再び五新鉄道のハイキングツアーの話。
国道168号線から分岐するバス専用道。集落の間をまっすぐに伸びる。先ほどバス内でガイドを務めた奈良交通の運転手の話では、極力最短距離で阪本、新宮を目指すという計画であったから直線も長くとっており、カーブや勾配も緩やかであるためにハイキングコースとしては歩きやすいとのことである。また、あくまでバス専用道であり、一般車両の乗り入れは禁止されているため(ただ、地元の人が一部生活道路として使っているとのことである。もっとも、一般車が故意か過失かは別としてバス専用道を走行したら道路交通法に引っかかるのか、詳しいことはわからないが)、クルマが前後から来ることを気にせず歩けるというのも面白い(歩行者が歩くのは認められているのかな)。
周りはのどかな田園風景が広がる。仮に鉄道が開通したとすれば、大阪からでも気軽に訪れることのできるローカル線といったところだろうか。
歩くうちに交差点に出会う。角には黄色の柵が置かれている。ちょうど線路と道路が交差する踏切のようである。もちろん線路は敷かれていないが、角にはミラーがあったり警報ランプが設けられている。バスが通過する際はランプが回るようで、その時は道路側のクルマが停車してバスを通すことになっている。
「専用道霊安寺」というバス停に出る。専用道は鉄道で言えば単線の幅しかなく、こうした停留所で初めて行き違いができる。パッと見た目では行き違い設備のある鉄道駅に見えなくもない。五條方面の乗り場には簡単な屋根つきのベンチがあり、地元のお年寄りが談笑している。ハイキングの我々を見て「どこから歩いて来たん?」と声をかける。
このお年寄りたち、バスを待っているのかな・・・・と時刻表を見るが、その本数がすごい。平日は朝と夕方で合計5本、休日に至っては朝の1本だけである。そしてこの日は休日で、朝7時台のバスはとっくの昔に行っておりもう運行はない(だから、ハイキングツアーもできるのだろうが)。いったいこのお年寄りたちはバス停でバスを待つわけでなく、何をしていたのだろうか。暖かいし、クルマは来ないし、日向ぼっこにちょうどいい場所なのかな。国鉄~JRバスの頃は1時間に1~2本ほどの便数はあったそうだが、これもクルマ社会の影響や、沿線の人口減少により利用客が減り、そのため便数を減らす、利便性が悪いとしてさらに利用客が減る・・・という、ローカルバスにありがちな悪循環が見られる。
道はまっすぐ伸びる。ひたすら前を向いて歩く人、周りをじっくり見たり写真撮影をしながらのんびり歩く人、40人の参加者は思い思いのペースで歩いており列は縦にかなり伸びるが、それでも旗を持った先頭の人の姿が遠くに見える。だんだん、「列車の気分」が高まってきた。
道端には「JRバスの遺物」も見える。専用道への侵入や駐車を禁止するJRからの警告看板が放置されていたり、標識がさびついたまま残されていたりする。こういう遺物、廃線めぐりが好きな人にとっては面白いネタとなることだろう。
歩くうちに橋に出る。ガードレールはあるが普通の道路と比べて低く、膝くらいの高さしかない。端を歩くと落ちそうで結構スリルがある。バスも徐行運転となるそうだ。この第一丹生川橋梁、戦前の資材不足の時代に建設されたそうだがアーチが美しい。現在の高架橋と比べればその味わい深さが伝わってくる。
第一丹生川橋梁を渡るとトンネルが見える。その入り口の外観は道路ではなく鉄道の造りであることがうかがえる。この生子(おぶす)トンネル、長さは600mほどで、トンネルの出口の明かりも遠くに見えるが、中は真っ暗。道路のトンネルとは違い、鉄道のトンネルは中の照明は最小限、あるいはなくても支障がない。ハイキングの持ち物に懐中電灯とあったが、それが役に立つ。それがなければすぐ隣の人の顔もわからないくらいである。またトンネル内の水漏れが激しく、路面に水たまりができているし上からも水が垂れる。スタッフの人が比較的安全なルートを案内する。
歩く人のいくつかの懐中電灯の明かりがトンネルの中に光る中、後ろからエンジンのような音が聞こえてくる。え?クルマは走らないはずだし、専用道のバスの運転は今日は終わっているはず・・・それがエンジン音と前照灯がだんだん近づいてくる。思わず、トンネル内の退避スペースに身を寄せる。
そこにやってきたのはマイクロバスが2台。「周遊バス」という文字がちらっと見える。何だろうか。団体専用のバスだろうか。ただ、このトンネルをバスが走るとこんな感じなんだろうなというのが疑似体験できたようで面白い。
沿道に梅林が現れる。賀名生の梅林も近いところである。もし列車が走れば車窓に梅を見物することができてそれもまた一興かなと思う。この五新線に車両を走らせるとすればどのくらいの大きさになるだろうか。ただ道路の幅やトンネルの高さからすれば、バス1台が通るのがやっとである。戦前から戦後にかけての計画と建設ならば、現在でいえばレールバスくらいのサイズの小型車両がやっとだろう。気動車でも何両も連なって・・・というのは厳しいかな。
専用道神野のバス停の先、専用道の遥か上を立派な橋脚が横たわる。これは国道168号線ではなく、農道。谷のこちらと向こうを立派な橋で渡したということである。こういう農道にすら巨額の建設予算がつくのも時代の表れだろうか。一方で、10年以上前に運行をとりやめたJRの看板も放置されたままだし、道路整備もされていないためアスファルトにひびが入ったり、穴ぼこができていたりというバス専用道の荒れよう・・・。
2つ目のトンネルを懐中電灯片手に通り抜けると集落が見えてきた。ここが賀名生である。南北朝時代、3代の天皇が過ごした地であり、『神皇正統記』を書いた北畠親房の終焉の地。なぜこんなところに皇居を構えたのかと、今こうして訪ねてみると不思議に思う。攻め込まれにくいところではあるが、ここから打って出るというのは難しいだろう。それとも、ここから十津川を経て熊野本宮、さらには南へ抜けて東国に通じるというルートに位置することも関係するのだろうか。
賀名生のバス停に先ほどトンネルでやり過ごしたバス2台が停まっている。これは五條市が運行している無料コミュニティバスのようだ。梅や桜の見ごろのこの時期、1日3往復のバスを運行して観光客の利便性を図っているとのこと。うーん、これに乗れば「専用道をバスで走る」ということも経験できるということか。この賀名生は鉄道が開業していれば駅になる予定だったところで、他の停留所よりも敷地がゆったりと取られている。映画『萌の朱雀』でもバス停のシーンとしてこの賀名生バス停が使われている。