まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

被災地を見る~鹿折唐桑・第18共徳丸

2013年09月14日 | 旅行記B・東北

Dscn2334東日本大震災の被災地めぐりも最終日。今回の最後の目的地であり、以前に一度訪れて「その後どうなっているかを見てみたい」と思った気仙沼にさしかかる。陸前高田から国道45号線を南下し、途中では穏やかなリアスの海を眺める。

被災後の気仙沼は一度だけ訪れたが、その時は港から南気仙沼駅あたりまでを歩いた。ただこれから向かう鹿折唐桑は訪れておらず、これから見る光景は初めてである。

海からは少し奥まったところであるが、津波で流された宅地の跡地にさしかかる。復興商店街のプレハブの建物があったり、またしても被災地に出店したコンビニにも出会う。

Dscn2340そしてこのコンビニの前が・・・津波でここまで流されてきた漁船・第18共徳丸が保存・・・というのか安置というのか、鎮座している。全長60メートル、重量が330トンというが、あまりの巨大さにあんぐりとしてしまう。ちょうどこの辺りは津波の後の火災でも大きな被害のあったところである。

Dscn2344ちょうどこの時間、見物する人の姿もポツポツ見られたが、そこに観光バスが1台やってきて20人ほどの団体がわらわらと降りてきて一斉に第18共徳丸のほうにカメラやスマホを向ける。こちらも奇跡の一本松に負けず劣らずの震災スポットである。ちょっとコンビニの駐車場にクルマを停めさせてもらったのだが、このコンビニも漁船の見物客を当て込んでこの場所に建てられたのだろう。

Dscn2339ただこの第18共徳丸は、震災から2年半が経過するこの時期、市民アンケートで「保存の必要なし」との声が多かったとして、震災遺構としての保存は断念したという。まあ、船主も取り壊しを希望していたことだし、地元の人たちの声として解体ということなれば致し方ないだろう。この記事を書いている時にはすでに解体工事にも着手されており、10月にはその姿も見られなくなるという。

先ほどの団体客に混じって私もカメラを構えているが、ふと考えてみると、こうして立っているのは「人の家があったところ」である。人の家のリビングか和室か、それがあったところに土足で踏み入れているわけで、まあこのような状況だから誰も何も言わないにせよ、自分でもちょっと気持ちが浮かれているのかなと思う。

Dscn2342「当市においては、東日本大震災において甚大なる被害が発生しました。ここはその中心となる場所の一つです。写真撮影等にあたっては犠牲者や被災者へのご配慮をお願いいたします。 気仙沼市」

こういう看板が第18共徳丸の前に掲げられている。被災スポットをいろいろと見て回るのも、被災地の現状や復興に向けた動きを知る一助にはなると思うのだが、やはりそこには「配慮」というものを忘れてはならない。鎮魂と追悼・・・・。

Dscn2351これは石巻の大川小学校を訪れた時にも感じたのだが、思いは被爆地・広島の原爆ドームに及ぶ。何かああいう形での鎮魂、追悼、そして(原爆と津波という違いはあるが)その恐怖を後世に伝えるモニュメントとして残すという選択肢もあったはずだ。ただその一方で、ここで暮らしていた人たちの生活を取り戻すということも考えなければならない。最も良くないのはそういう論議がいつまでも平行線で先に進まないことで、今回は「漁船は解体、少しでも地元の経済復興を」という結論を出したわけだから、これからは本当の復興に向けた動きを応援したいものである。

Dscn2346Dscn2348その上は鹿折唐桑駅。こちらも駅舎が倒壊し、線路は折れ曲がったところ。皮肉なもので、この駅からちょうど正面のところに第18共徳丸があり、ちょうど見やすい角度というのが・・・。

Dscn2347再びこの線路を列車が走ることがあるのだろうか。そちらも気にかかるところではある。ただ今は列車がやってこない駅でも、こうしてひまわり等の花がきれいに咲いており、手入れが行き届いている。地元の人たちの思いはこういうところに現れていると思う。

また、花を咲かせますように・・・・。

いよいよ気仙沼の市街地に入る。震災から100日の2011年6月に訪れて以来、あれから町はどうなったかを見ることになる・・・・。

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被災地を見る~陸前高田

2013年09月14日 | 旅行記B・東北

「奇跡の一本松」がすっかり有名な「観光地」となった陸前高田。ともあれ、現在の様子をということでカーナビを頼りに陸前高田の駅を目指す。目印となる建物や信号は全くない。

Dscn2314これが駅前の様子。小さなロータリーがあって、そこには駅があり、駅前には小さいながらも地元の人たちに親しまれた商店街が広がっていた・・・と思う。

Dscn2318それが歩道と車道の区別は残っているものの、今ではガレキもすっかり取り除かれて本当に何もない。笑ってはいけないところだが、広々としてしまった一角で一人ポツンと立っていると、何かラインをまたいで別の境地に行ってしまうかのように思う。

Dscn2319これが雨でも降っていれば気持ちも沈むところだが、カラッとした青空が広がっているからだろうか、それとも、3日間レンタカーを乗り回し、これでもかこれでもかと被災地の(上辺だけでも)見てきたことで、どこか感覚がおかしくなってきたのかもしれない。

Dscn2311奇跡の一本松の駐車場にも案内があった物産センターに行ってみる。簡易なつくりでの営業であるが三陸の土産物が売られている。やはり奇跡の一本松がらみの商品が多い。地酒のラベルにもなっていたり。

Dscn2323再び海岸方面に向かう。やってきたのは髙田松原に隣接した道の駅。ここには慰霊台が設けられ、先ほど見てきた陸前高田駅前の在りし日の写真も飾られていた。死者、行方不明者を合わせると1700人を超え、人口の7%が失われた陸前高田。こちらの戸羽市長は奥様も津波で亡くした中、復興が進まない被災地の現状を常に外部に発信し、著書を出したりメディアのインタビューにも積極的に顔を出している。

Dscn2326でもまあ、奇跡の一本松を巨額の費用をかけてああいう形でいち早く公園として整備したのは、よそ者から見て「いきなりそれをやって大丈夫なのかな」というふうにも思う。あまりに、周りの何もなさとの対照が目立つように感じたので。

旅から戻ってから見た新聞によれば、「被災地で一からまちをつくる」ということの「実験」として、津波で壊滅した市街地から1キロほど内陸に入った一角にイオンが新たに出店するという。これまでは出張販売という形で営業所を出していたが、これから復興関連需要が見込まれることもあり、新たな街づくりの商業の中心となるために本格的に新たなショッピングセンターを建設しようというものだ。

Dscn2331ただ、それはそう簡単に行くだろうか。沿岸部の復興が進まない要因の一つに、土地の所有権というものがある。自治体が「こういう街づくりをしよう」と計画しても、地権者が亡くなったり行方不明だったりで話ができないとか、話をしてもやはり土地を手放さないという声があったり、特に漁業となると海辺に家がないと意味がないとか・・・難しいものである。津波の不安もある。津波に関しては、高台に街を移転させようという考えもあれば、防波堤をより高く強固なものにして従来のところで街を復興させようという考えもある。どちらも一理あるし、どちらも問題がある。何とも難しいものだ。いずれにしても、その土地に住む人たちが自分たちのこととして真剣に議論すべきことで、私のようなものがどうこうできるものではないが。

陸前高田は本当に足を伸ばしただけだが、いろいろな心の動きがあった。突き抜けたかと思えばまた考え込んだり、さまざまな思いを胸に、この旅の最後の目的地である気仙沼に向けてクルマの向きを返す・・・・。

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