地元を直撃しているように見受けられる。

机上旅行の第30日。まだ『最長片道』よりは1日早いペースで来ているが、そろそろ九州の鉄道の現況の影響を受けそうな気配である。

まず、『最長片道』の第30日、直方で夕食を取り、伊田での待ち時間で立ち寄った駅前の一杯飲み屋で、田川の住宅がかつての坑道跡の空洞のために陥没しやすいという話を聞いている。その後で暗闇の中、それでも決められた所作を守って運行する運転士や駅員たちの姿に感動した後、日豊本線との合流駅である行橋に着く。忘年会シーズンということで行橋の駅前には帰宅のタクシーを待つ客が並ぶ様子を見て、日田彦山線との分岐駅の城野はそのまま通過して小倉で宿泊している。本文でも「長かった一日が終った」とあるが、確かに島根県の益田から山口県を縦走し、九州に入って筑豊の炭鉱線区をジグザグに移動した一日だったから長く感じたことだろう。

・・一方の机上旅行は、直方で一泊を選択し、それでも6時台の列車でまずは行橋に向かう。筑豊の線区の中で、伊田線、田川線、糸田線を引き取る形で発足した平成筑豊鉄道の区間である。

10年近く前に平成筑豊鉄道に乗る機会があったのだが、車両や運行形態は第三セクターらしくまとまったものかなということで乗ったが、国鉄時代からの開業当初と比べて駅の数が増えているとともに、当時からはやっていた「ネーミングライツ」を取り入れていたのが印象的だった。

その一つが「MrMax田川伊田」とか、「神田商店上伊田」とかいうものだったが、今でも印象に残っているのが「れいめい拳.com崎山」という駅名である。2020年現在ではスポンサー契約も切れて元の「崎山」駅になっているそうだが、乗車した時は、「駅の名前に『ドットコム』がつく時代になったのか~」とか、「そもそも『れいめい拳』とは何ぞや」という感想を持ったのを覚えている。「れいめい拳」は企画・宣伝共同組合の名前とあるが、他にはいわゆるスピリチュアルに関する事業もやっているようで、見る角度によっては妖しい団体のようにも見えるのだが・・。

一時はこうしたスポンサーがついた駅名も多かったようだが、2020年現在はその数も内容もだいぶ縮小しているように見受けられる。スポンサーとしての効果が乏しいのか、そもそもそうした費用を出そうという企業・団体が減っているのか。

行橋に着いて、日豊本線を北上する。『最長片道』では宿泊のために城野を通過して、ダブリ乗車となる小倉に行って翌日に折り返しているが、机上旅行では午前のそれなりの時間ということで城野で乗り換えとする。『最長片道』のような小倉駅周辺の「トルコ街」は見なかったことにして。

日田彦山線を南下する。北九州の市街地を抜けると、石灰岩の山肌を露出してワイルドな景色をさらす香春岳に出る。一時は筑豊の石炭のボタ山と対峙するようにそびえていた香春岳も、セメントの原材料として山肌がだいぶはぎ取られたようである。福岡県のこの辺り、そしてセメントといえば・・・もうおわかりですよね。あの財務相の地盤に入ったということ。

普通に列車に乗るぶんには、日田彦山線をこのまま香春~田川伊田~田川後藤寺~豊後川崎~添田とたどるのだが、田川伊田、田川後藤寺、豊後川崎で前日のルートと重なってしまう。『最長片道』ではここで登場するのが添田線である。香春から添田までをショートカットするように走り、かつ交差する田川線との連絡駅はないのでこのルートに登場した。当時のダイヤでは、日田彦山線の日田行きが8時09分に香春に到着して、8時13分発の添田線経由の添田行きというのがある。宮脇氏はこの列車に乗り換えて、添田には日田彦山線の列車より5分早く到着している。そして香春まで乗ってきた日田彦山線の列車にそのまま乗り換えている。

『最長片道』では、香春で下車する時にわざと座席上の網棚に新聞紙を乗せている。そして添田で再び乗車した時にその新聞がそのまま乗っていたのを確認している。別に車内で何かが起こったわけではないが、ちょっとした「トリック」である。

こう書くと、添田線というのがバイパス線として重宝された歴史があったのかと思わせるが、実態は真逆だった。石灰石や石炭を運ぶ路線として日田彦山線のバイパス線の役割は確かに担っていた時期はあったが、田川の中心地である伊田や後藤寺を経由しなかったために旅客、貨物とも利用客は少なく、ローカル線の赤字係数としては北海道の線区とともにワーストの常連だった。民営化を待たず1985年に廃止されている。

2020年の机上旅行では香春から添田までバスで結ぼうかと検索したが・・・転換後のバス路線も現在は廃止されている。前日の上山田線もそうだったが、自治体のコミュニティバスは走っているが限られたエリアの中を、1日わずかな本数が結んでいるだけである。自治体のアリバイ作りであるかのような運行でしかない。・・・そうなると、香春から添田まではまたしてもタクシー利用となる。現在の車道に面して、あるいは少し離れたところにかつての遺構や記念碑も残っているそうだから、その辺りをちらりと眺めるとするか・・。

日田彦山線との合流駅である添田に到着。よし、ここから鉄道の旅再開だ!・・・と意気込むところだが、実はこの先も列車は走っていない。

まだ記憶にも新しい2017年の九州北部豪雨。彦山川沿いの一帯で大きな被害を受け、日田彦山線の線路も路盤の崩壊、盛り土の流出、橋脚の破損などもダメージが大きかった。その後、同じように被害を受けたが復旧工事が行われた国道、県道を使ってのバス代行が続いている。

そんな中、復旧費用が巨額にのぼること、そして復旧した後の十分な利用客が見込まれないことから、JR九州としては単独での復旧は難しいとして、地元自治体にも何らかの負担を求めるための協議に入った。議論も長引いたが、先日、東日本大震災後の大船渡線・気仙沼線と同様のBRTによる復旧ということで話がまとまった。一部の自治体は最後まで「鉄道廃止」に難色を示していたが、福岡・大分の県境にある釈迦ヶ岳トンネルを含めた日田彦山線の休止区間の線路跡を最大限に活用することで何とか妥協したという。災害によって鉄道の維持を断念した事例の一つとして取り上げられている。

机上旅行もようやく昼を回ったところだが、この先は一気に西九州に向かう。久大本線の夜明に到着して、『最長片道』では鹿児島本線に乗り入れて博多まで向かう鈍行に乗っている。こちらは久留米まで気動車で出て、快速に乗り換える。現在は久留米から博多は新幹線で2駅の区間で、在来線の快速で30分、新幹線なら18分で到着である。わざわざ久留米から博多まで新幹線に乗る客がどのくらいいるか知らないが。

博多からは筑肥線である。もっとも、『最長片道』当時と現在では路線の姿はまるっきり変わっている。

筑肥線はもともと博多~伊万里間の私鉄路線だったが、後に国有化された。『最長片道』当時は非電化の路線だったのが、1983年に福岡市営地下鉄との相互直通運転を開始し、並行する博多~姪浜間の廃止、姪浜~唐津・西唐津間の電化、唐津駅近辺の線路付け替えということがあった。1993年に博多~福岡空港間が開業して、福岡の玄関路線としての機能も持つようになった。現在は日中ダイヤで、地下鉄の半数が姪浜行き、もう半分のうち4分の3が筑肥線の筑前前原行き、残りの4分の1が西唐津に向かうという運転系統である。

『最長片道』の時は筑肥線から松浦線(現・松浦鉄道)を経由して佐世保に向かう鈍行に乗っている。8両編成で、前4両が伊万里行き、次2両が有田行き、そして後2両が佐世保行きということで、宮脇氏は佐世保行きの車両に乗る。博多を12時09分に出発して、佐世保着は17時24分。現在なら、海辺の区間を走る列車として、水戸岡デザインの直通気動車を走らせるかもしれない(地下鉄に乗り入れるのは厳しいだろうが)。

この列車の通路向かいのボックス席にはおっさんが陣取っていて、窓枠に缶ビール、缶コーヒー、コーラ、ウイスキーの小瓶、せんべい、ゆで卵、ちくわ、駅弁、もう一つ何かを売店のように並べている。そしてまずゆで卵、コーヒー、ウイスキーの順で口にしている。ただそれらも、車窓が糸島半島を抜けて虹の松原に沿って走るうちに全て消えたとある。現在の「呑み鉄本線」など足元にも及ばない豪快なスタイルである。つい最近まで、特に地方にいけばこうした「ボックス席宴会」というのはちょくちょく見られた光景。

『最長片道』当時は東唐津だったが、現在は線路の付け替えもあり、唐津で分岐する。唐津~山本は唐津線の上を走り、山本から伊万里まで再び筑肥線となる。かつての歴史の名残化、唐津~山本は地方交通線、山本~伊万里は幹線の運賃体系となっている。列車の本数でいえば唐津線の佐賀行きが、筑肥線の伊万里行きの倍あるのだが。

机上旅行では、18時を回った伊万里でこの日の行程を終了する。この先は松浦線を受け継いだ松浦鉄道に入るので、ちょうどきりがいいという判断である。伊万里といえば焼き物のイメージがあり、地図をよく見ると深く切り込んだ入江の奥にある町だが魚は名物なのだろうか。宿泊は問題ないとして、玄界灘、対馬沖の魚などいただける店があるといいのだが、果たしてどうだろうか・・・。

※『最長片道』のルート(第30日続き、第31日)

(第30日続き)直方20:30-(伊田線)-20:56伊田21:41-(田川線)-22:20行橋22:57-(日豊本線 城野通過)-23:31小倉

(第31日)小倉7:19-(日豊本線~日田彦山線 城野通過)-8:09香春8:13-(添田線)-8:35添田8:40-(日田彦山線)-9:32夜明9:34-(久大本線~鹿児島本線)-11:22博多12:09-(筑肥線~唐津線~松浦線 伊万里通過)-17:24佐世保・・・(以下続き)

※もし行くならのルート(第30日)

直方6:30-(平成筑豊鉄道)-8:11行橋8:20-(日豊本線)-8:46城野9:32-10:05香春-(タクシー)-添田11:30-(代行バス)-12:45夜明13:22-(久大本線)-14:13久留米14:57-(鹿児島本線快速)-15:27博多15:51-(福岡地下鉄)-16:08姪浜16:09-(筑肥線)-16:50唐津17:32-(唐津線~筑肥線)-18:24伊万里

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