まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

伊豆の世界遺産

2016年09月06日 | 旅行記D・東海北陸
三島にいて、伊豆箱根鉄道に乗って・・・となると、タイトルが指すのは何なのかはおわかりいただけると思う。

この日購入したのは「伊豆ドリームパス」の「富士見路ルート」2800円。伊豆箱根鉄道、東海バス(修善寺駅~松崎間)が一日乗り放題なのに加えて、土肥~清水のフェリーに1回乗ることができる。フェリーだけで2300円だから、結構お得である。この日の行程の決め手はこのフェリーで、時刻表をあれこれ検討した結果、先に伊豆半島を回り、最後に清水に戻ることにした。このパスは他に伊豆急行と伊豆半島の海岸沿いのバスに乗れる「黄金路ルート」、伊豆急行と半島内陸部(天城越え、河津七滝など)のバスに乗れる「山葵路ルート」があり、いずれも土肥~清水のフェリーとの組み合わせなので迷ったが、西海岸の土肥には行ったことがなかったのでこのルートを選んだ。

伊豆箱根鉄道の車内は以前はJRの近郊車両で見られたセミクロスシート。ボックス席に座り、前の席に脚を投げ出すのがよい。まずは三島の市街地を抜け、田園風景に入る。

三島からおよそ25分走って、8時20分、韮山の一つ先の伊豆長岡に到着。ここで下車する。長岡温泉への玄関駅ということもあってか観光色のある駅である。駅内にも土産物屋を揃えたコンビニがある。これから目指す世界遺産へは、日中ならコミュニティバスやレンタサイクルも利用できるそうだが、この時間ではいずれもやっておらず、歩いて30分の距離である。

その世界遺産とは、韮山反射炉である。高校の歴史の時間に「韮山反射炉」「江川太郎左衛門」という名前だけは暗記したことである。ただそれだけのことで、どういうものかは正直理解していなかった。大砲を造るための炉であったとしても、それで江戸幕府が大砲をどんどん製造して外国列強や薩長連合に相対したということもなく、「韮山にそういうのがあるんやな」という印象だけである。

ところが、昨年(2015年)7月に、「明治日本の産業革命遺産」が世界遺産に登録決定され、その中に韮山反射炉が含まれたことで、急に注目を集めるようになった。この「明治日本の産業革命遺産」とは、紹介サイトによれば、製鉄・製鋼、造船、石炭産業について、「西洋から非西洋への産業化の移転が成功したことを証言する産業遺産群により構成される」とある。特徴的なのが「この建物単体」「このエリア一帯」という、限定されたものではなく、九州を中心に複数の県の案件を一括して登録していることである。最も有名なのは長崎の軍艦島と言える。後は同じ長崎のグラバー邸、三菱長崎造船所、八幡製鉄所、三池炭鉱、鹿児島の集成館などがあるが、九州以外には萩の松下村塾があり、他にも釜石の橋野鉄鉱山、韮山の反射炉などと合計23ある。

個人的には産業遺産というジャンルは好きだし、長崎の軍艦島などは見た感じも歴史的背景も特異なものだと思うところだが、こういう形で世界遺産にするのはどうかと思う。まあ、最近はあちこちに世界遺産が広がっているから、いずれも「単体」での登録というのは難しいものだろう。だから歴史を成り立たせるために、エリアをまたいで、さまざまな説得材料を並べるということだろう。萩の松下村塾が入っているのは、時の首相の思惑が入っているのかなと邪推してしまうのだが、日本の近代化は薩長両藩の人材が中心になったことを考えると、そうした人材を輩出したところも加わるのかなと思う。

今年の7月にも、東京の国立西洋美術館が世界遺産に登録決定したが、これなどは7ヶ国にまたがる案件で、国どころか大陸もまたいでいる。フランスの建築家、ル・コルビュジェの作品ということで、その一つである。

伊豆箱根鉄道でもそれを祝う、PRする看板が掲げられていた。地域を挙げて歓迎するムードがある。駅まで2キロ弱となれば歩くしかない。伊豆長岡の駅にもコインロッカーがあったが、早朝に静岡駅のロッカーに入れていてよかった。田園地帯の中を歩き、少し坂を上ると製茶工場が見えてくる。その敷地の一角にも見えるところに売店がある。

そして振り返ると反射炉の建物があるのだが、正直、「え?これだけ?」と思った。煙突が2本ある炉の本体だけが公園の中に建っている感じだ。パンフレットによれば、当時は反射炉の周りに炭小屋、鍛冶小屋、砲台小屋などがあり、隣接する川から水を引いて動力とした水車小屋もあったそうだ。なるほど産業遺産、文化遺産としては貴重な価値のあるものだと思う。ただ世界遺産と言われると・・・どうも違和感を覚えるのである。

それでも世界遺産となれば多少は観光客も訪れるもので、ボランティアによるガイドのサービスはある。また隣接して資料館も建設中のようである。ただ、今のところは反射炉を見るだけなら10分あればいいかなというくらいにしか思えない。

反射炉に隣接する製茶工場の茶畑が裏手にあり、この一角を展望台として開放している。ここから反射炉を見ると、天候が良ければバックに富士山を見ることができるそうだ。この日は何も見えなかったので、そこのパネル写真でイメージする。富士山も世界遺産であり(富士山単体での世界自然遺産が諸般の事情で認められず、昔からの富士山信仰などの歴史的背景をつけて世界文化遺産として認められたものだが)、奇しくも世界遺産2件の揃い踏みである・・・。

韮山反射炉の見物時間をある程度見込んでいたのだが、あっさりと終わってしまった。予定の列車まではまだ時間がある。このまま伊豆長岡駅に戻ってもいいのだが、一つ思いついたのが、韮山駅まで歩くこと。駅間の距離は短いので、伊豆長岡まで歩くのに少し距離を足す程度である。韮山駅を目指す途中には、源頼朝が平治の乱で捕えられた後に流された蛭ヶ小島の史跡がある。歴史的にはこちらのほうが有名ではないだろうか。

函南停車場反射炉線という名がある県道136号線。愛称は「反射炉・富士見ロード」という、2つの世界遺産を意識した名前である。こちらも反射炉の世界遺産登録ということで道路拡張の工事中である。世界遺産登録ブームも一段落しているのではないかと思われる中、これから観光客の数がどこまで伸びるか不透明な中、こうした公共工事は確実に行われている。まあそれで利便性が向上すればよいのだが・・・。

蛭ヶ小島の史跡に到着。ここも周辺の歩道に韮山の歴史紹介のパネルが埋め込まれていたり、公園の中に源頼朝と北条政子の夫婦像(最近建てられたもの)がある。こちらも「こんなものか」と眺める。朝に三嶋大社に参拝した時、時間が早かったので入ることはなかったが、そこの宝物館にでも行けばよかったかなと思う。まあ、でも韮山という町(自治体としては伊豆の国市である)も一般にはそう来ることのないところであり、私として伊豆半島の中に新しく一歩を残したということでよかった。

言っておくが、決して「反射炉」そのものをディスっているわけではない。世界遺産のあり方に少し疑問を持っているだけで、反射炉の持つ史跡、産業遺産としての価値は素晴らしいものであることを、最後に改めて記しておく。

韮山から修善寺行きの列車に乗り、こちらは久しぶりとなる修善寺に到着。以前は温泉地に行ったり、源頼家の悲劇で知られる修禅寺(寺は「禅」の字を使う)を訪ねたりしたことがあるが、今回はバスの乗り換えですぐに出発する。目指すのは西海岸の土肥ということで・・・。
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富士の裾野の水の町 三島

2016年09月05日 | 旅行記D・東海北陸
静岡県をめぐる旅の最終日である20日は、遠江、駿河ときて残るもう一つの伊豆に向かう。その伊豆半島もどのように回ろうかということでいろいろ考えたのだが、とある乗り物が決め手になったかもしれない。

そのことはまた後々出てくるとして・・・とエラソーなことを言っているが、今回に限らず、静岡県は行っているようで行けていない県である。前にも触れたが、遠江の中心である浜松は駅の改札口から出たことすらないし、静岡も駅前の居酒屋しか知らない(以前に、大道芸の祭典が行われていたのを少し見た程度)。本当ならこうしたところをゆっくり見物するべきなのだろうが、いろいろと動き回りたいというのが私の旅の習性なのかもしれない。

この日は5時28分発の熱海行きで出発する。普段からこういう時間に出発することはあるので、早起きは別にどうということはない。駅のほうはもっと早起きで、東京行きのサンライズ瀬戸・出雲が4時38分に停車することもあって早くからコンコースも開いている。この日、静岡にもう一度戻るということもあり、キャリーバッグをコインロッカーに入れてから、青春18きっぷに改札印をもらう。熱海行きはロングシート車だが、ポツポツと乗車がある。

清水を過ぎ、由比のあたりからは駿河湾が見える。東海道線から海が見える数少ないスポットである。車窓としては結構好きなところだ。

富士川を渡る。富士山の姿も見るが、残念ながら裾のほうしか見えない。山頂は雲で覆われている。これは夏だから仕方のないことだと思う。新幹線で東京に向かう時でも、冬のような空気が澄んだ時は、頂上に雪をかぶったあの姿を見ることができるが、夏の富士というのを見た記憶がほとんどない。昔からそういうものだろう。いろんな絵に描かれている富士山の絵が決まって雪をかぶっているのも、そういう季節にしか頂上を見ることができないからではないだろうか。

静岡からちょうど1時間の6時28分に三島に到着し、ここで下車する。下車したのは、この後で伊豆箱根鉄道の駿豆線に乗るためである。中伊豆の中心にあたる修善寺を目指すということである。

ただ、今回はそれに加えて、三島というところそのものを見物の対象にした・・・というのがある。ここも新幹線での通過、あるいは伊豆箱根鉄道との乗換駅というくらいの接点しかなく、街並みを歩いたことがない。

その認識が変わったのが、司馬遼太郎のエッセイ「裾野の水、三島一泊二日の記」を読んでからのことである(読んだのは、文春文庫『以下、無用のことながら』所収のもの)。「富士の白雪 朝日でとけて とけて流れて 三島にそそぐ」という宴席での唄にもあるように、富士山からの水の恵みを豊富に受けているところである。夏の暑い時期、そうした「水の町」というのを聞くだけでも涼しげだし、司馬遼太郎が感心するというのはよほどのものかと思う。それなら朝早い時間のほうがいいかなと思い、朝5時半の出発となった。

その湧水も、三島駅から離れたエリアというわけではなく、町中、それこそ駅前にもある。

駅からすぐの楽寿園という庭園の南に水路がある。源兵衛川と呼び、自然の川というよりは、湧水を農業や生活用水として使うために造られた用水路である。源兵衛川で遊ぶ昔の子どもたちのパネルもある。ただ、生活環境の変化でこの川もいつしか環境破壊が目につくようになった。そこで町の人たちがせせらぎを取り戻すとして整備した。今は水の町としての三島のシンボルと言える。

新幹線の駅から歩いて5分でこのような涼しげなスポットがあるとは、これまで気づかなかった町の美しさである。地元の人の憩いの場として。

そんな水の町の中心に鎮座するのが三嶋大社である。古くから伊豆の国の一ノ宮として信仰を集めていたが、源頼朝が源氏の再興を祈願し、それが叶ったことでより一層信仰を集めた。朝の参拝ということで境内に人は少なかったが、大社の人たちが境内を掃き清めている光景を見たり、清々しい感じがする。このところ札所めぐりをやっていることもあり、どちらかといえば神社より寺院に肩入れしているのだが、三嶋大社の感じはよかった。もっとも、初詣や他の行事の時に来れば、混雑のために違った感想を持つのかもしれないが。

三嶋大社で折り返しとして駅に戻る。途中の水上通りには「三島水辺の文学碑」として、水路に沿って文学碑が並ぶ。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』もあるし、司馬遼太郎の一節もある。他には井上靖、若山牧水、太宰治など。その地を題材としたり、あるいは間接的にでも取り上げた文学碑というのはそう簡単に揃うものではなく、それだけ三島の湧水、水の町というのが、文学者の心に響くものがあると感じさせる。

文学碑の終点である白滝公園も、湧水をベースに自然を残した趣のあるスポットである。これもいいなと思う。駅前を少し歩いただけだが、その中でこの町のよさが印象に残った。実際に住むとなるとここならではの不便や短所も目の当たりにするのだろうが、静岡県ではあるが首都圏の空気も少し入ってくるところもプラスではないかと思う。

朝の三島散歩を終えて、これから乗るのは伊豆箱根鉄道。目的地は修善寺温泉というよりは、その手前の「世界遺産」・・・・。
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静岡にて

2016年09月04日 | 旅行記D・東海北陸
19日の夕方、静岡駅に到着。この日の宿泊は南口から歩いて2分のサイホテル。建物は昔からあるようだが、部屋は比較的最近改装された感じである。

夕方ということで、繁華街なら駅の北側にあるがそこまで行くこともないかなと、南口近辺で済ませることにする。ちょうどロータリーのわかりやすいところに「しぞ~か 駅南酒場」というのがある。前日の掛川に続き、こちらでも「1軒で静岡のあれこれをいただける店」ということで入ってみる。金曜の夕方、旅行者というよりは地元客、あるいは出張客という感じで賑わっている。道路に面したカウンターが辛うじて空いていて、一旦ドアを開けてから入りなおす。

ビールが昨夜からのサッポロ「静岡麦酒」ではなく普通のキリン一番搾りだったが、魚はいずれも静岡のものという売りである。生しらすとカツオのたたきを注文する。カツオのたたきは、カウンターの前でドラム缶に入れた藁に火をつけ、それであぶるという豪快なものである。

この「駅南酒場」は、静岡で展開している「海ぼうず」チェーンの一つである。そのチェーンつながりということで、向かいの「餃子研究所」の餃子もメニューに入っている。「男餃子」「肉餃子」「女餃子」の3種類があり、これのミックスというのがある。特に浜松餃子を意識しているというわけではないが、「肉」がスタンダードで、「女」がニンニクなし、「男」がニンニクたくさん・・・というもの。一皿で一緒に出てきて、「女⇒肉⇒男の順がおすすめ」とある。「女」はあっさりだが、やはり「男」はパンチが効いていて、汗がジワッと出てくる。結局この餃子が効いたこともあり、しぞ~かおでんはもういいかということになった。

ここにもある焼酎の緑茶割り「しぞ~か割り」。後からカウンターの横に入ってきたサラリーマンのグループはキープのボトルを出してもらい、割り方は「お茶で」と指定した。するとデキャンタに入った緑茶がデンと置かれた。他のテーブルでも出ているようで、緑茶割りを飲むのが静岡ではやはり一般的なのかと感じた。

宿に戻り、たまたまBS12(トゥエルビ)で大正ドームでのバファローズ対イーグルス戦を中継していたので観戦。まさか静岡でバファローズの試合中継を観ることになるとは思わなかった。ただこの試合、先発金子が得意のイーグルス相手に8回まで1失点と好投するも、打線が全然つながらず得点できない。金子も9回にダメ押しの2失点で力尽き、3対0で敗戦。試合中、バファローズファンからの苛立ちの野次が集音マイクに拾われていて、最後は「カネ返せ!!」と怒鳴っていた。ちなみにこの日は「オリ姫」のピンクのチェック柄のユニフォーム。ファッションとしてならまだしも、ユニフォームであの色と柄はないよな・・・と思っていたら、案の定ピンク柄での試合は4戦全敗だとか。もう、この企画とと、年々ブッ飛んだデザインになって収拾がつかなくなっている「夏の陣」は止めてほしい。・・・まあ、野球の話はこのくらいにして。

翌20日は大阪に戻る日であるが、どのように回るか、実はまだはっきり決めていなかった。静岡の近郊も訪れたことのあるスポットはそう多くないので、近郊でゆっくり過ごすか、あるいは遠江、駿河と来たのだから伊豆にも行って静岡県の三ヶ国を押さえるか。翌日は青春18きっぷも投入する。時刻表をいろいろ見る中で、やはり伊豆に向かうことにした。後は、あの半島をどう回るかである。結構遅い時間まで時刻表やタブレット端末での観光情報を見ながらあれやこれやと考え、ようやく結論を出した。

ひとまず決めたのは、翌朝は5時28分発の熱海行きで出発すること・・・・。

ちなみにこの日の深夜のオリンピック中継では、なぜか競歩に目がいった。最後まで順位が入れ替わる中、荒井広宙選手が銅メダルを獲得したのを見て就寝した(実はその後、反則があったとしていったんメダルが取り消しになったものの、日本側の抗議で順位が認められた、という経緯があった。それを知るのは翌朝のことだった)。
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大井川鐵道 SLかわね路号に乗る

2016年09月03日 | 旅行記D・東海北陸
朝から大井川鉄道の本線と井川線を往復。長島ダムでの途中下車では惜しいこともしたが、近鉄特急とトロッコ列車の乗車には満足した。それほど混雑もしておらず、のんびり列車に揺られるのはよい。特にトロッコは秘境を行く感じがして、もっと観光客の注目を集めてもよいのになと思った。そして最後はSLで締める。最近の大井川鐵道では同じSLでも「きかんしゃトーマス号」のほうで注目されていることが多いそうだが、私が乗りたいのは、昔ながらの、現実世界を走ってきたSLが牽引する旧型客車である。

その千頭まで列車が戻ると・・・朝とは全く違って賑やか。というか騒がしい。中でも目立つのは子ども連れ。訪れた8月19日は、平日ではあるが学校は夏休みの最中。千頭では6月11日~10月10日まで駅構内で「トーマスフェア」というのをやっていて、トーマス号やその仲間たちと触れ合えるというイベントである。外から機関車を見る分には無料だが、エリアに入るには小学生以上500円とある。それでも、ホーム上、駅の待合室には子ども連れであふれていて、駅の隣の建物2階にある休憩・飲食ゾーンは家族連れでびっしり。走り回ったりグズッたりする子どもの声と、それを叱る親の声。とても一人旅の人間がいられる場所ではない。

駅周辺にも食堂はあるが、混雑しているようだし、メニューを見てももう一つそそるものがない。昼食がまだだったが、結局は駅スタンドの立ち食いそばと、川根茶のソフトクリームというもの。前々日の日帰り四国八十八所めぐりでは昼食抜きになったし、前日の伊良湖岬も名物料理というほどでもない。このところ昼食が雑になっている。

気を取り直してホームに戻る。昼に新金谷から走ってきたSLかわね路号が停車している。本日の出動はC11 190号機。トーマス号の運転もあり、新金谷から走ってきたそのままで停車している。こうした写真なども撮りつつ時間を過ごす。改めて、こうした昔の姿を今に伝えるというのは貴重なことだと感じる。

14時前になると、14時10分発のトーマス号の乗車案内がされる。駅構内や駅周辺にいた子ども連れが次々とホームに向かう。旅行会社の旗を持った添乗員に連れられる一行もある。なかなか維持が大変だとは聞いているが、トーマス号(日によってはジェームス号)の集客はすごいものだと感心する。先ほどC11を見て「昔の姿を今に伝えるのは」と書いたが、今度はトーマス号を見て、ファンタジーの姿を現実にするのも思い切った策なだと感心する。

私の乗るかわね路号の発車はまだ先だが、私も再び改札内に入り、ホームの先端まで行く。ここで、出発するトーマス号の後姿を見る。客車はどれも大入り満員である。子どもたちにとっては、夏休みのよい思い出になることだろう。

さて、ホームに残ったC11だが、まだホームの車止めを向いたまま止まっている。これを金谷方面に持ってこなければならない。少し早めにホームに行ったのは、その一連の作業を見るということもある。まず列車全体がいったんバックした後、C11を切り離す。そして前に出て、今度はポイントを渡り、隣の線路をバックで走行する。そして駅を出た先で停車。手動でポイントが変わり、今度は転車台に向かう。都度、前進したり後退したりという作業に、見物客の中からは「結構手間がかかるもんだね」「こりゃ大変だ」という声があがる。

そして転車台。「あの回すやつって、機械で動くのかしら」という話し声の中、C11が所定の位置に収まると、5~6人がかりでレバーを押して転車台を回す。「あら、手でやるんだ~」という驚いた声をする。そして再び先ほどのところまで戻り、最後はバックで入線してくる。そして連結。「1回1回こんなことやってたら大変だろうね」、まさしくそんな感じだし、1回の入れ替えに何人の人が登場するかというところでもある。だから蒸気機関車のこの形が、両方に運転台を持つディーゼル機関車や電気機関車に代わり、そして車両そのものの両方に運転台がつく気動車や電車に代わっていったのも確かである。

C11が連結されて、カメラを構える人も多いが、都市部の駅で撮り鉄が罵声・奇声を発してバトルを繰り広げるような感じではなく、静かなものである。そういえば子どもの姿もそれほど見かけない。やはりトーマス号のほうに人気が行き、これは「ただのSL」という見方なのかもしれない。まあ、昔を知っているわけではないから(私もそうだが)無理もないのかな。もっとも、新金谷からの行きがかわね路号で、帰りがトーマス号という行程だったのかもしれない。

トーマス号が子どもたちに人気なら、C11が牽引するかわね路号は「大きいお友達」に人気というところか。いや、「大きいお友達」というのは私のようなごく一部だけで、大多数は「鉄道ファンというわけではないが、SL列車ってなかなか乗ることもないから観光の一つで」という感じの客である。

・・・ということで、乗るまでの記述が長かったのだが、旧型客車のオハ35に座る。7両の客車という堂々としたもので、ボックスにいい感じで埋まっていく。私のボックスには他の相客もなく、一人で占領する形になった。満席になるほどでもなく、1グループに1ボックスという形で席を割り当てた感じである。

ここは、旅のお供としてこういうものを持ち込む(「大きいお友達」にはあるまじきことだが・・・)。居酒屋で楽しむのもよいが、旅に出た先の景色、この日なら大井川沿いを眺めながらというのがよい。SL列車に乗ることのデメリットを一つ挙げるとすれば、「自分が乗っている列車、機関車の姿を見ることができない」ということで、これは乗り鉄の宿命で仕方がないこと。ならば呑み鉄という要素があっても・・・となる。

14時58分に出発。どの窓も大きく開け放たれての発車である。蒸気機関車で、そんなに窓を開けていたらトンネルの中に入ったら煤まみれになるのでは・・・と心配するが、案内放送では「窓から手や顔は出さないでください」とは言うものの。「窓を閉めろ」とは言わない。大井川鐵道のSLで使われる石炭は煙や煤の成分が少ないという話を聞いたことがある。たまのイベントではなく毎日走るものだから、沿線にも配慮しているということか。このため、トンネルの中も「少し煙るかな」という程度で突き抜けてしまう。

そんなことから、トンネルの中の車内の様子をカメラに収めると、昔の「夜汽車」という感じに見えなくもない。今はボックス席の夜行列車というのもなくなったことであるが、こういうのもどこかで復活運転されないかなとと思う。

景色は行きに見たのと同じであるが、SLが走るということで見物客の姿も多い。川沿いに露天風呂のある川根温泉では、入浴客が手を振っているのが見える。私も以前、入浴しながら鉄橋を渡るSLを見送って手を振ったことを思い出す。今回、川根温泉での立ち寄り入浴も考えたが、井川線にも乗るためにパスした形となった。ただそう言えば、今回の旅では翌日も含めてさまざまな温泉地を通過する形となったが、温泉には全然入らなかった。旅の後に会った友人とその話をしたら「何ともったいない」と言われたことである。

車掌が各車両を回り、ハーモニカの生演奏も披露する。これもまた旅の趣である。

家山では行き違いのために停車。金谷方面から来たのは、朝乗って来た近鉄特急の車両である。SLと近鉄特急の組み合わせというのもうならせるものである。

千頭からの1時間あまりはあっという間に過ぎ、新金谷に到着。SLはここが終点で、多くの客は改札口に向かうが、JRで金谷まで来た客はもう一駅乗り継ぎとなる。その接続列車として登場したのが、南海ズームカーである。この日、この形式に乗ることがあるかどうかというところだったが、一駅5分足らずだが乗車することができた。

金谷に到着。コインロッカーからキャリーバッグを引っ張り出し、東海道線に乗り継ぐ。この日の夜は静岡泊まりということで移動する・・・。
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長島ダムとミステリートンネル

2016年09月02日 | 旅行記D・東海北陸
大井川鐵道の井川線で現在の終点である接岨峡温泉まで行き、折り返しの便で長島ダムにて途中下車。フリーきっぷを持っているのでこのあたりは柔軟に動ける。

ダム駅で下車したのは私一人。駅はダムの上と同じ高さにあるが、向こう側に行こうと思えば一度ダムの下まで下り、また上る必要がある。高低差が100メートルだから結構しんどい。クルマの通れる道がジグザグ下っていて、その道をショートカットするように階段が所々にある。

なぜ途中下車の駅を長島ダムにしたか。一つは、アプト式を使うくらいの急勾配を行くトロッコ列車を外から見ようというもの。そしてもう一つは、これは客車にあったパンフレットを見て初めて知ったのだが、下のアプトいちしろまでウォーキングコースがあり、現在の線路になる前の廃線跡、そしてトンネルを通るというものである。廃線跡を歩くというのにひかれるし、ここは「ミステリートンネル」という、奥大井の一つのスポットになっている。同じ歩くなら、上りより下りのほうが歩きやすいかなと。

まずは、堤を下りながらトロッコ列車を見送る。普通の道路なら90パーミルの勾配はよくあるのだろうが、鉄道では異例である。先頭の電気機関車がブレーキの役目を果たす形でそろそろと下っていく。レールを刻む音がダムに響く。

下まで行くとそこはダムを見上げる公園である。ダム見物というのはあまりしたことがないのだが、下から見上げる構図というのも珍しいのではと思う。対岸に渡る橋は「しぶき橋」という名で、放水を間近に見ることから名づけられた。

今度は逆に階段を上がる。アプトいちしろへは遊歩道となっており、トンネルが現れる。トンネルは2つあり、これが最初である。とりあえず入ってみる。やはり空洞の中は外よりもいくらかひんやりしている。少し歩くと出口がうっすらと見え、双方の出口に差し込む外の光を頼りに歩く。

・・・ここで、お気づきの方もいるかもしれない。「懐中電灯は?」と。

そう、この時の私、懐中電灯は持っていなかった。光るもの、照らすものといえば、スマホの液晶画面とデジカメのフラッシュくらいで、こんなのは役に立たない。一つ目のトンネルは128メートルだったから通れたようなものだ。

トンネルを出るとキャンプ場が広がる。川に沿って、トロッコ列車とダムを見上げることができる。このキャンプ場も廃線利用だが、特に夜などは、周りに灯りもなく、より秘境感を味わうことができそうだ。トンネルを肝だめしに使うとか。

・・・で、その2つ目のトンネルだが、今度は375メートルと、先ほどの3倍の長さがある。そして入口には、「お楽しみドッキリ処があります」「野生の蝙蝠に逢うこともできます」という手書きの看板がある。「ドッキリ処」って何やねんと思うが、これがミステリーたる所以なのだろう。野生のコウモリというのも見たことがない。懐中電灯もなくこの距離に挑むのは無謀だと思いつつ、一方で「壁づたいに歩けば何とかなるか」という気持ちもあってそのまま入る。

・・・やはり、無謀だった。まだ後は日差しがあるものの、お先は真っ暗である。数十メートルは入ったが、やはり「こらあかん」と、回れ右で入口まで戻った。

廃線跡のウォーキングで、長いトンネルを潜った経験はある。ただ、それは長いトンネルを歩くことが事前にわかっていたから、懐中電灯はもちろん持参していた。しかし、今日のミステリートンネル歩きは、当日の現地で、急に思い立ったことである。やはり行き当たりばったりではあかんこともあるな・・・・と思う。

これは後で知ったことだが、ダムの上にある「ふれあい館」という長島ダムの紹介施設に行けば、ミステリートンネル用の懐中電灯の貸し出しがあるそうだ。もう少し上に行けばよかったことで、今となっては惜しいことをしたと思う。懐中電灯を借りなかったばかりに、このままアプトいちしろまで歩くことを断念しただけではなく、再びしぶき橋を渡り、高さ100メートルの堤をまた上って長島ダム駅まで戻らなければならなくなったので・・・。

上りの堤では息が上がり、駅に戻って次の列車に間に合ったのにホッとした。アプトいちしろからトロッコ列車が上がってきて、長島ダムで接岨峡温泉からの列車と行き違う。列車が行き違うだけでなく、電気機関車が切り離しと接続で下っていくのだが、私は客室に入り、ボックス席にどっかりと座って、まずは汗を拭く。

往路よりも復路は淡々と進む感じで、外の景色をボーッと眺めながら川沿いに下る。少しずつ人家が見えてきて、13時14分に千頭に到着。私が乗る14時53分発のSL「かわね路」までは結構時間があるが、昼食もまだだし、駅でゆっくりしようと思う。

ところが・・・・。
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大井川鐵道 アプト式列車に乗る

2016年09月01日 | 旅行記D・東海北陸
近鉄特急の車両で大井川に沿って北上して到着した千頭。ここから先は井川線のトロッコ列車に乗り換える。SLに乗るのは午後であり、まずはこの先の終点まで行くことにする。単に折り返すだけでなく、途中下車も可能である。

同線の始発列車である9時12分発の接岨峡温泉行き。先頭が運転台つきの客車で、5両つながっている。ディーゼル機関車が最後尾につく。後から列車を押し上げ、戻る時はブレーキの役割も果たす。女性車掌に、「真ん中の車両のほうが窓が大きく開いていて涼しいですよ」と案内される。朝の掛川や金谷に比べれば標高も上がっているが、日差しを受けると暑い。上3分の2が開いた窓の車両に乗る。乗客もさほど多くなく、1両あたり2~3組いる程度でゆったり座れる。車掌が各車両の扉を手で閉めて回り、フォーンが鳴って出発する。

千頭から先の井川線は、元々水力発電所建設の資材や人員輸送のために敷かれた中部電力の専用線である。今は大井川鐵道の路線として運行されているが、施設そのものは今でも中部電力のものだという。線路の幅は一般的な狭軌だが、元々は軽便鉄道、ナローゲージで建設されたため、カーブがきつかったり、トンネルや車両も小ぶりである。ただそれが独特の風情を出している。

大井川は進行右手ということで、日差しが気になるがそちらに座る。時速20~30キロくらい、いやそれより遅いだろうか、ゆったりした走りである。次の川根両国を過ぎると、本格的な山岳路線となる。日常では乗ることのない形式の列車の車窓を楽しむ。

元々が山奥の工事用路線であり、人口が多いわけではない。駅はあり、集落も見えるのだが、日常生活で井川線を利用する人というのはほとんどいないだろう。

奥泉に到着。ここから乗ってくる客がそこそこいる。この人たちは地元客というよりは、夏休みの帰省や旅行で来た感じで、せっかくなので井川線にちょこっと乗ってみるというところである。折り返しで奥泉に戻る、あるいは行った先にクルマで先回りするとか。

アプトいちしろに着く。ここから次の長島ダムまでは、日本で唯一のアプト式区間である。2本のレールの間に歯車があり、機関車は歯車を噛みながら上り下りする。井川線は非電化路線だが、この区間だけ電化されており、ディーゼル機関車の後に電気機関車がついて客車を押し上げる。長島ダムの建設にともない周囲が水没することになったが、大井川鐵道は新線を建設して存続する道を選んだ。その結果急勾配のルートとなったが、この時に採用されたのがアプト式である。ループ線を敷くと距離が長くなることから採用されたそうである。開業は1990年で、アプトいちしろ駅には「25周年」の看板もある。ここで機関車をつける作業を多くの乗客が見に来る。そして90パーミルの勾配に挑む。1キロ走って90メートル上る計算だ。あっという間に、先ほどいたアプトいちしろの辺りが小さくなり、右手に巨大なダムが出現した。高さ109メートル、幅308メートルという、見た感じ「要塞」である。

ここで電気機関車を切り離し、さらに進む。今度はダム湖が広がる。朝から線路沿いに見た大井川は砂利ばかりが目立っていたが、ここまで来ると別の表情である。そのダム湖にかかるレインボーブリッジを渡り、奥大井湖上に到着。鉄橋とダム湖の眺めがよいところで、奥泉から乗ってきた人を含めて半数以上の客が下車した。この列車が接岨峡温泉から折り返して来るとまた乗るのだろう。

10時22分、終点の接岨峡温泉に到着。井川線は本来この先の井川が終着駅だが、2014年に土砂災害があり、接岨峡温泉から先が運休となっている。復旧は来年1月の予定だそうだ。

折り返しまで30分ほどあり、駅から坂を下って集落に出る。千頭までバスがあり、トロッコ列車なら1時間以上のところ、30分で走るそうだ。ここはその名の通り温泉もあるし、パンフレットによれば奥大井湖上までのウォーキングコースもある。一列車遅らせてこれらを楽しもうかとも思ったが、接岨峡温泉についてはそのまま折り返しに乗ることにした。

奥大井湖上で先ほど下車した人たちを乗せ、長島ダムまで来た。ここで今度は前に電気機関車がつくが、その作業の間に荷物を持って列車を降りた。途中下車のポイントは長島ダムということで・・・・。
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