神光院に参詣後に乗り込んだバスは北大路バスターミナル行き。うーん、途中の北大路堀河まではこれで行くとして、その後の乗り継ぎを考えると失敗だったかなと。
北大路堀河で乗り換える系統は、金閣寺に立命館大学と、仁和寺の方向には行くが、仁和寺までは行かない。結局、立命館大学で下車して次のバスを待つか、残りを歩くかである。一日乗車券を買っていなかったので、乗るたびにバス代が発生するのも惜しい。
立命館大学から仁和寺までは歩くことにして、バスに乗り込む。びっしり満員で、乗客の多くは西洋人、韓国人である。一瞬、どこの国に紛れ込んだかと思う。これらの乗客は全員金閣寺で下車した。金閣寺か・・・ここもずっと行ってないなあ。西国、新西国と回り、これから四国に挑戦するということで寺ばっかり回っている感じだが、歴史的なものからその多くは真言宗、天台宗であり、鎌倉仏教系統というのは皆無と言っていい(あ、今年の初詣は永平寺だった)。特に浄土真宗や日蓮宗などは、巡礼で唱える般若心経はお嫌いなようで・・・。
だからというわけではないが、臨済宗の金閣寺(鹿苑寺)もなかなか対象に入ってこない。まあ、三島由紀夫の『金閣寺』、水上勉の『金閣炎上』、そして酒井順子の『金閣寺の燃やし方』を読んだこともあり、またそうした舞台を感じてみたい。
立命館大学に到着。地図で見た感じでは、仁和寺までは20分もあれば着く感じである。蒸し暑さの中だが、金閣寺から龍安寺を経て仁和寺に至る道は「きぬかけの路」という名がついている。途中には緑のエリアもあり、枯山水で有名な龍安寺の庭の外周も見ることができる。これはこれで、バスに乗れなくて歩きでよかったと思う。四国に行けば嫌でも歩かなければならないのだから、前向きに考えないと。
遠くに仁和寺の大きな仁王門が見えてくると目的地は近い。堂々とした造りの仁王門に出る。仁和寺は真言宗御室派の総本山。私の地元藤井寺にある西国5番の葛井寺も御室派の寺で、桜の時季には仁和寺のポスターも貼られてたりする。
仁王門をくぐると、寺というよりは御所を思わせる幅の広い参道が続く。入ったすぐ左が御殿だが、有料エリアということもあり、入らずそのまま本堂を目指す。もう一つ中門を過ぎると寺らしい境内となる。東寺とは一味違う感じの五重塔があり、正面には国宝の金堂が建つ。
仁和寺は真言宗であるが、本尊は阿弥陀如来である。御室というのは宇多天皇がここで出家して法皇になったことからだが、本尊を阿弥陀如来にしたのは当時世に広まりだした浄土信仰、阿弥陀信仰の影響があったからとも言われている。ただその阿弥陀三尊は金堂には安置されておらず、霊宝館に収められていて、季節限定での公開である。そのためか、金堂の建物は立派だが、ここで手を合わせようという人が少ないように見える(これはあくまで私がこの日訪れた感想であって、実際には御室派の総本山なのだし、写経や法話の催し、年中行事も盛んに行われている)。
三弘法まいりとしては大師堂を目指す。金堂の前を左に曲がり、境内の北西の角にある。この日3回目となるお勤め。赤の輪袈裟も少しはなじんだかな。
ちなみに、境内の裏には御室八十八所というのがある。全長3キロで、手を合わせながらで所要2時間とある。時間があれば四国の手始めにこちらからとも思ったが、結局パス。ポスターによれば、春と秋には八十八所をそれこそ朱印ならぬスタンプラリーで回るウォーキングイベントが行われる。
金堂の前にある納経所に向かう。四国の納経帳を出すと「弘法大師さんでよろしいな」と確認した後で筆を走らせる。「御室弘法大師」とある。
そして、三弘法の最後、金剛杖が描かれた木札をいただく。これで3つ揃ったので、木札を入れるケースと満願証も合わせて購入する。これで、旅の安全の御守りとなる。実際の八十八所めぐりでは、金剛杖こそ購入したが、菅笠は荷物になりそうなので普通の帽子、納札入れも、納札そのものが昔のような木の札ではなく紙だし、西国の時にも使っていたビニールケースであるが。ともかく、これでまずは一番札所を目指すことに・・・・。
帰りは嵐電の御室から乗車。帷子ノ辻で四条大宮行きに乗り換える。次の太秦広隆寺は、東映太秦映画村の最寄駅で、前に乗った時は車内放送で「暴れん坊将軍」のテーマ曲が高らかに流れていたのが印象的だった。実は嵐電に乗ったのも一つは車内に流れる「暴れん坊将軍」を楽しみにしていたのだが、残念ながら全く別の何のインパクトもないものになっていた。あらあら・・・。
北大路堀河で乗り換える系統は、金閣寺に立命館大学と、仁和寺の方向には行くが、仁和寺までは行かない。結局、立命館大学で下車して次のバスを待つか、残りを歩くかである。一日乗車券を買っていなかったので、乗るたびにバス代が発生するのも惜しい。
立命館大学から仁和寺までは歩くことにして、バスに乗り込む。びっしり満員で、乗客の多くは西洋人、韓国人である。一瞬、どこの国に紛れ込んだかと思う。これらの乗客は全員金閣寺で下車した。金閣寺か・・・ここもずっと行ってないなあ。西国、新西国と回り、これから四国に挑戦するということで寺ばっかり回っている感じだが、歴史的なものからその多くは真言宗、天台宗であり、鎌倉仏教系統というのは皆無と言っていい(あ、今年の初詣は永平寺だった)。特に浄土真宗や日蓮宗などは、巡礼で唱える般若心経はお嫌いなようで・・・。
だからというわけではないが、臨済宗の金閣寺(鹿苑寺)もなかなか対象に入ってこない。まあ、三島由紀夫の『金閣寺』、水上勉の『金閣炎上』、そして酒井順子の『金閣寺の燃やし方』を読んだこともあり、またそうした舞台を感じてみたい。
立命館大学に到着。地図で見た感じでは、仁和寺までは20分もあれば着く感じである。蒸し暑さの中だが、金閣寺から龍安寺を経て仁和寺に至る道は「きぬかけの路」という名がついている。途中には緑のエリアもあり、枯山水で有名な龍安寺の庭の外周も見ることができる。これはこれで、バスに乗れなくて歩きでよかったと思う。四国に行けば嫌でも歩かなければならないのだから、前向きに考えないと。
遠くに仁和寺の大きな仁王門が見えてくると目的地は近い。堂々とした造りの仁王門に出る。仁和寺は真言宗御室派の総本山。私の地元藤井寺にある西国5番の葛井寺も御室派の寺で、桜の時季には仁和寺のポスターも貼られてたりする。
仁王門をくぐると、寺というよりは御所を思わせる幅の広い参道が続く。入ったすぐ左が御殿だが、有料エリアということもあり、入らずそのまま本堂を目指す。もう一つ中門を過ぎると寺らしい境内となる。東寺とは一味違う感じの五重塔があり、正面には国宝の金堂が建つ。
仁和寺は真言宗であるが、本尊は阿弥陀如来である。御室というのは宇多天皇がここで出家して法皇になったことからだが、本尊を阿弥陀如来にしたのは当時世に広まりだした浄土信仰、阿弥陀信仰の影響があったからとも言われている。ただその阿弥陀三尊は金堂には安置されておらず、霊宝館に収められていて、季節限定での公開である。そのためか、金堂の建物は立派だが、ここで手を合わせようという人が少ないように見える(これはあくまで私がこの日訪れた感想であって、実際には御室派の総本山なのだし、写経や法話の催し、年中行事も盛んに行われている)。
三弘法まいりとしては大師堂を目指す。金堂の前を左に曲がり、境内の北西の角にある。この日3回目となるお勤め。赤の輪袈裟も少しはなじんだかな。
ちなみに、境内の裏には御室八十八所というのがある。全長3キロで、手を合わせながらで所要2時間とある。時間があれば四国の手始めにこちらからとも思ったが、結局パス。ポスターによれば、春と秋には八十八所をそれこそ朱印ならぬスタンプラリーで回るウォーキングイベントが行われる。
金堂の前にある納経所に向かう。四国の納経帳を出すと「弘法大師さんでよろしいな」と確認した後で筆を走らせる。「御室弘法大師」とある。
そして、三弘法の最後、金剛杖が描かれた木札をいただく。これで3つ揃ったので、木札を入れるケースと満願証も合わせて購入する。これで、旅の安全の御守りとなる。実際の八十八所めぐりでは、金剛杖こそ購入したが、菅笠は荷物になりそうなので普通の帽子、納札入れも、納札そのものが昔のような木の札ではなく紙だし、西国の時にも使っていたビニールケースであるが。ともかく、これでまずは一番札所を目指すことに・・・・。
帰りは嵐電の御室から乗車。帷子ノ辻で四条大宮行きに乗り換える。次の太秦広隆寺は、東映太秦映画村の最寄駅で、前に乗った時は車内放送で「暴れん坊将軍」のテーマ曲が高らかに流れていたのが印象的だった。実は嵐電に乗ったのも一つは車内に流れる「暴れん坊将軍」を楽しみにしていたのだが、残念ながら全く別の何のインパクトもないものになっていた。あらあら・・・。