まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第10番「橘寺」~新西国三十三所めぐり・14(南無和国教主聖徳太子)

2016年07月06日 | 新西国三十三所
石舞台古墳から飛鳥川に沿って15分ほど歩くと、橘寺の下に出る。この橘寺と川原寺跡が道を挟んで向かい合っているのは、飛鳥の中でも好きな景色である。少し小高いところにある橘寺の伽藍は、コンパクトながらよくまとまっているように見える。

今回は東側の門から入る。寺の造りからすれば西側の門から入るのが正門のようだが、東門から上がった正面に本堂があるから、こちらが正規のルートのようではある。

新西国の観音札所めぐりということなら観音堂にまずはお参りとなるだろうが、ここはまずは本堂である。聖徳太子の生誕地にあるという橘寺。寺の本尊は聖徳太子である。

靴を脱いで本堂に上がり、お勤めを行う。聖徳太子を前に般若心経というのも独特な気分である。宗派としては天台宗であるが、聖徳太子崇拝の色が濃いところである。

一通りお勤めした後で、内陣に入る。聖徳太子の前に控える形で伝教大師最澄、そして法然が祀られており、もっとも奥に聖徳太子の像がある。聖徳太子・・・今はもう学校では教えないそうだな。実在そのものも疑われているとか、厩戸皇子という人物はいたが、伝説的なことや摂政としての業績については別の人物のものだったとか。まあそれはそういうこととして、ならばなぜ聖徳太子伝説や信仰というのが起こり、今に至るまで受け継がれてきたのか。学校の授業でそこまで教えるのは難しいかもしれないが、少なくともそういう伝説や信仰があることについては「教養」として取り上げる必要があるのではないかと思う。

回った後で納経帳に朱印をいただく。新西国としては「聖徳殿」という文字が書かれる。聖徳太子の「和の道」をテーマとした新西国札所、そのルーツともいうべきところを回ることができ、まずは一段落かなというところだ。

この跡、観音堂で如意輪観音像を拝んだ後で、次の行き先を決めるくじ引きとサイコロである。境内の休憩所にリュックを下ろし、休憩がてら次の行き先選びである。

1.滝野(光明寺)

2.長岡京(楊谷寺)

3.貝塚(水間寺)

4.京都市街(誓願寺、大報恩寺)

5.高槻(神峯山寺、安岡寺)

6.福崎(金剛城寺)

・・・このところ続けて出ている滝野の光明寺が気になる。兵庫県に結構固まる新西国の札所。

そして出たサイコロの目は・・・「6」。福崎である。あらあら・・・姫路よりもさらに向こうに行くことに。それも山陽道ではなく、播但線を北上するというもの。行くなら青春18きっぷを使って元が取れるというところだ。

これで本日の目的地である3つの寺を回り、もういいかなという気分である。後は飛鳥駅に戻るとして、途中その前を通る亀石はチェックしたものの、高松塚古墳ももういいかなと素通り。暑さの中、ともかく無事に駅にたどり着くのを第一とする。

・・・何だか、暑さ暑さばかりが強調された飛鳥散歩であるが、その中でどのくらい動けるのか、どういう装備や持ち物が必要なのかの「試み」になったようなところはある。本当は飛鳥くらいで音を上げてはいけないのだが・・・・。
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