まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

3月度DM定期通院

2010年03月09日 | ブログ

今日の午後は大阪市内で行われた労務セミナーに出席。元々は経営者・経営幹部向けということで某データ関係会社からの案内が来ていたのだが、「せっかく無料で行けるのやから行って来い」という私の上司の勧めで受講することに。まあ、私も職場では総務・人事関係のことを担当しているから、これも勉強である。こういう機会に大阪市内のオフィス街の空気を吸えるのもありがたいことだ。周りは結構「それなりの役職のお歴々」が列席されている中、私みたいな「昼間の只野仁」みたいなヤツが混じっていいものやらという感じはあったが、講師の説明もわかりやすいもので、何とか職場に生かせないかと思った次第。

さてそのセミナーも無事終了し、今夜はこのまま直帰ということでオフィス街の赤提灯・・・・と行きたいところだがそうはいかず、そのまま病院へ直行。月に一度のDM定期通院をこのセミナーでの外出にリンクさせていたのだ。

さて毎月のHbA1c(ヘモグロビン・エーワンシー)だが、今回は5.1%。前回と前々回が5.0%だったのだが、まあこれは「現状維持」と言っていいだろう。今日は、医師のデスクのパソコン画面に映っていた昨夏の初診以降のHbA1cの折れ線グラフを見たのだが、昨年夏が12%超えの極悪人で、教育入院で7%くらいまで更生し、以後は5%台を維持することができている。やれやれ。

ただ内服薬の量は依然として変わらず、これからも血糖値の自己測定は続くので(まあ、自己測定自体はこの先もずっと続けていこうと思うが)、まだまだ油断できないところである。少しは「飲み鉄」をほどほどにしないといけないとは思うのだが・・・・。

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田舎力

2010年03月08日 | ブログ

最近「地域活性化」という言葉に敏感になっている。国のほうで今後の日本の成長戦略のカギとしているキーワードの一つでもあるし、あちらこちらを旅する中で、その土地土地の表情というのを(上っ面だけでしかないのだろうが)感じるのも興味あることである。

私のやっているtwitterでも「地域活性化」はテーマとなっており、それについていろんな人がいろんな発言を行っている。ただその多くが、活動に対してどこかもどかしさを感じているように見えるのは気のせいだろうか。

さて、最近読んだ書物の中で論旨明快だったものとしての一冊。

『田舎力~ヒト・夢・カネが集まる5つの法則』。金丸弘美著、NHK出版生活人新書版。

41huuqr01fl__sl500_aa300__2東京一極集中であるとか、過疎化、薄れつつある地域の特性・・・いわゆる「田舎」にとってもマイナスイメージやら逆風やらある中で、元気な地域というのがある。本書ではその元気な地域の特徴を5つの法則として分け、わかりやすく解説している。同じ「地方の実情」として以前に読んだ「ファスト風土」に関するものと比べても真逆の内容で、「いったい地方の実態というのはどっちやねん」と思いたくなるところであるが・・・・。

その法則とは、「発見力(地域の独自性は何かをとことん考える)」、「ものづくり力(地域の特性に合ったものを栽培し、加工する)」、「ブランドデザイン力(体験メニューで消費者を巻き込む)」、「食文化力(文化を伝える場を作る)」、「環境力(伝統的な生産者や作り手を表に出す)」というもの。ただし、カッコ内はその要素の一つで、他にもいろいろと要素があるものだ。

このいずれもに共通するのは、「いかにして地域の特性を見極め、それを生かすか」ということと、「伝統的な文化を尊重し、それを生かすか」ということなのかなと読めた。そして、その活動の前面に立っているのは地域の有志たちであり、自治体はどちらかといえばその活動を後方支援するという立場(それでも、積極的な自治体でなければ成功するのは難しいだろう)。

読むにつれ、こういう画期的な試みを行っている「田舎」というのはいいなと思う。それを私の故郷に当てはめてみたところで、大阪の小さな市であり、歴史はあるがそれで「地域活性化」というのも少し違うかなとも思ったり・・・。いや、そんな中でも何かできないかと考えるのが活性化なんでしょうけどね。

グリーンツーリズムというのもいろいろと行われているようだし、今後はこういうところをいろいろと回る旅というのも面白いかなと思う。何だか、うまい野菜や魚を食べたいというのかな・・・・。

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桂浜で津波警報を聞く

2010年03月07日 | 旅行記G・四国

高知へのオープン戦観戦旅行。28日の当日は好天に恵まれた。

この日はまだバンクーバー五輪の最中。少し早起きをしてテレビをつけると、ちょうどスピードスケートの女子パシュートの試合をやっていた。正直私はこの種目の存在を知らず、この時は「まだスケートやってたんや」というくらいの感じで見ていたが、日本が準決勝を勝ちメダルを確実にして「すごいな」と思う。その後の準決勝第2試合でドイツの選手が最後に高校野球ばりのヘッドスライディングを決め、その執念が実って決勝進出となったときにはテレビに向かってうなっていた。

そして、あの「0.02秒差」でドイツに最後の逆転を許し、日本が銀メダルとなった決勝戦を見ることに。この時にはホテルの部屋で「うわー」などと言っていたのだ。

さてホテルで朝食を済ませた頃には空にはほとんど雲もなく、絶好の野球日和。ということでクルマを走らせるが、春野球場に行く前に、高知でのお気に入りスポットに向かう。

Dscn7709_2そこは、桂浜。黒潮の雄大さを味わえるところで、もういわずと知れた高知を代表する観光地である。私もこれまで何回も訪れたが、何回訪れてもいい。

Dscn7669黒潮を眺める坂本龍馬。特に今年は大河ドラマの影響もあってか、訪れる人も多くなることだろう。この日も朝から賑わっていた。

Dscn7681この日は結構波の重量感を感じることができた。しばし海岸を散策することにする。

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Dscn7721散策後、高台にある坂本龍馬記念館へ。特に龍馬ファンというわけではないためか、逆にここに入るのは初めてである。龍馬の生涯をパネルでたどったり、直筆の手紙やら暗殺時に血痕のついた屏風の複製などを見る。まあ、ここはざっと眺める程度で。

Dscn7712それよりも、記念館の屋上から眺める桂浜の西岸の景色が雄大。前日は高知の山間を走って「土佐は山国やな」と思ったものだが、こうして見るとやはり「土佐は黒潮やな」と思う。

さて、記念館を出ると外でスピーカーが何かうなっている。それを聞くに、「南米での地震の影響により、先ほど津波警報が発令されました」というもの。「海岸には絶対に近づかないようにしてください」とも言うが、それでも桂浜の海岸には大勢の観光客がいて、別に引き上げるような様子もないし、すぐさま砂浜から強制退去させられるようでもなさそうだ。私もそうだが、一般の人にとっては津波と言われてもピンと来ないのかな。

私はそのまま土産物店で海産物や地酒などを購入し、春野球場に向けてクルマを走らせた。結局オープン戦が終わる頃には桂浜の海岸を走る県道は通行止めとなり、高知でも東部の室戸、西部の土佐清水ではそれぞれ40~50cm程度の津波を観測したという。ただ、テレビのニュースでも見たのだが、50cmの津波の実験でも人が立ってられないくらいということだから、「程度」といってはいけませんな。

この日は途中で夕食をとったりしながら21時頃に帰宅したのだが、テレビではどのチャンネルも、OA中もCM中も画面の右下に日本地図が表示され、津波警報に関する情報が終夜流されていた。訪れた高知沿岸は最後のほうまで警報が解除されなかったという。かつての三陸の大津波というのはどんなものだったか。その被害について生存者が生々しく語ったものをまとめた吉村昭氏のルポを読んだことを思い出していた。

今回の観戦ドライブはオープン戦観戦というだけでなく、五輪での銀メダル、津波警報となかなかいろいろなことがあった一日であった・・・・。

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新改駅見物と土佐名物

2010年03月06日 | 旅行記G・四国

先月27日、「東洋のマチュピチュ」別子銅山を訪ねた後、昼食をとって新居浜から松山道へ。川之江から高知道に入る。この高速道路、四国山地を抜けていくのだが、これがトンネルに次ぐトンネル。この先高知まで20以上のトンネルがあるといい、地上を走るよりトンネルに潜っている時間のほうが長いくらい。四国の急な地形を感じさせられるとともに、高知といえば「黒潮」のイメージだが実はそのほとんどが山がちな地形であることを思い知らされる。

さて、高知に向かう前に、一つ手前の南国インターで下車。少し来た道を引き返す形になり、また山道を登っていく。この日は別子銅山の東平(とうなる)訪問といい、このドライブといい、四国の山道を登ってばかりだ。

インターから下車して20分、小さな集落を過ぎ、さらに離合不可能な道を登る。途中、建設会社の資材置き場に迷い込んだりもしながらだ。

Dscn7638・・・そんな思いまでしてたどりついたのが、JR土讃線の新改駅。ここは高知駅から20キロほどの距離にあるが、完全な山の中にあるスイッチバック駅。

Dscn7650そしてここは、いわゆる「秘境駅」の中にあってその上位にもランクされている駅だ。四国の山中のスイッチバック駅といえば、香川と徳島の県境にある坪尻駅が有名だが、クルマではたどりつけない坪尻に対し、ここはまだクルマでたどり着ける分、「秘境度」では落ちるそうだが・・・(落ちる、といわれてもなあ)。

駅のところで道路が行き止まりなのだが、ここでいきなり対向車に出くわしてビックリする。クルマで来訪の「その筋」の人と思われる。

Dscn7637するとどうだろう、ちょうど阿波池田行きの列車が発車していくところ。慌ててカメラを取り出してホームに出て、引き上げていく列車を撮影する。

Dscn7640ここで列車は一旦引込み線に入り、再び本線に出てエンジン音高らかに山を登っていく。

もう一台のクルマは列車が出て行くと見えなくなり、訪れた時にホームで何かの測量を行っていた人も作業を終えてクルマで立ち去る。山の中に静寂が訪れる。

Dscn7648列車で訪れたわけではなくクルマで訪れたわけだが、何も音がしない風景というのにはなかなか出会えるものではない。ここでしばらくたたずんだり、駅ノートに書き込みを行ったりして時間を過ごす。

それにしても、先ほど高速道路を通ってきた者としては、この土讃線というのは急カーブあり、スイッチバックありで現代の交通体系からすればどん臭いようにも見える。それでも、鉄道好きとしては「このレールが全国につながっているんだな」と、ロマンに思いを馳せるのだからわからないものだ。

新改駅を後にして、高知市内へ。この日宿泊したのは駅前の「港屋」。部屋はこぢんまりとしていたが、大浴場あり、格安の朝食つき料金で結構気に入った。この日はバスケットボールか何かの部活動の生徒の団体がいて賑やか。

Dscn7656さて、高知とくれば夜の部である。まずははりまや橋まで歩き、帯屋町のアーケード街を歩く。

Dscn7654大河ドラマの舞台ということで、坂本龍馬やら岩崎弥太郎などの写真をあしらった垂れ幕が街を彩っている。観光客らしい人の姿も多い。

Dscn7666この日入ったのはそんな中にある「一本釣り」。気取った郷土料理店というよりは、土佐の味をリーズナブルに味わえるという居酒屋である。

Dscn7660ここではまずもってカツオのたたき。おすすめはほとんどレアにあぶったものを塩でいただくという「塩タタキ」。普通の倍はあろうかというくらい大胆に切っており、新鮮なものでなければ塩タタキにはならないそうだ。これをにんにくと合わせて豪快にいただく。

Dscn7662_2続いてはクジラの赤身。居酒屋でクジラを見ると必ずといっていいほど注文するのだが、さすがはクジラの食文化が行き続ける高知という感じ。

Dscn7659そして、カツオ、クジラに続いて「三本柱」に名乗りを挙げだしているのがウツボのタタキ。コリコリとした食感を楽しむことができる。

Dscn7658_3このほかにもアナゴの稚魚である「のれそれ」も。これでもかというくらいの味わい。

Dscn7663これらの相手となるのが、清流・四万十川の水をベースにつくられた地酒・藤娘。土佐の魚たちとよく合う。合計すれば結構な値段となったが、まあ高速道路の割引分が料理代に回ったと思えば結構な話である。店の雰囲気も賑やかなもので、地元の人、観光客ともにあっという間に満席になるくらい。

さて外に出ると雨が降り出した。この日一日ははっきりしない天候だったが、雨なら今晩のうちに降っておいてくれといったところ。翌日のオープン戦が無事観戦できればそれでよしということで、早朝からのドライブだったこともあり、この日は早々と横になった・・・・。(続く)

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東洋のマチュピチュ・別子銅山へ(2)

2010年03月04日 | 旅行記G・四国

「この上に東洋のマチュピチュがありますよ」・・・・そういう案内を受けてキューブをさらに標高高く持っていく。途中、幅の狭い道を走る。ここはクルマ同士の離合というのも困難なところで、道の真ん中には石が落ちていたりして結構デンジャラス。

おまけに悩まされたのが、雨ではなく霧。視界は不良と言ってよく、走行時にはランプをつけて対向車に自分の存在を示さなければならないほど。それでも前方に急にクルマが現われてヒヤッとブレーキを踏むことも。これまでいろいろな山道を走ってきたが、その中でも一・二を争うくらいのハードな道のり。

マイントピア別子を出て30分ほどで東平(とうなる)地区に到着。ここでパッと開けて広い駐車場に出る。ここが「東洋のマチュピチュ」か・・・。

Dscn7614ここはかつての別子銅山で栄えた集落であるのだが、今は正確に言えば「跡地」ということになっている。先ほど別子銅山記念館で、鉱山で働く人たちの日常生活を写した写真などを見てきたのだが、その舞台がこの東平地区。その賑わいも閉山とともにいつしかさびれていき、とうとう「廃村」という形で集落全体が「廃墟」となったところである。

Dscn7616それにしても霧が濃い。数十メートル先の視界は全くといっていいほど効かない。それでも数台のクルマが停まっており、ここを訪れる人がいるのだということがわかる。鉱山の歴史を体感するというのもあるだろうし、昨今の「廃墟ブーム」というのも手伝っているのかもしれない。

Dscn7620かつての貯鉱場跡やら、索道の駅跡などが保存されている。そのレンガの残り具合の生々しさ。

Dscn7622私はもちろん行ったことがないのだが、こういう景色がマチュピチュを彷彿とさせるのだろう。これぞ文字通りの産業遺産。

Dscn7626進むうちに「娯楽場・病院跡」という看板を見つける。これに従って歩くのだが完全な山道である。周りはうっそうとした森に覆われており、その霧がモノトーンの景色を演出する。この写真は決して白黒モードで撮ったものではない・・・。

Dscn7628そして出会った建物の跡地・・・・。

Dscn7630_3あの~、銅山が閉山になったのって昭和の時代。それも私が産まれた頃の話なので、まだ30数年のことよね。これがこういう姿になるんですな・・・・。

Dscn7632何とも生々しい姿である。しばしその場で動けなくなった。じっとしていると聞こえるのは風の音だけ。これは夜には絶対一人で来ることはできないな・・・。何とも物悲しい姿である。

Dscn7636鉱山の歴史をどう伝えようかというのはあると思う。先ほど訪れたマイントピアは子どもでも楽しめるような鉱山跡を目指そうとしている。そしてその一方でこの東平のような生々しさ。こちらは完全に大人向けのスポット。知る人ぞ知るというのでちょうどよい。

Dscn7621これほどうなった廃墟跡は、長崎の軍艦島を海上から見た時以来かな(あれも6~7年前の話だ)。いつかまた季節を変えて、周囲の景色がちゃんと眺められる時期、ここにある記念館(2月いっぱいまで冬季休館中だった)がオープンしている時期に来たいものである。

これで午前の部は終了。ここから高知に向けて移動することにする・・・・。(続く)

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東洋のマチュピチュ・別子銅山へ(1)

2010年03月02日 | 旅行記G・四国

先月28日は高知までオープン戦を観戦しに行ったのだが、その前日27日は高知までの移動。せっかく四国に渡るのだからと前日は移動日に充て、どこかに立ち寄ることにした。

Dscn7552早朝4時にパートナー・キューブを出動させ、尼崎を出発。この日は阪神高速~第二神明~加古川バイパス~姫路バイパスを経由して山陽道へ。夜が明けて7時半に瀬戸大橋に出る。途中の与島で休憩を取り、瀬戸大橋を間近に見る。本四ルートもいろいろある中で、やはりこの瀬戸大橋が安定感があるというか、鉄道も走ることもあって見ていて楽しい。

Dscn7577_2さて、この日の目的地は、高知とは方向が違う愛媛県は新居浜にある別子銅山。現在「マイントピア別子」という銅山観光のスポットになっており、かつて広島在住時代に2回訪れたことがあるのだが、久しぶりにこういう「観光銅山」で産業遺産見学としゃれこもうというところである。松山道の新居浜インターを下車。

Dscn7565その前に訪れたのは、銅山の入口にあたる大山積神社の境内にある「別子銅山記念館」。ここはこの地で別子銅山をベースに発展し、現在も多くのグループ工場を持つ住友グループの協力で建設されたものである。以前に訪れたときはここは素通りしたはずで、見学するのは初めてである。

まずは屋外に目を引く展示物。かつて鉱山と新居浜の港を結んでいた鉱山鉄道で使用されていた蒸気機関車に電気機関車。特に蒸気機関車は明治時代のもので、往年の鉄道の姿を今に残す。

Dscn7572この他には「かご電車」と呼ばれる人員輸送用の車両。まさに江戸時代の駕篭かきが背負うようなかごで、今にして思えばよくこんなものに人が乗って揺られたなと思うくらい。私などはこの幅に収まりきれるかなと思うのだが・・・。この後記念館で、かご電車に乗る人たちの写真を見たのだが、かごに揺られるというよりは囚人を護送するかのような感じに見えた。でもまあ、これでも当時としては画期的な交通機関だったのだろう。

さて館内に入る。元禄の時代に露頭が発見され、以後、1973年に閉山(この年は私が産まれた年でもあるが、同時に数多くの鉱山が閉山した年でもある。石油ショックもあり、やたらと「エネルギー」というものを取り巻く環境が慌しかった年である。このことが、私が産業遺産に興味を持つきっかけの一つになったともいえる)するまでの歴史を多くの史料で紹介してくれる。この他にも地質の紹介で鉱石の標本があったり、鉱山で働く人たちの生活についての写真パネル展示もあり、別子銅山の歴史を見る上では充実したスポットである。無料で見学させてくれるのもよい。

Dscn7578ここから3キロほど山を上がると、「マイントピア別子」。先の記念館がどちらかといえば学術的なところもあったのだが、ここはいわば実際の坑道を利用したテーマパーク。ここには温泉も併設されており、見学の後は入浴で疲れを癒そうと思う。

・・・ところが、受付で見学と温泉の共通券を購入しようとしたら、「温泉は明日(28日)まで定期検査でお休みです」とのこと。ありゃりゃ。

ならばということで坑道見学と砂金採り体験のセットを購入。すると、「坑道が工事中で一部見学ができなくなってますので」と、200円の商品券が出てきた。売店で使えるという。

聞くところではこの「マイントピア」、この春にはより体験型、というか子どもももっと楽しめるようなテーマパークとしてリニューアルされる予定で、それに向けて坑道を工事しているのだという。まあ、2月といえば観光のオフシーズンだからな・・・。

Dscn7598チケットを買い求め、坑道へと続くトロッコ列車に揺られる。コトコトとゆっくり走り、途中、明治時代に架けられたピントラス型鉄橋を渡る。ここから観光坑道の入口。

Dscn7596_2中には温度計があり、気温は12.2度。冬暖かく夏涼しい坑道(そこで働く人たちにとっては決して快適とは言い難い環境であったはずだが)をしばし歩く。江戸時代のゾーンということで、着物姿の鉱夫たちの人形が当時の様子を伝えてくれる。

Dscn7590_2・・・と、ここで見学は終了。この先が工事中で現在入ることができず、それが200円の商品券となったわけだ。

Dscn7602ただ、全体の見学エリアからすれば工事中のエリアは大部分で、200円の商品券ではちょっと取りすぎではないかと思う。まあ、リニューアル前のオフの時期に来たのだから仕方ないことかな。

ならばということで、30分間の砂金採りにチャレンジ。冬でも水槽に温水が出ており、いいコンディションで楽しむことができる。

Dscn7609砂金採り体験はいくつかの観光鉱山でやったことがあるので要領はわかっているのだが、ここは初めてということにして係の人からレクチャーを受ける。何でも砂金のほかに銀や宝石も埋まっているということで、これは挑戦しがいがあるというもの。

砂金採りは、器でもって水槽の砂を底のほうからグッとすくい、円を描くように水槽の中で大胆に器を回して砂を流し、最後まで残った砂の間から金銀財宝が出てくるというもの。何回かその動作を繰り返すうち、結構出てくる。砂金は平べったく、銀は超小粒の玉、そして時折目にした青い小石はトルコ石という。

銀が出てくるが、ちょうど前日にあったバンクーバー五輪のフィギュアスケートの浅田真央選手ではないが「銀よりは金がいい!」と思う。すると、すくうところがよかったのか、後半では砂金も出てくるようになった。これは結構採れているほうではないかな。

Dscn761130分の制限時間終了。採った砂金はさまざまに加工してくれるということで、私は雷管記念にカードの埋め込んでもらうことにした。さすがに銀やトルコ石はラミネートしてくれず、これは袋に入れてお持ち帰りとなる。係の人の言葉では「結構採れたほう」とのこと。これで少しはリッチな気分が味わえたかな・・・?

さて、カードをラミネートする機械を暖めている待ち時間の間、係の人が「こんなところあるんですよ」と、1枚のパンフレットを見せてくれる。そこには、「東洋のマチュピチュ・東平(とうなる)」の文字。

「ここから30分くらい上がりますよ」「夏とか天気がよければムードいいんですけど、今の時期は・・・」などという。そこはかつての別子銅山の通洞やら銅山で働く人たちの集落もあったところ。それが「マチュピチュ」とはね・・・・。

それでもまあ、入る予定だった温泉が休みということもあり、このエリアでの滞在時間には余裕がある。せっかくなので行ってみようと、キューブをさらに標高高く持っていくことにする・・・。(続く)

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