まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第4回中国四十九薬師めぐり~院庄から大雨の湯原温泉へ

2021年10月26日 | 中国四十九薬師

10月17日、蒜山の福王寺に向かうべく、前夜宿泊した院庄から出発する。その前に、「院庄」という由緒ありげな語感があるこの地をちょっとのぞくことにする。

この辺りは吉井川沿いに開けた平坦な土地で、早くから美作の中心として栄えたという。後に後鳥羽上皇の荘園となったことから「院庄」という名前がついたという。一方、鎌倉時代から室町時代にかけては美作の守護職がこの地に置かれ、その館の跡も残されている。また、後鳥羽上皇が隠岐に流される際、この地で亡くなった女院を葬った塚もある。

その院庄の歴史が今に残るのは後醍醐天皇によるところが大きいようだ。こちらも隠岐に流される途中、院庄の守護職の館に逗留した。その時、備前の土豪児島高徳が天皇を救出しようと美作までやって来たが、警備が厳重で救出することができなかった。そこで高徳は桜の木に「天莫空勾践(こうせん) 時非無范蠡(はんれい)」という漢詩を彫った。

時代が下り、関ヶ原の戦いの後、美作が森氏の領地になった時、この院庄に築城しようとした。しかしいざこざがあって結局津山に築城することになった。それ以来、美作の中心が津山に移ったという。

明治の初め、この院庄館跡に作楽(さくら)神社が建てられた。祭神は後醍醐天皇と児島高徳である。

先ほどの「天莫空勾践 時非無范蠡」という詩の意味だが、「天は、(呉との戦いに敗れて捕らえられた)越王勾践を見捨てなかったように、帝を見捨てることはない。勾践に范蠡という忠臣がいたように、帝を助け出すが必ず現れる」ということという。この詩の通り、後に後醍醐天皇は隠岐から脱出して、数々の忠臣の力を得て鎌倉幕府を倒した。そのことで児島高徳のこのエピソードも天皇への忠義の現われとして明治以降、戦前には英雄扱いされるのだが、高徳自身についてはよくわかっていないところも多く、実在を疑う説もあるという。また、「太平記」の著者の一人に小島法師というのがいるが、一説ではこの小島法師が児島高徳ではないかともいわれている。

その桜の木があったとされる場所に碑が建てられている。

これで院庄にも訪ねたことにいて、蒜山に向かう。国道181号線を西に向かう。立ち寄り先の湯原温泉には中国道~米子道乗り継ぎが早いのだが、時間はあるのでそのまま下道を行く。

これも下道を行く理由ということで立ち寄ったのは美作千代駅。大正時代、姫新線の開業時に建てられた駅舎がそのまま残されている。津山市の姫新線、因美線にはこうした駅舎がいくつか残されていて、訪れる人の目を楽しませる。柱や漆喰壁に年月の重なりを感じる。なお、駅前に立つ郵便ポストは、レトロ駅舎保存の機運と合わさってわざわざかつての丸いスタイルのものに取り換えられたという。

駅ノートを見ると、姫新線の本数は少ないのだが、時間を有効に使うために隣の院庄や坪井から歩いてきたという書き込みも見られる。この辺りは津山の郊外ということでまだ駅間の距離もそれほど長くない。

真庭市に入り、国道313号線と合流する。先日の第3回中国四十九薬師めぐりで、第3番の勇山寺を訪ねた後に真庭を回った時に訪ねたのと同じ道である。今回は旧遷喬尋常小学校や勝山の町並みはそのまま通過する。

中国勝山から旭川沿いの国道313号線に入ると、外の雨脚が強くなった。夏のゲリラ豪雨とは違うが、モロに前線にぶつかったようである。雨の予報なので覚悟はしていたが、ここまで降るとは思わなかった。院庄に前泊したからそのまま向かっているが、日帰りで広島から来たらなばそのまま引き返すのもやむを得ないかなというくらいである。

そのまま旭川に沿って走り、湯原温泉郷を形成する小規模の温泉街を通過した後で、米子道の湯原インターに出る。以前に乗った鳥取~広島間の高速バスが湯原温泉まで国道を走り、湯原インターから高速に入ったのを思い出す。その時、広島から湯原温泉まで乗り換えなしで来ることができるのかと意外に思ったが、そのバス停から温泉までは結構距離がある。ローカルバスがうまく接続してくれればいいのだが・・。

看板に従って温泉街に入り、河川敷に設けられた駐車場に停める。クルマはここで行き止まりで、この先、湯原ダムの下にあるのが露天風呂の砂湯である。

一応、向かってみる。ただ、クルマから出ると雨風ともに強く、すぐに足元がずぶ濡れになる。こんな中、露天風呂に入っても逆効果だろう。

その砂湯の入口へ。1977年に作成された「露天風呂番付」で西の横綱に格付けされた砂湯だが、ちょうどこの時は水着を着けた家族づれ1組、おっちゃんが2人入浴していた。それを見てどうするか。

・・・結局、ここで断念して引き返した。西の横綱を前に不戦敗である。入って入れないことはないが、後がしんどそうだ。

砂湯以外の浴場はないか。通りに公衆浴場はあったが営業開始は10時からとある。現在の時刻は9時を回ったところで(ちなみに砂湯は特定の清掃時間を除き、24時間入浴可能)、そこまで待つのもどうかな。ホテル・旅館の日帰り入浴も朝はやってなさそうだ。

結局、足湯兼手湯で、手だけつけることにした(足湯といっても、腰かけが雨で濡れていたので)。この時はさすがに、何も今日来ることなかったなと、ちょっと後悔した(1週間後の日曜日は晴天で、また気温も下がったので温泉にはぴったりだった)。

それはそれとして、気持ちを切り替えて湯原温泉から蒜山に向かう・・・。

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