宗教 と 社会

2022年07月16日 11時57分17秒 | つれづれなるままに
安倍さんの事件が思わぬ方向に展開し始めてます。こうなるとまたまた「宗教とは」を考えるきっかけになります。
先日は米国の最高裁で出された「妊娠中絶憲法違反判断」 これも宗教が大きく絡んだ話でした。共和党は清教徒派(?)の考えが強いらしいですね。トランプさんの時代に判事がお1人(女性で有名な方だったらしい、民主党系)お辞めになった際、清教徒派の判事を選任したがために「中絶」を違反と考える判事が多くなり、今回の判断になったようです。
「宗教」と「社会規範(=憲法、法律)」と どっちが上なんだろうか。いや、「宗教」が上でいいのか? という問題です。 僕は「宗教が上になってはいけない」と考えます。当然でしょう。世の中いろんな宗教があるんだからね。宗教間での争いになるのは必定です。
絶対的で、救ってくれる神が存在し、人が時にそこに縋る、頼るのはしょうがないと思うのだが、だからと言って「自分の信」を絶対肯定してはいけないし、「他の信」を否定してもならない。「宗教論理で社会規範を作ってはいけない」は真理だと思う。だから「宗教に対する寛容」が要求されるってことでしょう。「寛容できない」が故に、いまだに殺し合いやってますがね。
アメリカといえどもまだまだ非民主的な国だなと思いますね。いやいや、国、国民の問題ではなく、現代がそういう「混沌」を再燃させる時代なのかもしれない。そして宗教の問題は人間の本質的弱さが生む、永遠の課題なのかもしれない。
今回の表面化してきた異常献金問題も今に始まった話ではなく、いろんな宗教界で昔から多々あった話で、まさに人間の弱さ故に生まれる事件です。
宗教団体に「人を集める」力がある故に、「人の数」を必要とする政党にとってはついつい手を出したくなる組織ではあろう。日本の政治がそういうところから歪められてるとは考えないが、危険がいっぱいの関係であることには違いない。常に検証が必要な社会要素です。
2,3日前 達増岩手県知事が「自民党と旧統一教会の関係は一度検証が必要では」と発言された。「政教分離を守るべき」という信念からとは思いますが、あれだけ実績を残されてる知事の発言、「全く何もない」という物でもないかもしれない。この際だから検証されたらいい。
「ただの狂暴」と見てた事件が思わぬ方向に発展、日本社会の一つの景色なのかもしれない。
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