南三陸の志津川。防災庁舎で津波からの避難を最後まで呼び続けた女性職員の悲劇やら、すっかり草生してしまった志津川駅を見て、しばらくクルマで志津川の中心部だったところを回る。国道45号線沿いということで交通量も多いところに加えて、ダンプが次々と行き交うところ。
津波に耐えたのはいいがそのまま残されている建物もあるし、港湾施設も破壊された姿がまだ見られる。一時に取り壊してしまうというわけにはいかないところがあるのだろう。
そんな中、これは一般の民家だろうか。扉には板が打ちつけられており中に入るということはできないのだろう。
ただそんな建物の一角にはヒマワリがきれいな花を咲かせていた。雑草が生い茂るところが多い中でここだけは整然としている。家の持ち主がいて、おそらくどこかで避難生活をされているのだとは思うが、思い入れのある家は壊さず、花も絶やさないようにしよう・・・そんな持ち主の思いが感じられる。志津川の中心部は一面の更地になってしまったが、それが復興への一つの形となるだろうか。
漁港のほうはとりあえずという形で稼動しているようで、施設の復旧工事と合わせて人たちの姿も多く見られる。
その向こうには砂浜も広がる。あいにくの天候であるがカモメも群れるところ。目の前の島とは防波堤でつながれており、天気が良ければ泳いでもいいだろうしのんびり釣り糸を垂らしてもいい。向こうのほうにはリアスの海岸線が広がる。やはりあの震災が、津波がなければ・・・と思いを致す。
ただ一方では、震災や津波がなければ夏休み紀行で三陸に来ようと思ったかどうか。関西からはなかなか行きにくいところであるし、震災は震災でこの地方に目を向けてみよう、もう少し関心を持ってみようと思うきっかけになったのかなと思う。被災地の方からすればなんちゅう不謹慎なヤツやと思われるだろうが。
この日は沿岸部はここ南三陸で折り返しとなる。まだ昼前であるが今度は内陸のほうに回ってみることにする。その前に訪れたのが南三陸さんさん商店街。
志津川の復興を盛り立てようということでできたコンテナ商店街である。30軒ほどの店が集まり、海産物の飲食店が中心であるが土産物屋、衣料品店、電気器具店、理髪店などもある。また、BRTの志津川駅もこちらに設けられており、まずはこの商店街、そしてBRTの駅を中心に志津川復興への足場固めというところだろうか。ここで海産物と地酒を購入。ただし地酒は途中誤ってビンを割ってしまい、残念ながら味わうことができなかった。
中心部には買ったものを食べられるフードコートがあり、被災地訪問の団体客用だろうか、予約席の札とともに配膳をする光景が見られた。そこにはベガルタ仙台と東北楽天イーグルス、そして北海道日本ハムファイターズの選手たちのサインがかかれたフラッグが飾られている。昨年、南三陸町の球場で両チームのイースタンリーグの試合が行われたそうで、復興を祈念しての寄せ書きである。今季も復興支援ということで楽天対巨人のイースタンリーグの試合が石巻と南三陸で行われるそうだ。ファームというのはこうした「地方」球場でも行われるのが面白いところの一つで、野球ファンの底辺拡大にもそれなりの役割を果たしているのではないかと思う。もし今回の旅の中でこの試合と日程が合ったら、間違いなくその一日は「被災地での野球観戦」に使ったことだろう。
昼食にはまだ早いのと、盆期間明けで休みの店が多かったためここでの食事は断念して、クルマを内陸に向ける。商店街の近くで初の給油。そういえば、震災直後はガソリンの供給もおぼつかなかったんやなと思い出しながら・・・・。