まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

並行在来線第3セクターに乗る・・・しなの鉄道と上田城

2015年08月31日 | 旅行記C・関東甲信越
旅の最終日に善光寺の朝のお勤めに触れ、長野駅に来た。これから乗るのはしなの鉄道の小諸行き。

この日は大阪に戻るのに金沢までの北陸新幹線に初めて乗る。それなのに東へ向かうわけだが、これは第3セクターの乗り比べもある。また高崎から長野まで乗ったことがあると言っても、東京勤務時代に長野への日帰り出張で一度乗っただけのこと。さらに、北陸新幹線はそもそも高崎から計画されたものであり、ならば高崎まで行こうかなと。指定席は高崎15時49分発のはくたか567号を取っている。金沢にちょうど日が暮れる頃に着き、大阪へのサンダーバードへの乗り継ぎもちょうどよい。はくたかにしたのは、各駅に停車する様子を見てみようというもの。

ただ、はくたかに乗るまでどう動くか。候補はいろいろある。上田城、別所温泉(北向観音)、軽井沢、横川(鉄道関連)など。高崎まで出て上信電鉄に乗れば世界遺産の富岡製糸場にも行ける組み合わせもあったが、これは長野を早めに出る必要があり、善光寺参りの後で風呂や朝食としたため、これはボツ。

この中だと、上田城と横川の鉄道資料館の組み合わせかな。最悪、新幹線は高崎から乗らなくても、軽井沢や上田から乗ってもいいかな。一応コースは決めたが変更もあり得るとして、とりあえず上田までのきっぷを買う。長野駅前に金券ショップがあり、券売機で回数券が売られていた。50円引き。

高校生くらいの乗客も多く乗り出発。前日とはうって変わって晴天。大阪と比べればいくらかは涼しいというものの、日射しが直に当たると暑い。大汗が出るのには変わりない。篠ノ井までは信越線を走り、姨捨から松本へ抜ける篠ノ井線と分かれてしなの鉄道に入る。長野を出てから新幹線の高架橋と並んでいたが、新幹線は山の中に入る。

屋代には以前松代から出ていた長野電鉄のホーム跡があり、戸倉上山田温泉のある戸倉には側線にある車両が停まっていた。しなの鉄道が最近売り出しているイベント列車「ろくもん」である。いわゆる「水戸岡」デザインであるが、とにかく「水戸岡」デザインは、水戸黄門の印籠のごとくあちこちの地方鉄道の車両で「崇め奉られる」存在。「ろくもん」は列車内での食事を中心としたプランが好評で、運行日はツアープランを中心に連日満席。食事なしの車両も全席指定で、しかも現地予約であるが、おそらく連日満席だっただろう。私も旅の前にダメ元で指定席に挑戦しようかと思っていたが、日付を見れば旅の期間は運転日ではなかった。まあ、外観をチラリと見ることができただけで良し。

戸倉上山田温泉には東京勤務時代に訪れ、温泉街の中のルートインホテルに泊まり、その夜は姨捨から善光寺平を眺める夜景ツアーに出かけたことがある。写真のデータからは2008年の9月とある。写真のデータを追うと、上田電鉄や別所温泉、海野宿とセットで回り、帰途には高崎から臨時の客車列車にも乗っていた。この時ブログに何か書き残したかと検索するが、アーカイブで出てこない。確かに記事は書いたはずだが・・実は書いてなかったのか? 昨年のブログ移転時にデータが飛んでしまったかとも思ったが、そこだけ都合よく飛んでしまうこともないだろうし。

上田に到着。ここで高校生含め半数以上の客が下車する。東信、佐久地域の中心。高架駅の前は近郊都市のような光景が広がる。

駅から15分ほど歩くところにある上田城に行くことにする。元々の真田家の拠点はここからバスで結構走ったところにあり、今も「真田の里」といった感じで資料館などで歴史を紹介している。ただ駅に近い上田城も、徳川家との激しい攻防戦で名高い。国営放送の2016年の大河ドラマで真田幸村が主人公になるとあって、上田も盛り上がっている様子である(大河そのものを見ないので個人的には入れ込むことはないが、大河ドラマが地域おこしに影響したり、逆に地域おこしのためや、果てはどの大河とは言わないが時の政権への機嫌取りのために大河ドラマが「誘致」されるようになったのはいつからだろうか)。

大河に向けて相対する気持ちを持ちながら歩く。まあ、真田幸村は以前から人気のある武将だったし(最近の戦国BASARAだの、いわゆる歴女の一部に見られる「武将をイケメンキャラクターとして見る」風潮はちょっと違和感あるが)、少なくとも新島襄の妻や吉田松陰の妹よりは世間には受け入れられるだろう。そんなことを思ううち、とある施設で檄を飛ばすような書き物に出会った。ここでは、真田幸村を大河ドラマに(というか、上田に大河ドラマを誘致!と読めるが)というさまざまな掲示があり、これまでにどれだけの署名を集めたかが書かれている。そして、(決してこの人たちの誘致活動のおかげとは思いたくないのだが)2016年の大河が真田幸村に決まったことの喜びのメッセージも書かれている。真田幸村と言えば大坂の陣もあって、大阪の人たちにもなじみのある歴史人物なのだが、ここまで入れ込んだメッセージというのは大阪では見なかったと思う。まあ来年になれば大阪とか和歌山の九度山などは盛り上がるのだろうが、やはり真田の六文銭は信州上田のものというのが、この辺りの人たちの切なる想いなのだろう。

上田城へ向かう。手前の市役所の周りには真田十勇士を紹介したパネルがある。真田人気はこれら十勇士の活躍も大きな役割を担っていると思う。

上田城の一角には市立博物館がある。ここは上田の歴史をトータルに紹介するという役割もあり、真田一族の活躍についても触れられているが、真田氏が松代に移された後のこともきちんと触れている。真田氏の後は仙石氏。これが但馬の出石に国替えとなったのだが、その時に上田からそば職人を出石に引き連れたという。それが出石そばの由来と言われている(小皿でいくつかに分けて盛られたのをいただく出石そばのスタイルが上田由来かどうかは分からないが・・・)。仙石氏の後は松平氏の治政となり、明治以降は養蚕で栄えることとなった。

門と櫓が復元されている。今ではこれが上田城のシンボルである。門からは市街地を見ることができ、北陸新幹線の高架橋も見える。するとここで、上田駅を通過して長野に向かう列車の姿が見えた。長野駅の発着時のようなゆっくりした走りではなく、信濃の国を快走する新幹線らしい高速ぶりである。

城内の一角に設けられた真田神社にお参りし、上田城はこのくらいかなということで駅に戻る。この時間なら、次の軽井沢行きに乗れば横川に向かうバスに乗り継ぐことができる。ここで碓氷峠を下りて群馬県に入るつもりでいたが、ここに来て「せっかくなら軽井沢でしばらく過ごすのもいいのでは」という思いも出てくる。確かに横川の鉄道資料館も見ているし、かつてのめがね橋までウォーキングをしたこともある。一方で軽井沢はほとんど通過するばかりで、いわゆる人気スポットには行ったことがない。時刻表を見ると、横川の鉄道資料館を素通りすれば、軽井沢である程度の時間は取れることがわかる。さてどうするか・・・・。
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