まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

京都三弘法まいり・1~東寺

2016年07月10日 | 四国八十八ヶ所
先に参加を表明した四国八十八所めぐり。その最初となる阿波・徳島の区切り打ち、その中でもぶつ切りにした第1回目について、次週の連休を使って行う予定である。ただ、連日暑い中であるし、1週間後は雨かもしれない。一応スケジュールは考えているが、一般の歩き遍路の人たちから見れば超ユルユルの行程に見えるかもしれない。まあ、ペースもなかなか読めないし、初めての地で体力がどのくらい持つかもわからないので、あまり無理はしないことにする(公共交通機関も大いに使うことだし・・・)。

さて、四国八十八所めぐりに向かう前に、道中の無事を祈願するということで京都に行ってきた。四国に行くのになぜ京都?というところだが、江戸時代に始まった風習に「京都三弘法まいり」というのがあるそうだ。

京都の中でも弘法大師空海にゆかりの深い東寺、仁和寺、神光院(じんこういん)の3つの寺を回るもので、元々は正月3ヶ日や弘法大師の縁日である21日に行われていたものが、江戸時代に多くの庶民が八十八所めぐりをするようになってからは、道中の無事を祈願し、東寺では菅笠、仁和寺では金剛杖、神光院では納札入れを授かり、それらを身に着けて四国へと旅立ったという。そして無事に戻って来れば、高野山奥の院と合わせてお礼参りを行った。いつしかその風習も廃れたが、4~5年前あたりから再び知られるようになった。やはり最近の遍路ブームや朱印ガールなどの影響があるのだろうか。

私もこの先何年かかるかもわからない(また、新西国三十三所めぐりも途中であるし)八十八所を無事に終えるよう、手始めにこの3つを回ってみることにした。

この3つについては特に順番は決まっていないようである。ということで、まずは京都駅に近い東寺に行き、仁和寺と神光院はそれぞれ京都駅からバスで直接行けるが、上賀茂神社の先にあって遠いほうの神光院を先にして、バスの乗り継ぎで仁和寺、帰りは嵐電と阪急で梅田に戻る・・・というコースを取ることにした。

大阪から新快速で京都に到着。コンコースは大勢の観光客を中心にごった返している。祇園祭の時季で、ちょうど1週間後が山鉾巡行である。また、京都水族館や京都鉄道博物館のある梅小路も人気スポットである。そういえば鉄道博物館、4月の開館以降まだ行っていない。最初のブームが多少落ち着いたら・・と思うが、その落ち着きというのは果たしていつになるやら。

さて向かうのは東寺。最寄駅でいえば近鉄京都線の東寺だが、京都駅からでも15分くらいで歩ける距離である。近鉄乗り場を横目に見て、八条口に出る。駅前広場の再開発が行われ、以前見覚えのある風景がガラリと変わっていた。

暑い中、新幹線の高架に沿い、近鉄のガードをくぐって大宮通に出ると、五重塔が見えてくる。真言宗総本山・教王護国寺が正式名称である。大宮通側の慶賀門から境内に入る。まずハスの花が出迎えてくれる。また、四国八十八所の地図があり、「四国霊場巡拝には先ず東寺御影堂にお参りをして」とある。高野山のお礼参りは広く行われているが、行く前に東寺へというのはそこまで知られていないのだろうか。そういえば遍路姿の人もほとんど見ない。

三弘法まいりの弘法大師のおわす大師堂はそのまま真っ直ぐ向かうことになるが、せっかく来たのだからと、有料エリアの拝観とする。東寺に来たのもいつ以来かな・・・?というくらい久しぶりである。20代、30代とJRの乗りつぶしで全国を回り、その中で観光も織り交ぜていたのだが、各地の「小京都」には好感を持つ一方で、本家の「京都」はどこか避けていた。観光地としてあまりにもメジャーになり過ぎていることへの反発心があったのかもしれない。それが最近は、札所めぐりを行うようになったこともあってか、京都の寺社に対する見方が変わってきたようだ。四国への「発心」もその延長かもしれない。

まずは五重塔を仰ぎ見る。

続いては金堂。薬師如来を中心に、日光・月光菩薩、そして薬師如来の台座を下から支える十二神将という「チーム薬師」が参詣者を迎え入れる。

そして講堂では大日如来を中心として21体の仏像が圧倒的な雰囲気で並ぶ。密教の教えを表現する密厳浄土の世界ということである。

講堂から再び無料エリアに戻り、食堂(じきどう)に向かう。納経所はここだが「まずは大師堂にお参りください」との表示がある。

ということで、室町期の建物である大師堂に向かう。有料エリアの金堂や講堂は参詣というよりは「見仏」のエリアだが、手を合わせてお願いごととなると大師堂のほうがしっくりくる。ここでは靴を脱いで上がる。納札を入れる銀色の箱もあり、初めて四国の納札を切る。ちょうど箱の口が、今朝方投票してきた選挙の投票箱をイメージさせる。輪袈裟だけは持参してきたので、これを首からかけてお勤め。ちょうど年配のご夫婦も入ってきて読経を始め、巡礼らしい雰囲気になってきた。

お勤めをしたということで、改めて食堂に入る。ここは東寺の納経所であるが、四国八十八所の本来の出発点らしく、さまざまな遍路グッズが売られている。一応、一揃えのものは通販で入手済みなのだが、東寺がこうなら、先に実物を見てもよかったかなというものもある。歩き遍路のバイブルとされている地図の実物を初めて手にしたが、中を見る限りでは今はまだいいかなという感じである。

その代わりに入手したのが、京都三弘法まいりのお守りとなる木札。先ほど、昔は東寺で菅笠を授かって・・・と書いたが、復活した今は菅笠が書かれた木札や、菅笠のミニチュアのストラップの形で並べられている。本日のミッションはこの木札3つを集めること。3つで道中の安全が叶うということで・・・。

三弘法の専用の納経帳(3つを衝立のように立てることができる)もあるが、ここで四国用に買い求めていた納経帳の後ろの空白のページに朱印をいただく。こちらも、後の空白のページに仁和寺と神光院の朱印が入る。これは専用の納経帳でなく、四国のものと一体ということでいいだろう。

東寺の前から四条大宮に行くバスがあり、仁和寺に行くには嵐電に乗り継げばいいかなとも思ったが、予定通り京都駅に戻る。来る時は通りの反対側を歩いていたので気づかなかったが、「焼酎バー 空海」という名前の店を見つける。うーん、早速空海がこんな形で出てくるとは。空海と聞くと「空海、飯『食うかい』?」などというダジャレで出てくるイメージだが、この焼酎バーはダジャレでなくそのままズバリ。結構大胆だ。

また東寺というと「東寺DX劇場」は確かこの辺りではないだろうか(行ったことがないのでわからないが)。この辺り、夜に来るとまた違った面白さがあるかもしれない。真言宗の総本山と、焼酎バーやDX劇場が隣り合っている風景・・・。

今の時間は昼食である。来る途中で見つけた「京都ラーメン研究所」という店に入る。しょうゆとんこつがおススメということでそちらをいただく。ほどよい濃さのスープと、太麺がよく合っている。研究の成果というやつか。

これで腹ごしらえもでき、午後から残り2つの寺院を回ることに・・・・。
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福良監督は最下位でも来季続投のようで・・・

2016年07月08日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
・・・このところ野球に関する書き込みが少なくなったが、時間のある時はCS中継など見ることはあった。それにしてもなかなか勝てないバファローズ。いつしか借金は20まで膨れ上がっている。

そんな中で、今季このまま最下位で終わったとしても、来季もそのまま福良監督が続投との方針だそうである。まあ、監督1年目であるし、毎年コロコロ替わりすぎるのもどうかと思うので、これはこれで仕方ないと思う。ならば、前の森脇監督にも同じような対応ができなかったのか。

で、当の福良監督はどう思っているか。今はシーズン中なので自分の進退を話すことはないとしても、シーズン終了後には進退伺いを出すくらいのことはあるだろう。その時に「来季は頑張ろう」という気持ちが持てているかがだが・・・。

フロントは、若手の積極起用を評価しているようだが、その若手も出たと思えばすぐ抹消される。先日決勝打を放った園部も、今日8日付で抹消。代わりにブランコとボグセビックが上がったが、活躍できるのかなと。これは監督の本意なのかなと。

それよりも、自分のチームを「智弁学園より弱い」と言った球団代表こそ責任を取って退くべきかと思う。チームの雰囲気を悪くしている原因の何割かは瀬戸山氏によるものではないか。チームを変えよう、真の大阪の球団にしようと言うのなら、西宮の球団以上の「超変革」がほしいのだが・・・・。
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四国八十八ヶ所巡り始めます

2016年07月07日 | 四国八十八ヶ所
西国三十三所めぐり、新西国三十三所めぐりを行っていて、特に新西国はまだ全体の3分の1をクリアしたところなのだが、この夏、四国八十八ヶ所の霊場巡りを始めることにした。

ブログなどで「なぜ四国遍路を始めたのか」ということについて書かれているのを読むと、人生の転機だとか、誰かの供養だとか、あるいは自分を見つめ直すとか、それぞれの想いがある。また一方では四国観光の延長とか、とにかく歩くのが好きだとかいうのも結構ある。

私の場合は、その中間なのかなと思う。これまでJRのキャンペーンをきっかけに西国を回り、今度はその延長で新西国を回っているが、心のどこかに「メジャー挑戦」に似た願望が出てきたのだと思う。そうなると、日本で一番参加者の多い四国八十八ヶ所である。JRの乗りつぶしのように、何かテーマを決めて行き倒すという感じかな。だから、どちらかと言えば修行というよりは観光に近いかもしれない。

四国八十八ヶ所巡りはそれ自体が旅のジャンルとして確立しているが、巡礼の手段や日数などによりさらに細分化される。まず手段として主なものは「歩き」「車」「バスツアー」である。個人のブログでよく見るのは歩きと車だが、中には自転車やバイク、そして少数派だが公共交通機関がある。また日数としては、一度に全部回る「通し打ち」に対して、途中で打ち切って次回その続きから始める「区切り打ち」、四国1県単位で回る「一国打ち」などさまざま。

この中では、歩きの通し打ちがもっともすばらしいとされているが、これができるのはほんの一握り。大多数が、通し打ちでも車かバスツアーで、歩きの人も何回かに分けて回っている。それぞれメリットとデメリットがあり、四国八十八ヶ所の霊場会でも「公式ルール」があるわけではないので、それぞれが思うようにできる。この辺りは西国三十三所、新西国で体験済みである。

ただ、四国の巡礼は「遍路」という言葉にもあるように、「弘法大師が歩いた道をたどる」ことに意義があるようだ。このため、回る順番やルートにはこだわりを持っている人が多いように思う。

・・・・これらを踏まえて、私なりの四国八十八ヶ所巡りのルールと考えているのは、

①西国、新西国でやっている「くじ引きとサイコロで次の行き先を決める」ことはしない。一応、札所順に行くつもりである(行程の関係で多少前後するのは仕方ないとして)。

②回るのは、歩きもしつつ、公共交通機関も大いに使う。特に札所間が離れているところはそうだし、難関とされる山越えも公共交通機関に委ねることが多くなると思う。これは四国のローカル列車やローカルバスにも乗りたいということもある。宿泊については交通機関の便とも相談。よく「区切り打ち」の場合は、前回中断した地点から再開することを聞くが、そこも厳格にはこだわらず、次の札所に直接向かうこともあり。

③車(レンタカー)やバスツアーについては、やむを得ない場合のみ活用する。ただ、エリアには高知や愛媛といった遠方もあるし、また、いろんな回り方をする意味で利用するかもしれない。

④四国各県で1試合は四国アイランドリーグの試合観戦を日程に組み込む。・・・これは考えようによっては歩き遍路より日程の縛りがキツくなりそう。野球のシーズンは限られるし、回るエリアと試合日程が上手く合うか、またそのタイミングに出かけることができるか。一応、私も勤め人だし、日常の予定もいろいろあるので・・・。ただ、せっかく四国を回るのだから、四国でしか観ることのできない野球を観て、地域の雰囲気を味わいたい。遍路姿で球場に乗り込んでみようかな。

・・・という感じなので、全て回るまでの期間は設けない。まあ、死ぬまでにできればというところである。こんな緩い巡礼であるが、「八十八の寺に行く」だけでも大変である。

・・・実は出発の日も近い。これからは、このことについてもあれこれ書くことに・・・。
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第10番「橘寺」~新西国三十三所めぐり・14(南無和国教主聖徳太子)

2016年07月06日 | 新西国三十三所
石舞台古墳から飛鳥川に沿って15分ほど歩くと、橘寺の下に出る。この橘寺と川原寺跡が道を挟んで向かい合っているのは、飛鳥の中でも好きな景色である。少し小高いところにある橘寺の伽藍は、コンパクトながらよくまとまっているように見える。

今回は東側の門から入る。寺の造りからすれば西側の門から入るのが正門のようだが、東門から上がった正面に本堂があるから、こちらが正規のルートのようではある。

新西国の観音札所めぐりということなら観音堂にまずはお参りとなるだろうが、ここはまずは本堂である。聖徳太子の生誕地にあるという橘寺。寺の本尊は聖徳太子である。

靴を脱いで本堂に上がり、お勤めを行う。聖徳太子を前に般若心経というのも独特な気分である。宗派としては天台宗であるが、聖徳太子崇拝の色が濃いところである。

一通りお勤めした後で、内陣に入る。聖徳太子の前に控える形で伝教大師最澄、そして法然が祀られており、もっとも奥に聖徳太子の像がある。聖徳太子・・・今はもう学校では教えないそうだな。実在そのものも疑われているとか、厩戸皇子という人物はいたが、伝説的なことや摂政としての業績については別の人物のものだったとか。まあそれはそういうこととして、ならばなぜ聖徳太子伝説や信仰というのが起こり、今に至るまで受け継がれてきたのか。学校の授業でそこまで教えるのは難しいかもしれないが、少なくともそういう伝説や信仰があることについては「教養」として取り上げる必要があるのではないかと思う。

回った後で納経帳に朱印をいただく。新西国としては「聖徳殿」という文字が書かれる。聖徳太子の「和の道」をテーマとした新西国札所、そのルーツともいうべきところを回ることができ、まずは一段落かなというところだ。

この跡、観音堂で如意輪観音像を拝んだ後で、次の行き先を決めるくじ引きとサイコロである。境内の休憩所にリュックを下ろし、休憩がてら次の行き先選びである。

1.滝野(光明寺)

2.長岡京(楊谷寺)

3.貝塚(水間寺)

4.京都市街(誓願寺、大報恩寺)

5.高槻(神峯山寺、安岡寺)

6.福崎(金剛城寺)

・・・このところ続けて出ている滝野の光明寺が気になる。兵庫県に結構固まる新西国の札所。

そして出たサイコロの目は・・・「6」。福崎である。あらあら・・・姫路よりもさらに向こうに行くことに。それも山陽道ではなく、播但線を北上するというもの。行くなら青春18きっぷを使って元が取れるというところだ。

これで本日の目的地である3つの寺を回り、もういいかなという気分である。後は飛鳥駅に戻るとして、途中その前を通る亀石はチェックしたものの、高松塚古墳ももういいかなと素通り。暑さの中、ともかく無事に駅にたどり着くのを第一とする。

・・・何だか、暑さ暑さばかりが強調された飛鳥散歩であるが、その中でどのくらい動けるのか、どういう装備や持ち物が必要なのかの「試み」になったようなところはある。本当は飛鳥くらいで音を上げてはいけないのだが・・・・。
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第7番「岡寺」~西国三十三ヶ所2巡目・5(猛暑の飛鳥歩き)

2016年07月05日 | 西国三十三所
橿原神宮前駅からの飛鳥周遊のウォーキング。30度は軽く超えているが、こういう中でどこまで歩けるのか。

飛鳥寺の飛鳥大仏を参詣した後で、今度は西国7番札所の岡寺へ。1年前に来たときは石舞台古墳から飛鳥周遊歩道なる道を歩いて山門の下に出てきたが、飛鳥寺方面からだと表参道に当たる鳥居に出る。寺の玄関が鳥居というのに違和感を持つ方が多いだろうが、これも神仏習合の名残である。この鳥居の回りは、古代飛鳥の遺跡というよりは、岡寺の門前町の風情を残すところである。ここから坂道を登ると岡寺の境内にいたる。

途中、岡本寺の小さなお堂の前を通る。舒明天皇の岡本宮という旧蹟を伽藍としたとも言われている。これから向かう岡寺、正しくは龍蓋寺というのだが、この「岡にあるお寺さん」ということから「岡寺」になったとか。

坂道の上に車道が通っており、その高架橋のたもとにスペースがある。レンタサイクル利用の参詣者は、自転車をここに停めるようにとある。そりゃ、自転車を押せば上に行けるが、下りが危険ということからである。長くはないが勾配の急な坂が続く。

岡寺の山門に到着。飛鳥寺からさほど遠くない距離を歩いただけでも汗だくで、作法通りに手水場で手を清めた後、作法に反するとは思うが柄杓の水を両腕にぶっかける(さすがに、顔を洗うまでのことはしなかったが)。石段を上って鐘をついた後、屋根つきの休憩所でしばらく休んでからお参りとする。

岡寺の本尊である如意輪観音像。高さ4.85メートルと、塑像の仏像としては日本最大のものだが、現在修復作業中ということで、本陣の観音像の周りに足場が組まれている。ただそれでもお参りは可能。内陣ではちょうど厄除けの祈祷に来た人のために僧侶が読経中のため、邪魔にならないよう本堂の外でお勤めを行う。

般若心経を読む僧侶の響きある声が聞こえる。声の大きさ、太さはさすがプロの僧侶だなと感心するが、時折「??」と感じるところがある。それは息継ぎのために読経を一旦切るところ。息継ぎで切るのはいいのだが、センテンス・単語の途中で切るのが気になる。般若心経を一つの呪文とすれば大勢に影響するものでもないし、僧侶の方もリズムでそうしているのだろうし、祈祷を受ける人も別に気にする様子もない。ただ、般若心経を「一つの文章」としてとらえると、本読みで中途半端なところで句読点を打っているのと同じである。相手はプロの僧侶だし、私も人のことを言えた口ではないのでそこは突っ込まないが・・・。

本堂に上がり、他の仏像や西国札所の各本尊が一同に介したのをお参りした後で、納経所に向かう。久しぶりに西国先達用の納経帳の巻物に筆が入る。これで5ヶ所目だが、まあこちらは期限を切らずにのんびりと集めればいいかなと思う。

奥の院から大師堂まで一通り回る。ちょうど12時を回った後で、昨年の8月15日、戦後70年のサイレンをこの寺の山門で聞いたのを思い出す。この道の途中で本堂を見下ろせるところがあるが、ちょうど笈摺に先達の輪袈裟姿の人が何人も見える。バスツアーで来た人たちだろうか。

岡寺の次は再び新西国で橘寺に行くが、昼も回って空腹なので食事とする。またせっかくなので石舞台古墳だけは見学する。当初は、ここからさらに奥に入った祝戸地区まで行き、棚田の景色を見ようと思っていたが、暑さのために断念する。この日は結局3つの札所めぐりをこなすという結果になりそうだ。

岡寺から石舞台は、飛鳥周遊歩道だとアップダウンが激しいが、車道を行けば坂もなだらかで、早く到着する。まずは食事ということで、石舞台の下にある「夢市茶屋」に入る。久しぶりの冷房が心地よい。昼食に選んだのは「古代米御膳」。昔風の赤米のごはんに、地元で採れた野菜を中心とした一品。それらは美味しかったが、一番体に響いたのは吸い物の汁気。汗を出した体がそれを欲していたのか。この後何もなければ生ビールでも行きたいところだが、これからまだ歩かなければならない。アルコールなど飲んだら大変なことになりそうだ。

食後はまず石舞台を見学する。そこに存在することに大きな価値はあるが、構成物は石と石室だけである。見学するのに多くの時間を割くわけではない。次の橘寺を目指して再び歩く・・・・。
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第9番「飛鳥寺」~新西国三十三所めぐり・13(1年ぶりの飛鳥大仏)

2016年07月03日 | 新西国三十三所
久しぶりの新西国三十三所めぐりは、飛鳥編。飛鳥と言えば聖徳太子が活躍した舞台である。この新西国の観音霊場には聖徳太子ゆかりの寺院も多く含まれており、四天王寺や太子町と合わせて、この飛鳥の寺も含まれている。元祖の西国三十三所はこの地域では岡寺と壷阪寺があるが、聖徳太子や蘇我氏ゆかりの橘寺や飛鳥寺は除かれている。一方で、聖徳太子と言えば最もイメージされそうな法隆寺はいずれにも含まれていない。新西国にも含まれていないのは、法隆寺側がそうした「札所」というのに名を連ねるのを固辞したからだという説もある。

この飛鳥編だが、昨年の8月15日に訪れている。この時は西国を「くじ引きとサイコロで回る」ということで岡寺が目的地で、その「ついで」ということで橘寺、飛鳥寺を訪ねた。それが1年経過して立場が変わり、今度は両寺がメインである。ただその間に少し坂道を上るが岡寺があるので、西国2巡目(先達1巡目)の参詣も行おうと思う。前回は飛鳥駅から反時計回りに歩いて橿原神宮前駅に出たが、今回は橿原神宮前を起点として、時計回りで行こう。そして、前は乗らなかった明日香周遊バスの「かめバス」にも乗ってみることに。全コース歩いてもいいし、来たるべき日のためにここは歩くべきかなとは思うが、何せ朝から暑い。無理せず体力の温存ということも考えたい。

橿原神宮前駅の東口に到着。橿原神宮への玄関口で、神殿をイメージした正面の駅舎とは異なり、日常の風景が広がる。まずここから「かめバス」に乗って、飛鳥資料館に行くことにする。時刻表では30分に1本で、ちょうど南大阪線の急行と接続するダイヤで、この次は10時06分発。

・・・ただ、バスがやってこない。これは何かおかしいなと改めて停留所の時刻表を見ると、「6分」のところには※印があり、「4~5月、10~11月運転」とある。ああ、春と秋の行楽シーズンのみの運転か・・・。であれば次は30分後の便に乗ればいいのだろうが、駅前で待つのもかったるい。結局暑い中、逆の行動をするようだが、30分待つ間に少しでも歩くことにする(飛鳥散策といえばレンタサイクルが定番なのだが、ここはあえて無視)。リュックのベルトを前で締めて、ウォーキングの姿勢である。そのまま明日香村方面に向けて歩く。まあ、1年前に来た時も「バスの時間が合わない」という理由で飛鳥寺から橿原神宮前まで歩いており、そのこともあって距離が短く感じる。

前回はパスした甘橿丘の遊歩道を上る。飛鳥の集落、大和三山がよく見渡せ、その先の葛城・生駒山系も見ることができる。ちょうど来ていたウォーキングのグループらしい人たちも「飛鳥に来たら、ここに来て景色見んと始まらんわ」と話している。

バス利用なら飛鳥資料館に行くところだが、歩きということでそこまで行くのはパスして、そのまま飛鳥の集落に入り、右折して飛鳥寺に至る。橿原神宮前駅からここまで歩いただけで汗びっしょりである。水分も取りながらだが、すぐに空く。参詣の前にまずは休憩だ。

今の飛鳥寺は小ぢんまりとした境内だが、歴史的に由緒あるところということで訪れる人が多い。まずは本尊の飛鳥大仏の拝観で、受付で拝観料とともに納経帳を渡す。出た後で受け取りということだ。

一般に本尊の撮影というのは禁止されているが、ここ飛鳥大仏は大らかである。脇にある阿弥陀如来、聖徳太子十六歳像と合わせて、撮影が自由である。その前に、ある程度参詣者が集まると寺の人が飛鳥寺の由緒を案内してくれる。今でこそ小ぢんまりとしているが、当初は今の20倍の敷地の中に、塔を中心に3つの金堂、回廊を持つ本格的寺院であった。日本の仏教興隆を願ってのことであるが、これが飛鳥の地に、今の四天王寺や法隆寺のような形でそのまま残っていたら、観光地・飛鳥の雰囲気もまた違ったものになっただろう。

飛鳥大仏に手を合わせ、納経帳も受け取る。ただ新西国めぐりでも行っているいわゆる「お勤め」がまだである。さすがに観光客が次々に来る飛鳥大仏の前というのもはばかられるし、新西国の札所として聖観音像が安置されているのは横の思惟殿。ここでは、そちらでお勤めということにする。経本など広げているのは私だけである(新西国の朱印に書かれているのは「飛鳥大佛」)。

この後は境内の外にある蘇我入鹿の首塚を見た後で、南に向かう。前回立ち寄った万葉文化館や酒船石は素通りして、板蓋宮跡に出る。新西国のこの日2つ目の札所である橘寺は田畑の向こうに見える。

続いて訪れるのは岡寺。一旦、投稿のカテゴリーを「西国三十三ヶ所」に変えることに・・・。
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西国三十三所札所会 先達委員会への招待状

2016年07月01日 | 西国三十三所
このところ西国三十三所関連の書き込みが少なくなっているが・・・昨年の12月に満願、今年の年初めに補任された西国三十三所の先達。

毎年1回、この札所会の主催により、「先達委員会」というのが開かれる。講話をいただいたり、新たに大先達など上の位に昇進した人の表彰があったり、あるいは先達同士の交流を深めるというものである。

先達に補任された折にこういうのがあるというのは聞いており、都合が合えば参加してもいいかなと思っていた。そこに招待状である。

開封して開催日時を見てみたが・・・・9月6日、それは火曜日。普通のサラリーマンでは出席できるものではない。当日の飛び入り参加はできず、出席するなら7月末までに参加費を振り込む必要がある。日程的にそこに休みを持って来ることはできないので、残念ながら不参加ということに・・・。

うーん、こういう先達って、時間の自由が利きやすいお年寄り向けなのかなと思う。一般の勤め人で、この手の催しに参加できる人というのはごく限られているのではないだろうか。今回は火曜日開催だが、土日に開催するということはないのか。

参加できないのは残念だが、今のところは「招待状をいただいた」ということでよしとする。これで先達の末端に座らせてもらえるということで。

・・・話は変わるが、このところの札所めぐりに関連して、この夏から「実は・・・」と考えていることがある。また時期が近づいたら書くとととして・・・・。
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