東日本大震災の被災地めぐりも最終日。今回の最後の目的地であり、以前に一度訪れて「その後どうなっているかを見てみたい」と思った気仙沼にさしかかる。陸前高田から国道45号線を南下し、途中では穏やかなリアスの海を眺める。
被災後の気仙沼は一度だけ訪れたが、その時は港から南気仙沼駅あたりまでを歩いた。ただこれから向かう鹿折唐桑は訪れておらず、これから見る光景は初めてである。
海からは少し奥まったところであるが、津波で流された宅地の跡地にさしかかる。復興商店街のプレハブの建物があったり、またしても被災地に出店したコンビニにも出会う。
そしてこのコンビニの前が・・・津波でここまで流されてきた漁船・第18共徳丸が保存・・・というのか安置というのか、鎮座している。全長60メートル、重量が330トンというが、あまりの巨大さにあんぐりとしてしまう。ちょうどこの辺りは津波の後の火災でも大きな被害のあったところである。
ちょうどこの時間、見物する人の姿もポツポツ見られたが、そこに観光バスが1台やってきて20人ほどの団体がわらわらと降りてきて一斉に第18共徳丸のほうにカメラやスマホを向ける。こちらも奇跡の一本松に負けず劣らずの震災スポットである。ちょっとコンビニの駐車場にクルマを停めさせてもらったのだが、このコンビニも漁船の見物客を当て込んでこの場所に建てられたのだろう。
ただこの第18共徳丸は、震災から2年半が経過するこの時期、市民アンケートで「保存の必要なし」との声が多かったとして、震災遺構としての保存は断念したという。まあ、船主も取り壊しを希望していたことだし、地元の人たちの声として解体ということなれば致し方ないだろう。この記事を書いている時にはすでに解体工事にも着手されており、10月にはその姿も見られなくなるという。
先ほどの団体客に混じって私もカメラを構えているが、ふと考えてみると、こうして立っているのは「人の家があったところ」である。人の家のリビングか和室か、それがあったところに土足で踏み入れているわけで、まあこのような状況だから誰も何も言わないにせよ、自分でもちょっと気持ちが浮かれているのかなと思う。
「当市においては、東日本大震災において甚大なる被害が発生しました。ここはその中心となる場所の一つです。写真撮影等にあたっては犠牲者や被災者へのご配慮をお願いいたします。 気仙沼市」
こういう看板が第18共徳丸の前に掲げられている。被災スポットをいろいろと見て回るのも、被災地の現状や復興に向けた動きを知る一助にはなると思うのだが、やはりそこには「配慮」というものを忘れてはならない。鎮魂と追悼・・・・。
これは石巻の大川小学校を訪れた時にも感じたのだが、思いは被爆地・広島の原爆ドームに及ぶ。何かああいう形での鎮魂、追悼、そして(原爆と津波という違いはあるが)その恐怖を後世に伝えるモニュメントとして残すという選択肢もあったはずだ。ただその一方で、ここで暮らしていた人たちの生活を取り戻すということも考えなければならない。最も良くないのはそういう論議がいつまでも平行線で先に進まないことで、今回は「漁船は解体、少しでも地元の経済復興を」という結論を出したわけだから、これからは本当の復興に向けた動きを応援したいものである。
その上は鹿折唐桑駅。こちらも駅舎が倒壊し、線路は折れ曲がったところ。皮肉なもので、この駅からちょうど正面のところに第18共徳丸があり、ちょうど見やすい角度というのが・・・。
再びこの線路を列車が走ることがあるのだろうか。そちらも気にかかるところではある。ただ今は列車がやってこない駅でも、こうしてひまわり等の花がきれいに咲いており、手入れが行き届いている。地元の人たちの思いはこういうところに現れていると思う。
また、花を咲かせますように・・・・。
いよいよ気仙沼の市街地に入る。震災から100日の2011年6月に訪れて以来、あれから町はどうなったかを見ることになる・・・・。