まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第6番「南法華寺(壷阪寺)」~西国三十三ヶ所巡り・6(土佐街道)

2014年10月25日 | 西国三十三所
いよいよ秋も本格的になってきた。ただ紅葉は・・・となるとまだ1ヶ月は早いようで、近鉄のパンフレットなどを見ていても、奈良、京都の紅葉スポットと言われる寺社でも、見頃は11月下旬~12月中旬というのが多い。

この夏から始めている西国三十三ヶ所巡りであるが、その札所にも紅葉の名所は結構ある。タイミングが合えばそういうのも見てみたいなと思う。

さて、この日曜日に続いて、天気もよいことから第6番の南法華寺を訪ねることにする。ん?南法華寺?・・・で分かりにくければ、壷阪寺である。元々は壷阪山南法華寺であるが、通称としての壷阪寺のほうが呼び方としても一般的である。このブログでも壷阪寺の呼び方に統一する。こちらは近鉄吉野線の壺阪山駅(「壷」と「壺」で書き方がややこしいが)からバスで行けるということで、近鉄沿線住民としてはアクセスしやすいところである。

ただ、壷阪寺の情報をネット等で見る中で、寺のさらに奥にある「日本三大山城」の一つ、高取城の存在が気になる。山城と言えば最近では但馬の竹田城が有名になり、あまりに大勢の観光客が訪れるものだから有料化したり、入城そのものを規制したりという騒ぎになっている。高取城は竹田城と比べれば知名度は低いが、城としての規模や「秘境」加減で言えばそれを上回るとのことである。作家の司馬遼太郎も「街道をゆく」シリーズの「大和・壺坂みち」(これは原文がそういう表記なので、このブログでもそのように書く)の一節で「最初にここにきたとき、大げさにいえば最初にアンコール・ワットに入った人の気持がすこしわかるような一種のそらおそろしさを感じた」と書いている。

壷阪寺は子どもの時に家族で出かけたことはあるようだが、高取城には訪れたことがない。私の西国三十三ヶ所も、1日で一つでも多くの札所を巡るというよりは、どうせ行くなら周辺の観光とか、美味いものなども絡めてみたいという思いがある。ということで、今回の壷阪寺も、高取城の登城とリンクさせてお参りすることにする。ルートとしては、そこは高取町の推奨コースである、まずは土佐街道からの表ルートで高取城の本丸跡まで上がり、下りに壷阪寺に行くことにする。通しで歩けば10キロほどの距離だが、そこに高低差が加わるからかなりの難所である。壷阪寺にバスで行くだけならどうということはないが、高取城も加えるとなると、先日の施福寺の石段など比べ物にならないくらいのハードなコースとなる。まあ、他の札所に行かないのであれば時間は十分にあるが。

ということで、藤井寺から吉野方面の列車に乗る。ちょうど反対側には大阪阿部野橋行きの列車が停まっており、飛鳥・吉野のペイントが施された車両だった。そこに壷阪寺の写真もある。

古市で吉野行きの急行に乗り換える。みかん狩りのために上ノ太子にも臨時停車して多くの客が下車するが、それでも車内には、ハイキング姿の中高年客が目立つ。何かの会で来ているようで、仲間内の会話がやかましいくらい賑やかだ。天気もよいし、日中の気温も暑くなく寒くなく、出かけるにはちょうどよい頃合いである。

それらのグループも含めて大勢の客が飛鳥で下車。1日を歴史散策で楽しむことだろう。西国三十三ヶ所の第7番・岡寺も飛鳥の散策エリアの中にあり、私も訪れる時は飛鳥観光とリンクさせることになる。それでもまだハイキング姿の客は残っており、その人たちと一緒に壺阪山で下車する。

さてここから高取城に向かうわけだが、その前に高取藩の城下町に当たる土佐街道を歩くことになる。土佐街道というとこの道はこの先高知まで続くのかと思うが、そうではなく、ここの地名が土佐というそうだ。何でも、かつての平城京の建設に土佐の国から狩り出された人たちが、建設後も国に帰ることができず(当時の考えでは、労役に狩り出されるのは都への片道切符を意味したそうだ)、そのままこの地に住むようになったとか。高取近辺には同じような他の旧国名と同じ地名も残っており、同様のことがあったのではと言われている。今でも当時の城下町から続く伝統的な街並みが残っている。

駅の建物から出てすぐのところで、「町家のかかし巡り」のPRのかかしが椅子に座っているのに出会う。町のPRとして、土佐街道沿いの商店などにかかしを展示するというもので、今年で第6回という。

10月1ヶ月間のイベントであるが、こういうことがあるとは初めて知ったことで、それならなおのこと町歩きも楽しいものになるだろう。スタンプラリーも行われており、ゴールにある観光案内所「夢創館」で投函すれば、抽選で地元の特産品が当たるとのこと。

土佐街道を歩く。かつての城下町ということもそうだが、今でも地元の人相手に商売している商店が並ぶ。実に落ち着いた感じである。

古い建物に多くの人が入っており、何かのスポットかなと思えば病院だったというのもあった。そして壷阪や吉野ということでイメージされる薬局もある。

その店の前などにいろいろなかかしが並んでおり、それを見るのも楽しい。かかしも日常の生活を描いたほのぼのとしたものがあるかと思えば、桃太郎とか、ドラえもん、ちびまる子ちゃんにサザエさんといったキャラクターものもある。高取城へのハイキング目的で来たとおぼしき人たちも、「全部撮ってたらきりないなあ」などと言いながら、しばし足を停めてかかしに見入る様子である。

街の駅では日本100名城の写真パネルが展示されている。ここで、高取城のかつての姿を再現したCGのパネルを見る。町が奈良産業大学に依頼したプロジェクトで、江戸時代に近代城郭として建てられ、明治初期に取り壊されるまで存在した天守閣をはじめとしたさまざまな櫓などのイメージ画像が作成されている。これだけを見ると本格的な城郭である。かつて「巽高取 雪かとみれば 雪でござらぬ 土佐の城」と言われたそうである。城壁の白さが雪のように見えたというほど、鮮やかなものだったのだろう。

かかし巡りの最後になる夢創館を通り過ぎれば、ここから本格的な上りになる。およそ4キロの道のり。果たして・・・・?





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