まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第16番「般舟寺」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(横川から新天地へ)

2021年10月22日 | 広島新四国八十八ヶ所

広島新四国八十八ヶ所めぐり。10月のちょこっと時間が空いた9日、少しでも進めようと訪ねたのは第16番の般舟寺である。

JRの横川駅に現れる。私が現在住む広島市西区にあってさまざまな店舗が集まり賑わうスポットだが、前回の広島在住時も含めて、駅周辺はほとんど訪ねたことがない(鉄道やクルマで通過するばかり)。緊急事態宣言も解除になったことだし、駅周辺のディープな店などもこれからのぞいてみたいところだ。

その横川駅前で出迎えるのが、アンジュヴィオレ広島。広島を拠点とした女子サッカーチームだが、あれ、先日WEリーグというのが発足して、サンフレッチェ広島レジーナというチームができたのではなかったか。サッカーに詳しくないのでごっちゃになっているが、簡単にいうとWEリーグは新たに発足したプロリーグだが、一方で既存のなでしこリーグもアマチュアのトップリーグとして存続していて、アンジュヴィオレ広島もなでしこリーグに所属している。西区の横川、三篠地区の有志が立ち上げたチームとして活動している。女子サッカーのチームが2つあるというのもすごい。

JRの高架沿いの商店街を抜け、ぶらぶら歩くうちに本川(旧太田川)に出る。本川の向こうには、独特の構造を持つ基町高層アパート群の一つである県営白島長寿園アパートが広がる。

そのまま本川沿いに歩いて、周囲にマンションやビルが並ぶ中で存在感を放つ建物に出る。ここが般舟寺である。外観を見る限りはまだ新しく、古くからの歴史を感じることはない。広島新四国の札所でなければただの現代寺院ということで寺の前は通過してもお参りすることはなかっただろう。

その般舟寺、元々は戦国時代、毛利氏の家来だった石井蔵人の菩提寺として当時毛利氏の本拠地だった安芸吉田に開かれた。後に毛利輝元が広島を開発した時、現在の広島新天地に新たに建立された。しかし、ここも原爆によりことごとく消失して・・・。

現在地に建てられたのは1969年のこと。その後、本堂や庫裡の改修を経て現在に至る。本堂の前に六地蔵が並ぶが、元々の地で被爆したものだという。こうしたさりげないところにも被爆の痕が残されている。

本堂の扉は閉まっていたが、手をかけると開いたのでそのまま入る。椅子も並べられていて、普段の法要で使われていることがうかがえる。また、広島新四国で来た人向けに書き置き朱印が入った箱の場所も示されている。

本尊は阿弥陀如来で、祭壇の前には仏説阿弥陀経の読み下し文が書かれた用紙が置かれている。要は、阿弥陀仏というのはこれだけのご威徳があると称える経典だ。新四国八十八ヶ所めぐりなのだから弘法大師が・・と思うが、本堂の中にはそうした要素はなく、浄土宗、浄土教の世界が広がる。両脇の壁に並ぶのは阿弥陀如来に従う二十五菩薩である。般若心経の後で、この仏説阿弥陀経の読み下し文も読んで納経とする。

まあ、どこかで八十八ヶ所とつながっているのだなと納得し、広島新四国の朱印用紙をいただく。

般舟寺を後にして、本川を渡ってアストラムラインの白島に出る。昨年広島に移ってから初めてのアストラムラインである。これで終点の本通に向かう。

本通のアーケード街を進むと、10月4日に就任した岸田首相を祝う横断幕が掲げられている。広島県出身の首相は4人目で、山口(8人)、東京(5人)に次ぐ3番目の多さとなった。戦後に限れば3人目で、群馬(4人)に次ぐ2位である。もっとも、就任後すぐに任期満了解散、総選挙ということでまだ何もできていないが・・。

やって来たのは新天地。昼間は穏やかな風情だが、夜になると賑わいを見せるところである。

公園の一角にお稲荷さんが祀られている。繁華街の商売繁盛祈願スポットだが、この場所こそもともと般舟寺が建っていたところという。般舟寺は原爆で消失し、戦後に本川沿いに再興されたが、かつて寺で祀っていた紅桃花稲荷大明神を元の地に残したという。広島にはこうした歴史もあるものだ。

これで札所めぐりは終了。久しぶりに中心部の繁華街に来たし、かつての般舟寺に乾杯としようか。

「3・6・5酒場」という店に入る。東京の格安チェーン酒場だが、広島八丁堀にも出店している。生ビールに始まってタン、ハツ、ガツの盛り合わせやら鉄板餃子などで楽しむ。ホッピーもいただいた。気軽に入れる店の感じで、また来てもいいかな。

広島新四国八十八ヶ所めぐりはこれから安佐南区、安佐北区という北部エリアに入る。まだまだ広島のスポットを味わうところである・・・。

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