昨日フィギア女子中国大会のSPを見た。2シーズンぶりの浅田が大きくなって、強くなって帰ってきた。有名人で、CMにもよくでてくるから「えっ1シーズンまるまる休んでたの」という感じではあったのだけど。
25歳だって。道理で大人っぽくなった。年齢だけのせいじゃないのかも。
彼女にとってこの1年はほんとにいいお休みだったのだろうと思う。「分切れてる」「ほんとに好きで滑ってる」「楽しんでる」そんな明るい雰囲気だった。昔の「うまく滑らなきゃ」「アクセル飛ばなきゃ」「勝たなくちゃ」そんな切羽詰まった悲愴感は微塵もなかった。ふたまわりもみまわりも大きくなった感じ。
あの感じだったら、アクセルでもしこけてたとしても「やっちゃいました。」と笑って話してくれたんじゃないかな。ほんとに強い人の域にはいったのだと思う。
レベルは違うけど、昔残業残業で苦しい時期があった。その時あえて「水曜日は残業しないで飲むぞ」と決め「水曜会」という飲み会を立ちあげた。これを1年近く守ったかな。あれがいい休み、息抜き日になったことを思い出した。
人間ピンピン張ってればいい仕事できるわけじゃない。たまには緩めてやることも大事。そんな一時がリラックスだけじゃなく、違った発想をさせたりもする。緩み側が多くなっては本末転倒だが、「あえて緩め」と追い立てられてる現代人に言ってあげたい。
25歳だって。道理で大人っぽくなった。年齢だけのせいじゃないのかも。
彼女にとってこの1年はほんとにいいお休みだったのだろうと思う。「分切れてる」「ほんとに好きで滑ってる」「楽しんでる」そんな明るい雰囲気だった。昔の「うまく滑らなきゃ」「アクセル飛ばなきゃ」「勝たなくちゃ」そんな切羽詰まった悲愴感は微塵もなかった。ふたまわりもみまわりも大きくなった感じ。
あの感じだったら、アクセルでもしこけてたとしても「やっちゃいました。」と笑って話してくれたんじゃないかな。ほんとに強い人の域にはいったのだと思う。
レベルは違うけど、昔残業残業で苦しい時期があった。その時あえて「水曜日は残業しないで飲むぞ」と決め「水曜会」という飲み会を立ちあげた。これを1年近く守ったかな。あれがいい休み、息抜き日になったことを思い出した。
人間ピンピン張ってればいい仕事できるわけじゃない。たまには緩めてやることも大事。そんな一時がリラックスだけじゃなく、違った発想をさせたりもする。緩み側が多くなっては本末転倒だが、「あえて緩め」と追い立てられてる現代人に言ってあげたい。
さっき、もうひとつの方に返答コメント書いて、焼酎飲んで、ここに来たけど、ちょっと焼酎が回ってきてる。4時半に風呂行って、6時に帰ってきて、すぐ飲み始めたからもう2時間のんでる。つまみは大和からもってきたかみさんの料理=冷蔵庫にあった残り物=持ってきて消費しないと大和の冷蔵庫に貯まる。
私の母上が教師だったというのは「母の介護」のところで読んだと推測。中学小学の先生免許だったみたいだからなんでも屋でしたね。でも文:理=7:3かな。オレが小説を読まないことをえらく怒ってた。「幼少のころに読みたい漫画をあんたが拒絶したからだ」と思ってるんです。でも大学の時司馬遼太郎を渡されてから本にはまった。五木さんもそれからだった。
そんな僕がよく書いてるなとは自分でも思うね。長く生きてると文も理もバランスよく吸収するのかもな。うん、ここはバランスが大事なんだよ。この歳になって理系に固まってちゃだめ、文型に沈んでてもだめ。うんそういうことなんだな。
まっ 自分がこうなったのも自分の経験の積み重ねだし、それ以外にはないね。肯定して引きずっていくだけよ。
岳さんは、このブログもそうですが文才あると思います。国語嫌いの文系だめ、は信じられません。お母様は国語の先生では?それに「理系」いいじゃないの。私ね、昔は「リケ女」に憧れていたんですよ。仕事で街づくりの企画関係の部署にいたとき、仕事仲間で、私より、10歳以上若かったでしょうか、東工大の社工(社会工学)出身の女性がいまして、よくサポートしてくれました。「リケ女」は、心優しくて、思うがままにするところと、考えぬくところの、バランスが取れていると思います。
落葉の早い木はほぼ丸裸。今が一番美しい色の木も。庭は落ち葉で埋まってます。写真は明日陽がさしたときだな。
kanou37君 チョ・・・・マ軒だね。1回しか行ってないけど(2回行ったような記憶も)金子がいたくひいきにしてたな。今もう店ないと思う。別名のラーメン屋になってたはず。1回だか2回だかもおぼろげになるほど昔の話だね。よく続いてるものです。
skyさん 大和から王さんにつながりましたか。そうなのか20歳前に亡くなったのか。彼女の歌う「草原情歌」聞いてみたかったな。中国の歌、詩は中国人が中国語で歌わないとその雰囲気がでないな と思うのですよ。若いときにいいものを聞かせてもらったわけだ。歌の伝道師になるべく運命だったのかもな。原語で聞くということでは高校時代の漢文 須永先生といったように記憶してるんだが、漢詩をあちらの発音で読んでくれたという話を聞いたことがあります。それを聞けなかった僕は漢文に親しむことはなく、国語嫌いの文系だめの、私立理系しかなくなったのでした。
中学の担任が友人の葬儀の導師だったとは。「神妙な」から「クスッ」じゃなかったか?
湘南台のお店は、ビルの中で広いし、大小宴会もできる。何回か利用した。大和のお店は、ご両親の代からで、発祥の地であるが、小さなお店だと聞いた。出かけたことなし。今でも営業しているだろうか。
大和では自分で良さそうなの探します。僕は横浜より、大和が好きである。高の35円ラーメンが懐かしい。昔はよかった。
白州、無事祈る。
一生に飲む酒の量を「背負い酒」って言うの。そう言われると自分の量を想像するね。「平均以下」が答えだな。毎日飲むけど、1日の量がたいしたことない。焼酎お湯割り3杯(大き目のグラス)だもん。たまに友人と多めに飲むくらい。やっぱり並以下だな。
半年ほど前までは火、金は飲まないを守ってたけど、最近はevery dayになってる。これはですね、言い訳ですが白州生活が乱すんです。あっちだと夜は酒しかないからね。
岳さんも、K庭師のおじ様も、お酒お好きみたいですが、ほどほどに。「背負い酒」、人が一生に飲む酒の量だそうです。
ところで、一人ランチ会もよろしいとは思いますが、今度のカフェランチ会もよろしいですよ。セットドリンクのビアー、私、飲めないので、差し上げます。
真央ちゃん 昨日あれだけ失敗しても暗いとこ無かったね。むしろ「まだやることある。やらなくちゃ」と前向きになれる材料でしかなかったような。その意味では失敗があった方がよかったんじゃないか。
ともかく大きく美しくなったよ。かみさんはTVでだけど追っかけちゃうと言ってた。録画したら返しておいた。
そうだったの、水曜会発足後の入社だった。若いんだ。おもしろい会だったな。今はうこともないけど。このBLOG読んでくれてる人は多いみたい。
「真央ちゃん」と呼ぶのはもう似合わなくなるほど大人になられましたね。 辛い時を乗り越えた美しさでしょうか。 笑顔の表情に余裕さえ感じられます。
水曜会、私が入社した時はもうその忙しい時期を過ぎた時だったので、その成り立ちを知りませんでした!
今はなかなか一緒に旅行をするような人間関係の職場も珍しくなってきていますが、岳さんやYさん(ハンドボールの!)にそういう楽しさを教えてもらって、今は私もパート先の女子会の宴会幹事役になっています(笑)
真央ちゃんの衣装を自分の肉体にかぶせる夢でも見ましたか? もし重ねたとしたらそれは幸せでないスン管だったろうと推測します。お疲れ様でした。
水曜会はその後発展して暇になった頃から年2回温泉旅行する「仲間になったな。
真央ちゃんの蝶々さんいいね。これからちょっと追っかけかな。
競技に着用した、彼女の衣装の展示会を見たのは、いつだったか忘れたが、たぶん、休業中のことだったと思う。よ横高デパートは、混雑していたが、装飾用の部品に興味があったので、じっくりみた。スパンコールとか、ラインストーンなど、つけると美しいが、その分衣装が重くなるので、その兼ね合いが難しい。驚いたのは、細身のプロポーション、細い体にあのパワー、天与の賜物もあろうが、人並み外れた、計り知れない精進があったことは違いない。また、緩やかに頑張ってくれる真央ちゃん、応援していきます。
話しは変わりますが、確かに、水曜日ノー残デイの取り組み運動はありましたが、私の本庁舎時代は、そんなのどこ吹く風、10時過ぎには、エレベーターも泊まるので、7階から階段を下りていきますと、22時の女が来たよと、オープンな職場から、ささやきが聞こえたこともありました。二俣川で自宅までタクシー(自前)をのると、運転手さんたちに顔を覚えられて「お客さんこんな時間まで、ファッション関係のお仕事なの」「全然、堅い商売よ」なんて会話の日々でした。我々、ベビーブーム時代生まれは、生まれてから、ずーっと追い立てられて生きてきて、ゆとりなど享受できなかったように思われます。65歳の前期高齢者を過ぎたからは、緩やかに生かされてもよろしいのでは。
なんだなんだ密かにそんな「一人楽しみ」してんのかよ。追われてると知ったら、変な気分だぜ。
大乃寿司のランチなかなかいけたでしょう? リーズナブル。 何貫食った? 10貫と見た、どうだ?
じゃのめやさんは小口ステーキか牛鍋定食がおすすめ。11時45分に行って開店前に並ぶこと。そうじゃないと上の2品にはありつけない。