まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

偕楽園と水戸黄門漫遊マラソン

2018年11月12日 | 旅行記C・関東甲信越
水戸でアンコウと納豆を味わった後、腹ごなしも兼ねて偕楽園に向かうことにする。駅前のバス案内所で「水戸漫遊1日フリーきっぷ」を購入する。茨城交通、関東鉄道バスの市内中心部エリアが1日乗り放題で400円なのだが、水戸駅から偕楽園まで240円なので往復だけでも元が取れるし、観光施設の割引も受けられる。観光客にはありがたいが、地元の人たちに向けたバスの利用促進というところもあるのだろう。

やって来た関東鉄道バスに乗り、市街地を15分ほど揺られて偕楽園に到着。着いたのは偕楽園の東口側で、ちょうど常磐線の偕楽園駅があるところだ。ここは春の梅の時季のみ、しかも水戸方面の列車だけが停車する臨時駅だ。

まず、石段を上ったところにある常盤神社に向かう。こちらは徳川光圀、徳川斉昭を祀る神社である。水戸藩の中でも名君とされており、光圀には義公、斉昭には烈公という謚名がある。

2人を顕彰する義烈館という資料館があるので行ってみる。フリーきっぷの特典で50円引きとなる。玄関では光圀の木像が出迎える。どうしても水戸黄門のイメージが先行して、「義公」という呼び名には神格化されたものを感じる。

光圀の功績で大きいのは「大日本史」の編纂である。実際に完成したのは250年後、明治になった後のことであるが、「水戸学」として尊王論を掲げ、後の斉昭、そして幕末の思想にも大きな影響を与えた。さらには天皇陛下万歳・・・にもつながったという評価もある。

また時代劇の水戸黄門は諸国を漫遊して印籠を見せては世の悪を懲らしめているが、実際の光圀は遠出といっても江戸と水戸を往復するくらいのもので、後は領内を巡検した程度だという。そのこと自体は広く知られているのだが、ではなぜ水戸黄門が今に続くような時代劇となり、この日のマラソン大会の冠にもなっているのだろうか。さすがにそうした疑問に答える展示はないのだが、上に書いた水戸学、水戸史観の影響というのは何がしかあるのかもしれない。となると、最近水戸黄門の時代劇がテレビで流れなくなったのは、世の中がそうした歴史観を受け入れなくなったとも言えるのではないかな(今の役者の質とか、もっと単純な理由だと思うが、それは別のこととして)。

常盤神社から偕楽園に入る前に、千秋湖に向かう。先ほどバスで着いた時に湖畔を走るランナーたちの姿が見えたので、マラソンの様子を見に行くことにする。湖は白鳥や鴨も集まる穏やかなスポットだが、この日はマラソンランナーたちを励ますスポットになっていた。フルマラソンのコースとしては35キロほどのところで、ゴールに向けてしんどい距離である。9時スタートから4時間が過ぎるところで選手たちも疲れているだろうが、私には絶対できないことで、ここまで走って来るということ自体リスペクトである。「がんばれー」「あともう少しですよー」という声援が飛ぶ。湖畔に立つ光圀像、そして少し奥まったところの斉昭・慶喜像も選手たちを励ましているようである。その一方で、絶対おるやろうなという水戸黄門のあの衣装のコスプレで走っている人もいるのだが。

改めて偕楽園に入る。梅の名所として知られるが訪ねたのは10月末で、紅葉も何もない時季である。梅林のイメージは案内のパネル写真に止める。と言いながらも梅の花が一輪、二輪と咲いている木もある。

そして偕楽園のシンボルとも言える好文亭を見学する。烈公徳川斉昭が設計した建物で、各部屋の襖絵にも意匠をこらしている。梅を愛でるために造ったとされ、「好文亭」という名前も晋の武帝の「文を好めば則ち梅開き、学を廃すれば則ち梅開かず」という故事によるものだという。そういえば、私の大学時代の中国文学のテキストに「好文出版」というところが出しているものがあったが、その名もここから来ているのだろう。

好文亭の後は表門に向けて歩く。途中で竹や杉の林の景色を抜けて、黒門とも呼ばれる表門に出る。今回、東門から表門に抜けたのだが、偕楽園としてはこの表門から入場してほしいとのことだった。それは偕楽園を設計した徳川斉昭の考えで、「陰から陽へ」の世界観を味わうというものである。確かに最初に表門から竹林を抜けたとすれば、そのまま好文亭に入って、眼下に広がる梅林や千秋湖を見たほうが感動も深まるというものだろう。

偕楽園にも以前来たことがあるが、改めてその背景を知るというのも面白い。水戸随一の観光スポットも押さえたということで、そろそろ駅に戻ることにする・・・。
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