強い雨が降り、そしてすぐに上がった大日寺を出て地蔵寺に向かう。余計に蒸し暑さが増したような気がする。緩やかな坂道を下る。先ほどお参りしていた人たちはクルマの人が多いようで、何台か追い越して行く。
徳島自動車道の高架をくぐると家の数が増えてきた。その中を抜け、大日寺から30分ほどで地蔵寺の奥の院にあたる五百羅漢に着く。こちらは地蔵寺のおススメスポットと言われている。四国八十八所の寺は入山料無料が基本だそうだが、こちらは拝観料200円かかる。建物はコの字の形をしており、左手の弥勒堂から入り、中央の釈迦堂を経て右手の大師堂に出る。その間の回廊に羅漢像がある。
五百羅漢の羅漢とは釈迦の弟子であり、仏教の中では、修行の成果、人間として最高の地位を得た者とされている。そのためか顔かたちに人間味があるのが特徴。五百羅漢を見ると必ず自分や知人に似た顔の像があると言われているのは、人間がベースだからだろう。石でできた五百羅漢はあちこちにあり、私が訪れた中では兵庫の加西・北条にある五百羅漢がインパクトあった。
こちらの五百羅漢は江戸時代にできたものだが、大正4年に火災に遭い、今あるのはその後で造られた像である。木造で彩色も施されており、リアリティがある。それがほんのり薄暗い中に並ぶので結構怖い。
中にはお腹に穴の開いた像がある。後で調べたところでは「ラゴラ」という人物をモチーフにしているそうだ。この像はやたらお賽銭が多い。ひょっとしたら「このお腹の中に賽銭を入れるとご利益がある」とでも言われているのだろうか。
釈迦像、弘法大師像にも手を合わせて五百羅漢を後にする。長い石段を下りると地蔵寺の本堂の裏手に出る。さて、これからが札所めぐりの本題である。境内に大きなイチョウの木があり、本堂と大師堂が向かい合っている。ここでも慣れた感じ、流暢に般若心経を唱える人の姿が多く、中には揃って白衣姿の親子もいる。
地蔵寺という名前のとおり、本尊は地蔵の中で勝軍地蔵と言われるもの。実際見ることはできないが、この勝軍地蔵は、甲冑を身に着け、錫杖と如意法輪を持ち、軍馬に跨るという勇ましい姿という。その辺の道端にある「お地蔵さん」とは離れたイメージだが、観音にもいろいろな姿があるように、地蔵にもいろいろな種類があり、それぞれ受け持ちがあるようだ。勝軍というのが武士にとっては縁起がよいということで、武家からの寄進も結構あり、全盛時には阿波、讃岐、伊予に寺領や多くの末寺を抱えていた。奥の院の五百羅漢を一体に含めると境内が広く、ゆったり感じられるのもその名残か。
納経所で朱印をいただき、順序が真逆になったが最後に山門に立つ。
さて次はこの日3所めの第6番・安楽寺である。山門のところで男性が近づいてきて、「次6番行くの?がんばりや~」と民宿のパンフレットを渡してくれたのだが、実はここで歩きを中断して、バスで移動することにする。ここで「公共交通機関モード」発動で、「全て歩く」という遍路の正統から早くも脱落である・・・。
地蔵寺からすぐ近くが県道で、その名も羅漢というバス停がある。1時間に1本ほどの便があり、次は9時50分。20分ほど時間がある。その時間を利用して交差点向かいのローソンに入ってしばらく休憩。さすがは札所近くのコンビニとあって、巡礼用品のコーナーがあるのに驚く。
やってきた鍛冶屋原車庫行きのバスには先客は誰もおらず、乗客は私一人だけ。これで数キロを稼ぐことにする。
この路線バスが走る県道だが、かつて国鉄の鍛冶屋原線というのが走っていた。今朝降り立った板野駅から出るいわゆる盲腸線で、ご他聞にもれず超赤字路線だった。その廃止後の路盤を転用したのがこの県道である。廃止線跡を取り上げたサイトなどによれば、羅漢のバス停の辺りにもかつて駅があったほか、鉄道が走っていた痕跡もいくつか残っているとのことである。
終点の鍛冶屋原車庫の一つ手前の東原で下車。安楽寺はここから歩いて10分かからない距離である・・・。
徳島自動車道の高架をくぐると家の数が増えてきた。その中を抜け、大日寺から30分ほどで地蔵寺の奥の院にあたる五百羅漢に着く。こちらは地蔵寺のおススメスポットと言われている。四国八十八所の寺は入山料無料が基本だそうだが、こちらは拝観料200円かかる。建物はコの字の形をしており、左手の弥勒堂から入り、中央の釈迦堂を経て右手の大師堂に出る。その間の回廊に羅漢像がある。
五百羅漢の羅漢とは釈迦の弟子であり、仏教の中では、修行の成果、人間として最高の地位を得た者とされている。そのためか顔かたちに人間味があるのが特徴。五百羅漢を見ると必ず自分や知人に似た顔の像があると言われているのは、人間がベースだからだろう。石でできた五百羅漢はあちこちにあり、私が訪れた中では兵庫の加西・北条にある五百羅漢がインパクトあった。
こちらの五百羅漢は江戸時代にできたものだが、大正4年に火災に遭い、今あるのはその後で造られた像である。木造で彩色も施されており、リアリティがある。それがほんのり薄暗い中に並ぶので結構怖い。
中にはお腹に穴の開いた像がある。後で調べたところでは「ラゴラ」という人物をモチーフにしているそうだ。この像はやたらお賽銭が多い。ひょっとしたら「このお腹の中に賽銭を入れるとご利益がある」とでも言われているのだろうか。
釈迦像、弘法大師像にも手を合わせて五百羅漢を後にする。長い石段を下りると地蔵寺の本堂の裏手に出る。さて、これからが札所めぐりの本題である。境内に大きなイチョウの木があり、本堂と大師堂が向かい合っている。ここでも慣れた感じ、流暢に般若心経を唱える人の姿が多く、中には揃って白衣姿の親子もいる。
地蔵寺という名前のとおり、本尊は地蔵の中で勝軍地蔵と言われるもの。実際見ることはできないが、この勝軍地蔵は、甲冑を身に着け、錫杖と如意法輪を持ち、軍馬に跨るという勇ましい姿という。その辺の道端にある「お地蔵さん」とは離れたイメージだが、観音にもいろいろな姿があるように、地蔵にもいろいろな種類があり、それぞれ受け持ちがあるようだ。勝軍というのが武士にとっては縁起がよいということで、武家からの寄進も結構あり、全盛時には阿波、讃岐、伊予に寺領や多くの末寺を抱えていた。奥の院の五百羅漢を一体に含めると境内が広く、ゆったり感じられるのもその名残か。
納経所で朱印をいただき、順序が真逆になったが最後に山門に立つ。
さて次はこの日3所めの第6番・安楽寺である。山門のところで男性が近づいてきて、「次6番行くの?がんばりや~」と民宿のパンフレットを渡してくれたのだが、実はここで歩きを中断して、バスで移動することにする。ここで「公共交通機関モード」発動で、「全て歩く」という遍路の正統から早くも脱落である・・・。
地蔵寺からすぐ近くが県道で、その名も羅漢というバス停がある。1時間に1本ほどの便があり、次は9時50分。20分ほど時間がある。その時間を利用して交差点向かいのローソンに入ってしばらく休憩。さすがは札所近くのコンビニとあって、巡礼用品のコーナーがあるのに驚く。
やってきた鍛冶屋原車庫行きのバスには先客は誰もおらず、乗客は私一人だけ。これで数キロを稼ぐことにする。
この路線バスが走る県道だが、かつて国鉄の鍛冶屋原線というのが走っていた。今朝降り立った板野駅から出るいわゆる盲腸線で、ご他聞にもれず超赤字路線だった。その廃止後の路盤を転用したのがこの県道である。廃止線跡を取り上げたサイトなどによれば、羅漢のバス停の辺りにもかつて駅があったほか、鉄道が走っていた痕跡もいくつか残っているとのことである。
終点の鍛冶屋原車庫の一つ手前の東原で下車。安楽寺はここから歩いて10分かからない距離である・・・。