まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

オリックス・バファローズ優勝おめでとう!!!!!!!!!!!!!!

2021年10月27日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

おめでとう。ありがとう。

全員で勝った。

うれしい。

今、ただそれだけ・・。

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第4回中国四十九薬師めぐり~第4番「福王寺」(下境内、上境内)

2021年10月27日 | 中国四十九薬師

大雨の湯原温泉から蒜山に向かう。これから訪ねるのは中国四十九薬師の第4番・福王寺だが、雨の中通る道は高原という感じではない。ごく普通の集落といった趣である。

道路脇に福王寺への道しるべの石柱があり、そこから細道に入る。周囲の民家や田畑にまじって寺の建物が見える。山門があるわけでもなく、そのまま境内にクルマを乗り入れる。

福王寺が開かれたのは平安時代。菅原道真が大宰府で亡くなった後、付き従っていた仁和寺の僧だった弥宗僧正が、道真の念持仏だった薬師如来をこの地に祀ったのが由来という。先ほどの院庄のように東西を結ぶ街道が通っていたわけではなく、なぜ蒜山なのか気になるところが。道真を重用していた宇多法皇は仁和寺の僧でもあり、仁和寺の近くにある福王子神社から寺の名前がつけられた。

その後は一定の勢力を持ち、豊臣秀吉の養女である豪姫を迎え入れることもあったが、豊臣方でキリシタンをかくまっていたとして徳川家康の命令で取り潰しに遭った。その後、江戸中期に復興し、現在の本堂はその当時の建物という。茅葺屋根にも苔が生えていて時代の長さを感じさせる。内部の天井には花鳥風月が描かれていると紹介されるが、扉の向こうの様子はよくわからない。まずはこの本堂を前にお勤めとする。

その前には弘法大師と四国八十八ヶ所のお砂踏み。ちょうど八十八ヶ所が四国の形に並べられている。

もっとも、横の本坊らしき建物も荒れた建物で、納経所も無人である。うーん、中国四十九薬師の札所はこんなの(といっては失礼だが)ばっかりなのかなと思う。窓を開けて、棚の引き出しから納経の用紙を取り出して、自分で朱印を押す。まあでも、これもローカル線ならぬローカル札所の味わいである。世の中には、「直筆でない朱印は受け取らない」という方もいると思うが、世の実態はこのようなものだ。

同じ棚で見つけたのが、中国四十九薬師めぐりの朱印帳の表紙。表紙と裏表紙を紐で綴じるものだが、500円と安い。これまで見つからなかったが、第4番の無人納経所で出会うとは意外だった。ともかく、中国四十九薬師めぐりもこれを印籠のようにして回ることができる。

これで福王寺は完結・・だが、どうも勝手が違う。中国四十九薬師の公式サイトや福王寺のホームページに出てくる寺の画像とは違うのである。そちらでは新しく立派な建物が本堂として掲載されているし、境内も広々としている。

納経所の掲示を見ると、この先に「上境内」というのがあるそうだ。裏山を切り開き、2013年に持仏堂、客殿などを新たに建てたという。今ではこの持仏堂が本堂の役割を果たしているようだ。傘をさして、本堂の横から坂道を上る。

そこは広大な一角だった。不動明王と弘法大師が仁王のように立ちはだかり、その奥に持仏堂がある。

中に入ってお参りができるとのことで扉を開けると・・・ちょうどこれから法事が始まる様子で、僧侶、そしてご家族が一斉にこちらを振り返る。何だか気まずい感じになり、そのまま扉を閉めて退散する。今ではこの持仏堂で法事や祈祷に対応しているようだが、訪ねたタイミングがよくなかったかな。

こちらの裏山は墓地としても整備されていて、歴史ある福王寺の中で先に訪ねた「下境内」、そしてこちらの「上境内」として信仰を集めている。蒜山といえば高原、牧場、乳製品のイメージだが、こうした由緒ある寺院が残っているとは意外だった。

今回の札所めぐりの目的地に到達し、雨風強い中だが、せっかくなのでもう少し蒜山を回ることにする。これもクルマならでは・・・。

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