まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第14番「仁和寺」~近畿三十六不動めぐり・23(372年、秘められた時を越え・・)

2018年11月05日 | 近畿三十六不動
何だか60年に一度とか、このタイトルにあるような372年だとか、時代がかったようなサブタイトルが続く。その心は後ほど。

花園駅を下車して仁和寺まで歩くことにする。駅前の道沿いに神社があるのだが、通りに露店が出ている。そして境内では神輿が置かれ、ちょうど地元のお兄さんたちが担ごうとするところだった。10月下旬なので秋祭りが行われているのだろう、せっかくなのでその一時を見る。お囃子も出て賑やかなものだ。

この神社は今宮神社という。平安中期、三条天皇が都で流行した駅棒を鎮めるために創建し、その後は仁和寺の鎮守社としての歴史を持つ。

落ち着いた住宅地を抜ける。左手にこんもり茂るのは双ヶ丘である。双ヶ丘ときいて思い浮かべるのは「徒然草」を書いた兼好法師で、通り沿いの寺の門前には「兼好法師旧跡」の小さな碑が立つ。「徒然草」には仁和寺の法師が登場する段がいくつかあるが、またその向かいの公園には「オムロン発祥の地」の碑がある。オムロンは元々立石電機という社名だったが、大阪からこの地に移転し、世界への飛翔を期して地名の「御室(おむろ)」にちなんで「OMRON」のブランドを命名した。後に社名もオムロンに変更した。

仁和寺の手前で、今度は子どもの神輿が出る。こうした町内の秋祭りがいろいろ行われる一日なのだろう。

仁和寺の山門に着く。仁和寺にはこれまでにも訪ねたことがあり、四国八十八所めぐりに出る前の京の三弘法めぐりの一つでも来ているが、近畿三十六不動の一つにもなっているとは。

今回はまず御殿に入る。門跡寺院らしく儀式や式典に使われる建物で、現在の建物は明治から大正、昭和にかけての再建である。先ほどの大覚寺と同じように宸殿があり、仁和寺を創建した宇多天皇の肖像画も飾られている。

白砂を配した南庭、池泉式で背景に中門や五重塔が見える北庭も眺める。こちらだけ見ると寺というよりはかつての寝殿造の屋敷におじゃましているようだ。

また霊宝館にも初めて入る。仁和寺の霊宝館は春と秋の期間限定での公開であり、愛染明王や孔雀明王、そして五大明王に関する史料もあり、奥には創建時の本尊である阿弥陀三尊像も安置されている。

正面奥の本堂である金堂に着く。今回先の大覚寺と同じくこのタイミングで仁和寺も訪ねようとしたのは、秋の特別拝観のためである。仁和寺は888年に宇多天皇の手により開創され、その後朝廷からの信仰を集めていたが応仁の乱で焼失した。その後江戸時代に伽藍の再興が幕府に許可され、1646年に完成した。この金堂は内裏の紫宸殿を移設したものだという。

で、1646年といえば今から372年前。本年第51世門跡が新たに就任したことを記念して、金堂の裏堂に描かれている五大明王の壁画を初めて一般公開することになった。五大明王といえば不動明王をはじめとして、金剛薬叉明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王の五つで、まさに近畿三十六不動めぐりにふさわしいことである。金堂は仁和寺の僧侶たちが法要を行うために入っているが、この裏堂は僧侶たちも蝋燭の暗い明かりでしか見る事がなかったという。

金堂の中に入る。まずは外陣にて阿弥陀三尊、四天王像に手を合わせた後、拝観者が大勢集まった頃合いを見計らって僧侶の解説が始まる。五大明王それぞれの特徴、見分け方の解説であるが、それによると、再建以来ほとんど日光に当たることがなかったこと、ただ法要などで僧侶が出入りする時に多少の換気も行われていたことにより、再建当時の色合いが良い状態で保存されているのだそうだ。

そして金堂の裏手に回る。最小限の照明で照らされているがその様子ははっきり見える。黒というか濃い緑に描かれた身体に、それぞれ真紅の炎を背負い、恐い表情を見せる。同じ金堂でも正面を向いた阿弥陀三尊とは対照的に、裏口ではこの表情で怨敵を調伏する。何だか人間の表面と裏面を見ているかのようである(決して悪い意味ではなく)。ここでも五大明王にそれぞれ手を合わせる。372年の時を経て初めて一般に公開されたわけだが、仁和寺にこのような壁画があるとは知らなかったので、貴重なものを拝観させてもらった。

もっとも、仁和寺が近畿三十六不動の一つに選ばれているのはこの五大明王の壁画のためではない。金堂と弘法大師を祀る御影堂の間(というより裏手)に水掛不動尊があり、これが近畿三十六不動の一つ、今回のそもそもの目的地である。こんなところにお堂があったとは知らなかった。それでも長い年月にわたって訪ねる人はいるようで不動明王像も苔むしているが、申し訳ないが他の各お堂や仏像を見た後だとショボイという感想を持ってしまった。

最後に御影堂に参拝。この奥に御室八十八所という、四国八十八所の写し霊場がある。全長約2キロのコースで、いずれは歩いてみたいと思うのだが今回も割愛する。もっとも、先の台風21号の影響で一部通行困難なところもあるようで、10月7日に予定されていたウォークは中止されている。記事を書いている時点では再開されているかどうか。

金堂前の納経所で近畿三十六不動のバインダー式の朱印をいただく。なお、金堂裏堂の特別拝観を記念して、五大明王それぞれの朱印がいただけるとある。不動明王にこだわるのであれば、こちらのほうの不動明王の朱印をいただいてもいいかなと思ったが、やはり今回の目的地である水掛不動尊のものにしておく。

さて、次の蓮華寺は実は仁和寺の東門から出て道を挟んだ向かいにある。そのまま行けばいいのだが、先ほどから仁王門のほうで太鼓の音が聴こえてきている。何だろうと行ってみると、仁王門の前で10人くらいの子どもたちが「御室太鼓」というのを披露している。演奏も力強く、近くで聴く太鼓の音はお腹まで響いてくる。

すると、嵐電の御室仁和寺駅方向から仁和寺に向かって神輿がやって来る。この時季は一帯秋祭りなのかと見ると、福王子神社の秋季大祭なのだという。それで仁和寺のほうにも来るのか。その時は仁王門の前で一度神輿が下ろされたのを見て休憩かと思い、それならばもう蓮華寺に行こうかとその場を離れた。実はこれ、非常に惜しいことをしたなと後で残念がることになったのだが、それは次の記事にて・・・。
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