まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

土庄町歩き~小豆島八十八所と世界一狭い海峡

2019年12月23日 | 旅行記G・四国

2時間弱の滞在だが、初めての土庄の町を歩くことにする。まずは港からまっすぐ伸びる道を進む。この辺りは海に面した場所ではあるが、建物や町の様子は本土とさほど変わらない。クルマも結構な交通量だ。小豆島くらいの大きさになると島も一つの生活圏ができている印象で、見た感じでは離島にいる気がしない(もちろん、実際に住むと良くも悪くも島ならではの生活があるのだろうが)。

道路沿いに、ちょっと怪しげなコンクリートの建物が現れる。「小豆島霊場総本院」とある。ははあ、何だか吸い寄せられたような気分である。

小豆島にも八十八所めぐりがある。島全体を霊場として「日本三大新四国霊場」としている(残り二つは知多半島と福岡篠栗)。中でも小豆島の霊場は、弘法大師が都と四国を行き来する途中に立ち寄って修行していたという言い伝えがあり、「元四国」とも呼ばれている。

88ヶ所プラス奥の院6ヶ所、全て歩いても150キロほどの距離だが、88ヶ所全てが伽藍を持つ寺院ということではなく、お堂や祠だけというところもある。小豆島の険しい地形を利用した札所も結構あり、見方によっては本家八十八所よりも魅力が圧縮されたぶんハードだという話もある。鎖場をクリアしないとたどり着けないところもあるようだ。

小豆島八十八所・・今すぐ回ろうというつもりはないが、小豆島へは先の記事でも触れたように、関西からだと姫路から福田、神戸から坂手のフェリーがあるし、日生から大部という短いルートもある。島内のバスも絡めれば何回かのシリーズでたどれるのでは・・。またシミュレーションして、いつの日か「第◯回小豆島八十八所めぐり~」とか言いながらも島へのアクセスが長い文章を書くことになるかもしれない。あくまでも可能性の話だが。

今日のところは手を合わせるだけで、そろそろ町の中心に来る。何やらアーチが出てきて、水路を跨ぐように歩道が続く。

ここが、知る人ぞ知る「世界一狭い海峡」としてギネスにも認定された土渕(どぶち)海峡である。今でこそ小豆島として一つに扱われているが、正確には小豆島とは海峡から東の土地を指し、西側は前島という島なのだそうだ。これで言うと先ほどの土庄港は小豆島ではなく前島にある港となる。海峡の最も幅が狭いところで9.93メートルしかない。

その海峡の前島側に土庄町役場がある。入口を入ったところの商工観光課では、世界一狭い海峡を渡ったことの「横断証明書」をいただける。1枚100円で、プラス100円で台紙がつく。名前は自筆とのことで記入すると、係の人は日付だけでなく時刻まで書いてくれる。スタンプは自由押印だ。なお訪ねたのが平日だったので窓口に行ったが、土日でも守衛室で対応してくれるそうだ。

では「世界一広い海峡」は?と調べてみると、ドレーク海峡という、南アメリカ南端のホーン岬と南極大陸の北端の島々の間の海峡で、最も狭いところで650キロある。直線距離でいえば大阪からなら仙台の先までの長さだ。

ここからは「迷路のまち」という商店や民家が建ち並ぶ一角に入る。南北朝の争いの中、小豆島に拠点を構えた南朝方の佐々木信胤という武将が、相手方の攻撃に備えて路地を複雑に入り組んだものにしたとされている。また、中世の瀬戸内で活動していた海賊から実を守るために造られたとも言われる。まあ、両方の要素があっただろうし、それだけの町の歴史があるという名残である。その中にもアートやら、個性的な店も目にする。

その中で、朱塗りの立派な山門に出る。西光寺、小豆島八十八所の第58番札所である。今回は札所めぐりモードではないので数珠も経本も持っていないが、手だけ合わせていく。天井の紐を引いて鳴らすタイプの鐘を撞いてから境内に入る。樹齢250年以上というイチョウの黄葉の向こうに本堂、さらに奥の高台に三重塔がある。

本尊は千手観音菩薩。小豆島八十八所の朱印は8ヶ所かぶんをまとめてここで対応するという。先にも書いたが札所の中にはお堂や祠だけで「無住」のところが結構あり、その地域の有人の寺で納経の対応をするそうだ。墨書が大変だろうなと思うが、実は小豆島八十八所のオフィシャル納経帳はあらかじめ墨書が印刷されていて、札所では印判を押すだけだという。なるほど、回るなら有人の札所の場所と、対応する無住の札所の組み合わせを調べておいて、その組み合わせに沿ってシリーズとしたほうがよさそうだ(・・って、回る気まんまんやん・・)。

西光寺では戒壇めぐりもできるそうだが見送り、境内の石段を上がって三重塔に向かう。西光寺の奥の院で「誓願の塔」の呼び名がある。ここも八十八所の一つだ。

塔のたもとには弘法大師の座像がある。向いているのは土庄港の方角だが、これは想像ながらその海の先、故郷の善通寺の方向まで見つめているようにも見える。この誓願の塔が建てられたのは1977年、西光寺中興400年の記念事業によるが、土庄の町の目印の一つになっている。

西光寺の塀の石垣と三重塔の組み合わせが絵になる。再び迷路のまちを抜けて、土庄港に戻ることにする・・・。

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