まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

朝の金沢散策

2015年08月22日 | 旅行記D・東海北陸
16日、午前中は金沢市街で過ごす。まだ朝の6時ということで路線バスの姿も見かけず、町の中心部に向けて歩き出す。日陰は涼しいのだが直接太陽が当たると早くも暑く感じる。

金沢の食の中心である近江町市場に着く。さすがにこの時間では人の姿もほとんどなく、早い店がそろそろ開けようかと支度をしているところ。昼食はここで取ろうと思う。

市場のアーケードを抜けると尾張町に出る。近江から尾張と、旧国を渡り歩いているようだが、尾張と言えば加賀前田家の祖・前田利家の出身地。この尾張町は利家が尾張から呼び寄せた商人たちが住んだとかで、金沢の経済の中心だったという。高いマンションも並ぶ中、今でも古い造りの商家が残っている。

そしてやって来たのがひがし茶屋街。格子の並ぶ町並みは金沢の中でも風情のあるエリア。昼間は観光客で賑わうところだが、朝の7時前は地元の人らしいのが散歩する程度。この景色をほぼ貸切で楽しむ。重要文化財の「志摩」や「懐華楼」といった建物もある。以前金沢に来た時、夜の灯がともるひがし茶屋街を歩いたことはあるが、早朝は初めて。

表通りは今でも芸事を楽しむ茶屋だったりカフェだったりするが、一歩中に入ると一般の民家である。テレビのニュースの音や朝食の支度をする音も聞こえてくる。

金沢城に向かう。石川門の下には前田利家の像がある。

金沢城は元々は一向宗の尾山御坊が置かれたところだったが、柴田勝家の北陸攻略により織田方に降り、賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉が勝利した後、前田利家が治めることとなった。ただ利家自身は豊臣政権の重臣として大坂にいることが多く、実際に城の建設に携わったのは子の利長である。

さすがは加賀百万石の居城ということで城の規模も大きい。隣の兼六園も城の一部と言ってもいいし、金沢城と兼六園の間の道路も元々は堀だったという。ただ、他の大きな城が(復元されたものも多いが)シンボルである天守閣があり、「これぞ城」という存在感があるのに比べ、「金沢城」というのはそこまで全国的に有名かと言われるとどうだろうか・・・という感じである。石川門は重要文化財だし、いくつかの櫓や門は復元されているが、往年の姿を伝える建物はほとんどない。

金沢城公園のホームページで改めて沿革を見ると、目立つのが「焼失」という言葉。天守閣はあったそうだが早くも1602年に落雷で焼失。その後、1620年、1631年、1759年、1808年、1881年に焼失した。中でも1759年の大火は宝暦大火と呼ばれ、金沢の町の9割が焼失した金沢史上最大の惨事である。火災が多いのは北陸特有のフェーン現象や冬の雷も関係しているという。それだけ金沢に繰り返し大火が起こっていたとは知らなかった。

兼六園に向かう。この日は無料開放ということで園内に入る。まだ朝の8時前だが多くの観光客が訪れている。歩き回って暑い中であるが、緑の中にいると多少は涼しく感じられる。しばし、ベンチで池を眺めながら涼む。

この後、朝9時まで時間があるので一度尾山神社まで歩いて参拝。こちらにも前田利家像。こちらは馬に乗って出陣する姿。金沢の城や町づくりを行ったのは実質的には前田利長だが、やはり街のシンボルといえば利家ということになるのだろう。尾山神社も利家を祀っている。

「朝9時」としたのが、この時間に開館するスポットに行くため。たまたまこの期間に当たっていたのだが・・・・。
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