昨日の朝刊「論壇時評」欄 東大大学院教授 林香里先生が興味深い時評を載せてらっしゃる。先生の自論ではなく、今読まれてるいくつかの時評論文を先生なりに解釈されて、分かりやすく解説してくれてる内容です。今回の視点は「フェミニスト外交」。
まずこういう表現(単語)があるのかな? なんですが、林先生の造語と読みましたが。 要は「国家より人間(生命)を優先」するいう理念を「フェミニスト」という単語に重ねて表現し、特に今回は「外交政策」の今、将来を展望してます。要するに「今の世界 外交において国家優先の政策が勝り過ぎ、もっと人間が優先される政策がとられてればウクライナ惨禍は起きなかったのでは」ということです。
評してらっしゃる内容には全く異論はなく、「そうだ!」と叫びたいほど。
それと同等に感心を持ったのは「国家より人、命が優先」とする哲学が「= フェミニスト(女性、女性らしさ)」とという単語で語られてる事。 国家が優先なのは男主体だから。女性が主体だと「人、命」が優先されるだろう としてるんですね。50年ほど前だったかな「ウーマンリブ」という単語で「女性が主張する、進出する」社会変化が始まり、つぎに「男らしさ、女らしさ」が語られ、そして今上のような捉え方にまで進んできたんだなと振り返る。
「女性だったらほんとに国家より人間を大事にする」政策、社会につながるんだろうか? そんな風に考える根拠は何なんだろう。サッチャーさんのような政治家もいたよ。 今の日本で名前売ってる女性政治家にも「男勝りで、争い好きそうな」方もいらっしゃるじゃないですか。
でも男と違って、自分のお腹から一つの「命」を産むという経験が「国より人、個人が大事でしょう」になる可能性は大だろうな。世の中の半分は女性なわけで、社会のあらゆる場面で男女が半々で責任を持って行くのは正当だし、そうしていかなければならん事です。
そう変わっていくことには全く反対しないですが、「こうなるだろう」という期待のようなものを先に持つことにはどこか「?」感があります。
まずこういう表現(単語)があるのかな? なんですが、林先生の造語と読みましたが。 要は「国家より人間(生命)を優先」するいう理念を「フェミニスト」という単語に重ねて表現し、特に今回は「外交政策」の今、将来を展望してます。要するに「今の世界 外交において国家優先の政策が勝り過ぎ、もっと人間が優先される政策がとられてればウクライナ惨禍は起きなかったのでは」ということです。
評してらっしゃる内容には全く異論はなく、「そうだ!」と叫びたいほど。
それと同等に感心を持ったのは「国家より人、命が優先」とする哲学が「= フェミニスト(女性、女性らしさ)」とという単語で語られてる事。 国家が優先なのは男主体だから。女性が主体だと「人、命」が優先されるだろう としてるんですね。50年ほど前だったかな「ウーマンリブ」という単語で「女性が主張する、進出する」社会変化が始まり、つぎに「男らしさ、女らしさ」が語られ、そして今上のような捉え方にまで進んできたんだなと振り返る。
「女性だったらほんとに国家より人間を大事にする」政策、社会につながるんだろうか? そんな風に考える根拠は何なんだろう。サッチャーさんのような政治家もいたよ。 今の日本で名前売ってる女性政治家にも「男勝りで、争い好きそうな」方もいらっしゃるじゃないですか。
でも男と違って、自分のお腹から一つの「命」を産むという経験が「国より人、個人が大事でしょう」になる可能性は大だろうな。世の中の半分は女性なわけで、社会のあらゆる場面で男女が半々で責任を持って行くのは正当だし、そうしていかなければならん事です。
そう変わっていくことには全く反対しないですが、「こうなるだろう」という期待のようなものを先に持つことにはどこか「?」感があります。
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