まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第4番「施福寺」~西国三十三ヶ所巡り・5(下)

2014年10月21日 | 西国三十三所
さてここから施福寺の山道にさしかかる。行く前にどのようなものかあれこれ考えていたのだが、一つ比較対象となるのが、京都の伏見稲荷の稲荷山である。年に3回、会社の商売繁盛の祈願で稲荷山の一番上にある一ノ峰まで上るのだが、あれが鳥居のトンネルを抜けて長い石段を上って40分~45分くらいかかる。それを思えば行けないことはない距離である。

そう思ってまずはコンクリートの坂道(時折階段状になっている)を上るが、これが結構急である。前傾姿勢を取らないとしんどい。これを5分ほど上ると迎え観音像があり、仁王門に出る。「ここから30分」という看板がある。先ほど西国三十三ヶ所のガイドブックを持っていた男性が口にした「徒歩30分」、そしてオレンジバスの運転手が言っていた「上りは30分で行けますな」というのは、どこからを指して言うのだろうか。

ともかく、仁王門をくぐると道は未舗装の石段となる。石段といっても石の形もばらばらで歩きにくい。その点、伏見稲荷の稲荷山の石段は結構きれいに整備されていた。まあ、昔の姿をそのまま止めているということで、それもよいだろう。ただ途中では崖にロープや鎖を張ったところもあり、それを手すり代わりに上るということになる。やはり傾斜がきつく、息が上がりそうになる。

私の上った9時過ぎは上りの人はほとんどいなかったが、下ってくる人はそこそこいる。オレンジバスは私が乗ってきたのが始発だから、クルマで下の駐車場にやってきたか、あるいは槇尾山口のバス停からハイキングを兼ねて歩いてきたか。こういうところですれ違うと自然に「お早うございます」「こんにちは」という声がお互いに出てくる。平地の寺の参道ではこういう挨拶は普通交わさないもので、やはりここは山なのだなと思う。途中、整備された石段も見る。少しずつではあるがこうした改良も行われている。そして「二丁」という石標を見つける。参道は全部で「八丁」あるという。これが上るにつれてカウントダウンされる。一丁がおよそ109mというから、八丁は872m。

ここまで上がるとあともう少しという気持ちになってくるし、木々の間から和泉平野を望むこともできる。

残りが一丁を切ったところの右手にお堂がある。この愛染堂は弘法大師が剃髪したところとの伝説があり、弘法大師像も建てられている。その脇には弘法大師の髪を納めたとされる御髪堂もある。実際にここで剃髪したかどうかはともかく、遣唐使からの帰国後、京に入るまでの2年はここに滞在して、真言宗の教義をあれこれとまとめていたとされている。

ここから最後の石段を上り、本堂のある境内に到着する。ここまで早足だったこともあってか、バス停から20分で到着した。手水の水が冷たい。境内はさほど混んでおらず、同じようにお参りの人もいれば、ハイキング、ウォーキングという感じの人もいる。静かな、小ぢんまりとした佇まいがよい。

早速お勤めである。納め札、蝋燭、線香とやって、一通りの読経である。同じタイミングで来ていた女性のグループ客も「次から次にやらなあかんこと多くて忙しいわ」と言いながら、般若心経を合唱する。そして朱印をいただく。私も今回から朱印帳と合わせて納経軸を出すから忙しい。

その納経軸に朱印をいただく時に、「軸の一番上段に書かれた寺は、その上部に菊の御紋を押すことができるのですが、どうしますか」と尋ねられる。うーん、それは初めて聞く、想定外の質問だ。菊の御紋といえば皇室のもので、西国三十三ヶ所を開いた花山法皇に因んだものだろう。私の持っているのは上段に1番・青願渡寺、2番・紀三井寺、3番・粉河寺、そして4番・施福寺が並んでいる。この4つの朱印の上に菊の御紋の印が押せるとのこと。納経軸の朱印500円のみでいける(ただし、粉河寺だけは100円増しとか)とのことで、ならばといただくことにする。帰宅後にネットであれこれ見たが、納経軸の三十三ヶ所および番外の3つの寺院の配置はいろいろとパターンがあるようで、先ほどの菊の御紋を押す札所および寺院の組み合わせにも諸説あるようだ。

先に納経軸に朱印と菊の御紋をいただき、朱印帳に朱印をいただく間に乾かすことにする。納経所の横には軸の朱印と筆文字を乾かすためのドライヤーがある。ドライヤーは初めてだ。熱風を出して当てていると、先ほど般若心経を唱えていた女性グループの一人から、「それ、熱風ですか?」と訊かれる。「あまり熱すぎると、後で茶色に変色するから、温度は低いか、あるいは冷風でもいいくらいですよ」と教えていただく。グループの一人は、オフィスの省エネや熱中症対策で使うような電池式の小型扇風機で笈摺に書かれた筆文字を乾かしていた。「秋から冬だったら空気が乾いているから早く乾くけど、夏場だとイヤですね」などと言っている。うう、小型扇風機ねえ・・・。確かに納経所が混雑している時など、ドライヤーの順番を待つ手間は省けていいかもしれない(それだけまた荷物が増えるが・・・)。まあ、それぞれ思い思いのスタイルで西国三十三ヶ所を巡っている様子が伺えたのも面白い。

さて帰りである。階段の下り口には、左に高野山、そして右に堺・葛井寺と書かれた江戸時代の石標がある。次に葛井寺である。クルマなら、国道170号線で河内長野、富田林を経由して行くのが最短ルートで、おそらく昔の徒歩巡礼道もそれに近いルートだったと思われる。下りは勢いに任せて一気に下る。ちょうど参詣客が増えてくる時間帯で、下から上る人たちの表情も苦しそうだ。その人たちに向けてかける「おはようございます」の声も、「オレは先に行って来たんやで」という優越感のようなものがこもっていやしないかと自分で思う。巡礼ツアーの添乗員らしき人も苦しそうな表情で上ってくる。おそらく、参加者の朱印帳やら納経軸やらもリュックに入れているから、余計に荷物が重くなっているはずだ。その後から、輪袈裟を掛けた先達とおぼしき人や、ツアー参加の人もぞろぞろと上ってくる。

帰りはもっと早く、15分くらいで下りることができた。ただ、最後の舗装された急な下り坂のところで、左膝の裏の辺りがピリッとする。たまに長く歩いたりするとこの部分が痛く、つった感じになるクセがある。怪我につながるわけではないのだが、しばらくは歩くのに足を引きずる形になる。しっかり、施福寺の洗礼(キリスト教ではないから洗礼はおかしいか)を受けてバス停まで戻る。オレンジバスの運転手の言った通り、1時間あまり後の10時発の便に間に合った。

天気が良いから槇尾中学校前のバス停まで歩こうかとも考えていたのだが、左膝がこの状態になったということで、無理をせずバスに乗り込む。行きに乗ってきた他の3人のうち2人は戻ってきていた。もう一人は登山の装備をしていたから、そのままハイキングを楽しんでいるのだろう。槇尾中学校前に戻り、5分の接続で泉大津駅行きの南海バスに乗り継ぐ。

40分ほどでJR和泉府中駅に到着して、ここで下車する。改札口の係員に申し出て、JRの駅スタンプをいただく。これで5ヶ所目となり、キャンペーンの最初のプレゼント応募の権利を得たことになる。まず一つの段階に到達した感じである。オレンジバスで一緒だった一人はこの後紀三井寺と粉河寺に、もう一人は葛井寺に向かうとのこと。私は足が痛いこともあり、時間は早いが、同じ藤井寺でも自宅に帰る。この時間だと、帰宅すればクライマックスシリーズファイナルの第5戦をテレビで見ることができる(やはり最後は野球かいな)。その試合が延長の末、日本ハムが3勝3敗のタイに持ち込んだ激闘だったのはご案内の通りである。

これで5番から始めた札所巡りも5番まで貫通し、次は6番の壺坂寺である。再び近鉄シリーズになるが、そこに行くならあの山城とセットで訪れてみたい。また山道を歩くことになるが・・・・
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