まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

広島・菊地原が引退

2013年09月29日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

今季の広島東洋カープは16年ぶりのAクラス、初のクライマックスシリーズ進出(中には、勝率5割に満たないのにCSに出るのは認めないという向きもあるだろうが)、久しぶりの10勝カルテット誕生(前田健太、バリントン、野村、大竹)と明るい話題が多い。

その一方で、カープ一筋の天才打者・前田智徳の引退が発表された。カープとしても時代の転換点になりそうな年である。

その前田引退が大きく報じられる裏で、もう一人、カープで今季限りの引退を発表した投手がいる。菊地原毅である。

1993年に入団、しばらくはほとんど一軍登板の機会がなかったが2001年に当時のシーズンタイ記録の78試合に登板。その時は「先発や抑えでフル回転した稲尾和久の記録を、ワンポイントの2流投手に破らせるのか」ということが言われたようだ。もっとも、その頃から「セットアッパー」の考え方が日本球界にも広がってきており、シーズン登板記録は阪神・久保田の90試合まで伸びたのだが・・・。

その菊地原が、球団合併初年度の2005年、山崎とのトレードでオリックス・バファローズにやってきた。これがピタリとはまり、この年は左のセットアッパーとして71試合に登板、33ホールドを挙げて最優秀中継ぎ投手になった。私も「広島から来た左の中継ぎ」ということで、その前に近鉄に来た清川栄治にだぶらせるとともに、「困った時、一家に一台じゃなかった、チームに一人はこういう投手がいるといいな」と思い、菊地原でピンチをしのいだ時は喜んだものである。

『Sweetest Day of May』の軽快な出囃子で登場し、左サイド気味から躍動するようなフォームで鋭いボールを投げ込み、相手打者を抑える小気味の良さ、そしてタフネスさが印象に残っている。当時、バファローズの何人かの選手がTシャツや帽子など、アパレルものをプロデュースしていたのだが、その一つに菊地原プロデュースの「Toughness」と描かれたエンジ色のTシャツがあった。当時はさりげなく着ていたものだが、その後傷んだし、引越での衣類整理もあったので処分してしまった。今思えばせめて画像ででも残しておけばよかったかなとも思う。

古巣・広島に戻ってからは故障もあって一度は育成契約となり、その後再びカムバックしたが、残念ながらオリックス時代の投球は戻らなかったようだ。

今後はカープに残ってコーチかスタッフになるという話があるそうだが、10勝カルテットに続く若手や中継ぎがもっと頑張らなければならないカープにあって、ぜひその肉体的、精神的なタフネスさを教えてほしいものである。

ともかくも、お疲れ様でした・・・。

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