まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第22回四国八十八所めぐり~讃岐一宮の田村神社

2018年11月28日 | 四国八十八ヶ所
ことでんの高松築港から第83番の一宮寺を目指す。最寄り駅は琴平線の一宮市で、乗った13時15分発の列車はちょうど一宮止まりの便だった。琴平線の日中のダイヤは毎時0分、30分発が琴平行き、15分、45分発が一宮行きとパターン化されている。

長尾線、志度線の分岐駅となる瓦町を過ぎる。次からはこの駅にも来ることになる。

20分ほどで一宮に到着した。行き止まり式の1番線に入ると、すぐに折り返すため運転手と車掌が慌ただしく入れ換わる。時刻表上では折り返し時間はわずか1分、まあ2両編成だからできるダイヤだろう。

小ぶりな駅舎を出る。一宮寺までは徒歩10分とあり、遍路道とは逆方向からのアクセスだが案内板もあり、道もわかりやすい。

近郊住宅地の中を歩き、一宮寺に続く小さな路地に標石があるのだが、先にその向こうに見える鳥居をくぐる。路地に並行して神社の参道が続く。

向かったのは田村神社。古くはいつの頃からか、定水井という井戸にいかだを浮かべて神を祀っていたそうで、奈良時代に行基の手により社殿が建てられたという。そして平安時代以降は讃岐国の一宮として広く信仰を集め、高松藩松平家からも保護を受けていた。

八十八所の一宮寺は義淵僧正(飛鳥の岡寺を創建した人物像)の手で開かれた寺だが、その名前からも察せられるように、行基が讃岐の一宮として田村神社の社殿を創建した時に別当寺とした。これまで八十八所を回る中で、阿波、土佐、伊予と同じように各国の一宮の別当寺としての歴史を持つ札所があり、明治の神仏分離、廃仏毀釈の目に遭ったことも共通しているのだが、一宮寺だけは江戸時代前期に松平家の手で田村神社の別当寺の役割を解かれ、分離されてしまった。そこに何があったのかはわからないが・・・。

ともかくここは田村神社に先に参拝する。この日も七五三参りの家族連れが見られ、拝殿の中では何組かが祈祷を受けているところだった。

また田村神社は讃岐の七福神の一つとして布袋尊も祀っている。あれ?讃岐で七福神と言えばこの夏に熱中症スレスレになりながら7つの札所を回ったのだが・・これは別の七福神ネットワークというところだろう。

田村神社はさまざまなものが詰まっていて、拝殿やお社が4つ続いたかと思えば七福神があるし、鳥居が連なるところもある。

満州開拓団の慰霊碑や、全国の一宮を書き連ねた石碑もある。全国の一宮か・・・世の札所めぐりの中にはこれに挑戦する方もいらっしゃるのだが、全てめぐるとなると完全に日本周遊である。昔の国ごとということで佐渡、隠岐、壱岐、対馬といった島も含まれる。

方角は瀬戸内の鬼ヶ島を指しているのか、腕を伸ばした桃太郎の像もあれば・・・、

これぞ見事に金色をあしらった布袋さんがどっかりと座っている。昔はともかく今はクルマで来る参拝者が多いのか、駐車場がある神社の北側にに大鳥居が建てられ、玄関口になっているようだ。そこで布袋さんのお出迎えである。

これで田村神社にお参りし、ようやく一宮寺である。独立した道路だが神社の一部という感じの細道を歩いて山門に・・・。
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