まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

やはり落とし所を見つけないと・・・

2015年08月14日 | ブログ
戦後70年ということで、安倍首相が談話を閣議決定して、発表した。

ニュース記事を見るに、「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきました・・・こうした歴代内閣の立場は、今後も揺るぎないものであります」ということで、注目されていた「反省」「お詫び」とか、「侵略」「植民地支配」という文言は一応全て含めたという。

内閣も最初はいろいろ言っていたし、私も「談話」自体出す必要があるのか疑問に思っていたのだが、結果落とし所ということだろう。まあ、何も言わないよりはいいか。中国、韓国がどう反応するかは別として。

ただ、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」とも言ったとか。これだけ読むと「いつまでも謝罪させんなよ」という風にも取れる。せめてもの安倍首相の本音とプライドかな。

確かに、いつまで謝罪しなければならないのかと思う。ただ、そういう気持ちは心のどこかに持つ必要があるとは思う。それでも、どんな文言を入れるのかとかいうところばかりにとらわれると、談話も結局どうにでも解釈できる形式的なものとなりはしないか。

「あん時はえらいすんまへんでしたなあ。まあ、これからぼちぼち仲良うやっていきまひょうや」・・・もっとお互い明るい感じで行くことはできないのかな。未来志向を言うのなら・・・・。

松本 成史
NARUFUMI MATSUMOTO
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何やねんこの結果は・・・!! 佐藤達也、二度とマウンドに立つなボケ!!!

2015年08月11日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
やってくれたのお、佐藤。

二度と本州の地は踏むな。

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2015年が節目

2015年08月10日 | ブログ
どの年も「今年はあの出来事から何十年の節目の年」というのがあるが、今年2015年はとりわけこの言い方をよく聞くように思う。

1月に阪神・淡路大震災から20年というのがあり、当日は私も神戸に行った。そして春は地下鉄サリン事件から20年。

夏になると、高校野球100年と日航機墜落30年が話題に出てきた。

ただ、その中で最も大きく取り上げられているのが戦後70年と言える。70年というのは中途半端な数だが、やはり安倍内閣の安保法制への取り組みや、談話の閣議決定の内容について、これまでとは違ったものとして報道が注視して多く取り上げていると言えるだろう。

安保法制の是非についてはこの記事では触れないとして、戦後70年ともなると風化することもあるのかと思う。報道番組で、「8月6日、8月9日は何の日か知っているか?」という調査やインタビューで、それぞれ広島と長崎の原爆の日と答えられなかった人の割合がこれまでで最も高かったとあった。

今はこういうご時世なんだろうな。

これについては、「近現代史は受験の時期と重なるとして学校で教えないから知らないのだ」と言われる。この考えには大いに賛同。なぜ、考古学や古代にあれだけ時間を割くのかと思う。逆に昭和から始めて遡って行く教科書があってもいいと思う。

ただ、原爆の日や終戦記念日というのは、そういうのとはちょっと違うのでは。学校で教えることだろうが、それ以前に一般常識として家庭で身につけることのように思う。テレビや新聞を見ながら、親との会話の中で自然と覚えるような。・・・ということも、今はそうじゃないんだろうな。

かくいう私も、近現代史に詳しいかと訊かれればわからないことのほうが多い。

そこは、昭和について多くの著作を出している半藤一利氏や保坂正康氏といったところ(司馬遼太郎はどうかな・・・?)の作品を手にするかな。特に半藤氏は「日本のいちばん長い日」が再び映画化されたし・・・。
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まさに熱闘甲子園・・・一方オリも負けていない

2015年08月08日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
8日は夏の高校野球3日目。土曜日、好カードが続くとあって甲子園は早朝から満員御礼だったようだ。

第1試合に話題の早稲田実業の一年生・清宮が登場するというのが大きく、タイムリーで勝利に貢献した。そんなに騒ぐほどの選手なのかなと思っていたが、これで一つ勝ち、次の試合があるとなるとまた活躍の場面があるだろう。それでほんまもんと言えるか。

第1試合は早稲田実業の圧勝だったが、第2試合は春優勝の敦賀気比が序盤の劣勢を終盤に追い付き、最後はサヨナラで明徳義塾に勝利。第3試合も大阪偕星が延長で比叡山に勝利。そして第4試合も雨の中断を挟んだ延長の末、下関商が白樺学園にサヨナラ勝ち。

今日一日甲子園のスタンドで観戦した方にとっては、好試合続きで印象深い一日になったことだろう。

・・・そんな満員の甲子園の裏で、半分くらいの観客の中で行われていたのが、オリックス・バファローズ対埼玉西武ライオンズ。ただ、高校野球に刺激を受けたか、1点ビハインドの9回に小田の内野安打(ヘッドスライディング)からチャンスを作り、最後は代打小島が逆転サヨナラ打!

現地観戦の方の中には「何で小島やねん」「福良は何を考えてんねん」と半分諦めていた方もあっただろうが、試合後の監督代行談話では「小島はこれまでの対戦で牧田にタイミングが合っている」と言うので代打起用したという。なるほど。

別に小島がサヨナラ打を放ったから甲子園で雨が降ったわけではないだろうが、こうした選手を含めてつかんだ1勝は大きい(両チームとも内容はグダグダだったようだが)。

世間の注目は高校野球に行っているが、プロも負けてはいない(思えば、昔のパ・リーグはもっとガラガラだったではないか)。まだまだ、クライマックスをかけた戦いは続く・・・。
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この猛暑の中で五輪をやるのか

2015年08月07日 | ブログ
何かとお騒がせの東京五輪。

国会でアントニオ猪木議員が下村文科相への質問で、東京五輪の開催時期変更を求めた。このくそ暑い時期に五輪をやるのが果たしていいのかと。

前の東京五輪は10月10日の開幕だったが、今の五輪の規定では7月から8月にかけて開催しなければならないという。まあいろんな大人の事情でこうなったのだろうが、何やねんと思ったのが、立候補時の文書で「この時期の東京は晴天に恵まれ、選手は能力を十分に発揮できる」という内容のアピールをしていたこと。

7月から8月といえば本州は連日猛暑、酷暑で、熱中症を防ぐために屋外での運動は止めるよう警告が出るくらいである。そんな中での五輪で、果たして選手は最高の力を発揮できるのか。また観客も大丈夫なのか。そこのところ、役人ではわからない、猪木議員は至極全うな質問をしたと思う。

・・・ただ、酷暑の五輪といえば北京もそうだった。また、今でも(一部の)日本人は我慢とか根性を美徳とする向きがあり、だからあんな夏の高校野球とか、芸能人の24時間テレビのマラソンなんかで感動を呼ぼうとする。

役所だっていわゆる体育会系が大勢いるわけだし、そんな酷暑など問題ない、むしろそんな状況だからこそ熱い感動のプレーが生まれるとか、松岡某あたりはここぞとばかり反論するだろう。

さすがに競技を早朝からするとか(マラソンなんかは朝の5時スタートとかね)、逆にナイターで行うという「配慮」はするのだろうが、多くは酷暑の下での競技になるだろう。

あくまでそうするのなら、やればいい。それで日本の体育会系とかスポ根論が世界から酷評され、ズタズタにされるのなら、むしろその方がプラスになるのでは・・・。
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また伊藤か・・・。

2015年08月05日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
この捕手のせいで何試合失ったか。

せっかく勝てる試合を何試合失ったか。

個人批判はしたくないが、もうええ加減にせえよ・・・・。
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第10番「三室戸寺」~西国三十三ヶ所巡り・30(猛暑の宇治巡り)

2015年08月04日 | 西国三十三所
暑さの中で三室戸寺の参詣を終える。今回の札所とセットで訪れるのは宇治。中でも代表的なのは平等院鳳凰堂である。

ただ、宇治川に沿って少し足を伸ばすと天ヶ瀬ダムがある。自然を楽しむウォーキングコースとして人気で、三室戸の駅でもらったパンフレットでも紹介されている。天ヶ瀬ダムには行ったことがないし、時間は10時前でたっぷりとある。目指すことにしよう。

・・・と思って、まずは住宅街を歩く。それだけのことだが結構キツい。

1キロほど歩いてやって来たのは源氏物語ミュージアム。源氏物語の最後の十冊は、宇治十帖として宇治が舞台。すでに光源氏は亡く、薫の君や匂宮といったところが出るが、その世界のドロドロさは現代のドラマ以上に深いという評価がある。それを1000年前の女性が書いたということで。源氏物語マニアという人とお付き合いしたことがないので何とも言えないが、源氏の中でも宇治十帖マニアという人は世の中に結構いるのでは。

このミュージアムにはかつて入ったことがあるが、今回は冷房での休憩も兼ねて入る。ちょうど映像室で宇治十帖の「浮舟」をテーマにした20分の人形劇の映像が上映されるとあって、画面を見ながらしばし憩う。宇治というと当時は「世をうぢ山」と喜撰法師の百人一首にも吟われたほどのひなびたところだが、今は歴史とともに住宅地も広がる賑やかなところ。

展示をしばらく見て、ミュージアムを後にする。近くには世界遺産の宇治上神社。日本には世界遺産スポットがこれでもかと溢れているが、その中で最小とされるのが宇治上神社。現存する神社の造りが日本最古ということで、京都の寺社群の一つとして世界遺産になったそうだが・・・どうなんだろうな。

一般的な日本人の価値観だと、宇治上神社は何も悪くないが、このくらいの神社ならどこにでもあるのでは?・・・としか見えないのでは。個人的な思いとして、同じ神社なら、伊勢神宮とか出雲大社のほうが大きいし、たくさんの人がお参りするし、世界の人たちも納得するのではと思う(というのは、歴史を知らない素人考えか)。

源氏物語ミュージアムから宇治上神社に行く間に、左前方に延びる山道がある。仏徳山(大吉山)というところで、山道は東海自然歩道の一部である。今回宇治に来る前にネットで調べたところ、知る人ぞ知るスポットとして紹介されていた。京阪のウォーキングパンフレットにも載っている。

山道と言っても、道幅は広いし、距離を長くする代わりに勾配も緩やか。4輪駆動のクルマなら登りきるのではないか。安保法制・安倍政権への反対派が宇治市街に撒き散らす騒音をバックに15分ほど歩くと、休憩スポットとして木のベンチも多く置かれている。

ここからは、眼下に宇治川、そして世界遺産の平等院鳳凰堂をも見下ろす。初めてのことでうなるばかりだ。

せっかくなので、ここで昼食とする。山歩きというほど歩いてはいないが、シチュエーションとしてはおにぎりがお似合い。

このまま山を歩けば天ヶ瀬ダムを経て笠取方面に抜けることができるが、少し歩いて下り坂を選ぶ。曹洞宗の興聖寺に出る。この寺から宇治川に下る琴坂を歩き、水流豊かな宇治川に出る。

天ヶ瀬ダムに向かうなら左に曲がるところだが、この時の私は右に曲がった。最初に天ヶ瀬ダムに行くつもりだったのを曲げたことになる。弱気と言われればそれまでだが、たかがこれだけの距離を歩いただけでその先を断念するくらいの暑さを感じた。しばらく歩くと自販機があり、「宇治茶」のペットボトルを一気に空ける。

宇治川を渡るとすぐに平等院である。さすがは有名スポットとあって、国内外の人たちで賑わっている。前回訪れた時には改修直後で大人気だった鳳凰堂の内部拝観だが、この日は「1時間待ち」とあった。元々時間には余裕があったし、先ほど天ヶ瀬ダム行きを断念したばかりである。1時間待ちなら許容範囲である。とはいうものの外に座っていては暑いだけなので、建物を見るのはそこそこに、鳳翔館ミュージアムに向かう。拝観順路ではあるが、やはり何と言っても屋内で冷房が効いている。文化財を拝観しながらしばし快適に過ごす(座るところがあればもっとよかったが)。

ミュージアムで過ごしたり、あるいは藤棚の下の木のベンチに腰かけたりするうちに時間になった。外観はオリジナルに近い色彩に復元されたが、本尊の阿弥陀如来像が安置されている中央の内部は当時から手を付けてないという。ベンガラ色の外観と比べれば、木の地の色が出て一見朽ちたようにも見えるが、一方で年月の重みのようなものを感じる。入れ替えもあるので実際内部を見ることができるのは10分あまりだが、それでも平安から現代につながる歴史を感じさせるのがすごい。

今回は短い時間ではあったが、これで終了とする。その前に、次に向かう札所ということで、観音さんとは違う阿弥陀さんが見守る平等院鳳凰堂の前でのサイコロである。残る選択肢はあと6で、ちょうどサイコロの出目の数と一致する。

1.姫路(圓教寺)

2.近江八幡(長命寺)

3.東山(今熊野観音寺、清水寺、六波羅蜜寺)

4.安土(観音正寺)

5.舞鶴(松尾寺)

6.飛鳥(岡寺)

・・・・最後の岐阜の谷汲山華厳寺を前に、ここまで来ると札所の番号通りに残っているのが結構ある。姫路、舞鶴、近江と、自宅から遠いところが揃っている。その中にあって、まだ飛鳥の岡寺が残っているのもしぶといが・・・・。

そして出たのは、別に細工したわけではないが「6」。これでようやく岡寺だが、ここでほっとするのが、納経軸はすでに両親が参詣した時に書いてもらっているので、次の飛鳥訪問時には持参不要ということ。リュックが一回り小さいもので済む。暑い中を飛鳥の歴史舞台を歩き回るので荷物は少しでも軽い方がいい・・・・。

宇治ということで平等院の門前には宇治茶に始まり、茶そばや宇治金時を扱うお休み処が並ぶが、それらはいいかなと。結局そのままJR宇治駅まで歩き、スタンプラリーの駅スタンプをいただく。そのままJR奈良線の「みやこ路快速」に乗り、奈良まで南下。後は大和路線に乗り換えて天王寺まで戻る。宇治茶よりも真夏で体を動かした後はアレということで・・・・。

次の飛鳥を回ると、後は京都市中心部、姫路、舞鶴、滋賀中部2ヶ所ということで、京都以外は遠いところが結局残ることになった。くじ引きとサイコロでランダムに選んだつもりが、最後はこうなるのかなと・・・・。いよいよ後半にかかった西国三十三所巡り、満願まで楽しみたいところである・・・・。
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第10番「三室戸寺」~西国三十三ヶ所巡り・30(花とオブジェの札所)

2015年08月03日 | 西国三十三所
8月に入り連日の猛暑日が続く。昨年は夏の豪雨の衝撃が強く、ここまで猛暑だったかな?と思うほどである。

ペナントレース後半戦の前に、勝ち運の寺として有名な勝尾寺に行ったからというわけではないが、オリックス・バファローズもじわじわと上との差を詰めてきた(ライオンズとイーグルスが連敗したからだが)。そしてイーグルスとの直接対決で5位浮上というところまで来た。ただここで連敗したのは痛い・・・。それでも一時のことを思えば、いつしか負け数はドラゴンズのほうが多くなったし、3位までとの差もまだ見通せるところ。相変わらず故障者は多いが、今いるメンバーで何とか追い上げてほしい。

さて、暑い中だが回ってみようというのが西国三十三所。最初に地元葛井寺で朱印をいただいたのが昨年の8月で、もう一年になる。一応、できれば年内で満願になればと思っているが、今の感じだと果たしてどうか。

今回行くのは第10番の三室戸寺。若い番号である。エリアは宇治で、元は奈良時代末の光仁天皇の勅願寺として「御室戸寺」だったのが、後に花山、白河の両天皇(法皇)の離宮にもなったことで、3人合わせて「三室戸寺」と呼ぶようになったという。

宇治という場所にあることもそうだが、ここが有名なのは、花の寺としてである。特にあじさいとつつじだが、いずれも初夏のもの。秋なら紅葉も楽しめるだろうがこの猛暑となると・・・。でもまあ、サイコロで決まったなら行かないと次に進めない。

京阪特急のゆったりシートで中書島に来て、宇治行きに乗り換え。六地蔵、黄檗と、以前に「関西私鉄しりとりサイコロの旅」で降りた駅を過ぎる。その企画では終点の宇治にも行っており、改修を終えて昔の色調に復元された平等院鳳凰堂の内部拝観で結構待たされるというのがあり、あまり時間が取れないことから断念したことがあった。

宇治の一つ手前の三室戸に到着。今回、三室戸寺の参拝とセットになるのは宇治の寺社群、さらには宇治川沿いに天ヶ瀬ダムまでウォーキングをしようかというプランで乗り込んだ。

三室戸駅には寺への道順が示され、宇治エリアのパンフレットが置かれている。まず三室戸寺へは駅から一本道。およそ1キロとある。15分も歩けば着く距離だが、もう湿気と熱気にやられそうだ。

三室戸寺の立派な書体の石碑に着き、入山料を払って中へ。山門を過ぎて右手には豊かな緑が広がり、宇治だけに上のほうは茶畑か?と一瞬思うが、こちらがあじさいやつつじの広がる庭園である。季節ではない今は柵で囲って入れない。

100段ほどの石段を上がると本堂のあるエリアに出る。まずは手水を使い、暑いので柄杓の水を両腕にぶっかける。

そして振り返るとそこにはおっさんの石像。よく見ると、頭だけおっさんで身体はとぐろを巻いた蛇。宇賀神と呼ばれるが、何か、漫画のキャラクターにこんなのがいなかったか。蛇の尾を撫でると金運、髭で健康、耳たぶで福が来るという。大勢の人が撫でたと見え、その部分は色が変わってつるつるしている。

さて本堂を見る。手前には蓮が植えられており、これは7月~8月が見頃。白やピンクに花開いているのがいくつかあるが、賑やかさには欠ける感じがする。

その本堂の両脇には牛と兎が控える。参詣者から見て右手の牛は「宝勝牛」。牛の口の中にある宝玉に触れると勝ち運が上がるとか。触れるのは簡単なことで、牛だけにここでもバファローズの必勝を祈る。

一方で兎は、宇治の昔の呼び方が「菟道」というように、元々この地にも関連があるのだろう。像の下に手を入れる穴があり、中にある卵形の石を立てることができれば願いが叶うとか。これも手を入れるが、中の石は立った状態。これはいかんなと、一度倒して改めて立てる。そんなに難しいものではない。

そんな蛇や牛や兎が前を固める本堂。ようやくお勤めを行うが、わずか2~3分ほどの読経でも汗がボトボト流れる。これはたまらん。

お勤めの後は朱印をいただく。受付の障子戸が閉まっていたのは、中で冷房を効かせてたのかなと思う。

しばらく歩いて、本堂下の庭園へ。あじさいやつつじのエリアは柵で仕切っていて入れないが、それ以外も枯山水や、池を囲んだ造りがあり、これだけでも庭園として立派だ。今の三室戸寺は江戸時代の再建だそうで、その頃となると庭造りの技術も進んだものであったことだろう。

花の時季の賑わいは頭の中でイメージするとして、三室戸寺を後にする。次の巡礼先を決めるくじ引きとサイコロはここでは行わず、この後、何なら最後に平等院に行った時のこととして・・・。
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