ここんとここのBLOGに記事を書く気力が薄れてる。 もう3年になると思うが、せっせと書いてきた。 そういう決断をしたんですよ。なんでもいい、「心に移り行く良し悪し事を」でいいから書こう。 続けることで何か得られると思ってね。それなりに得るものもあったよ。
今週白州に来て、何故気力が薄れたかを考えてみようと思ったんです。 生活の全てが「マンネリ化しちゃってて、新しい刺激が無くなってる」 こういうことらしいんです。
例えばこんな事。 白州に帰ってくるにつけ4泊5日の食事を事前に決めて、必要食材を買い込んで入ってくるんです。買い物に出るなんて面倒だからね。ほらほらここにあるじゃないですか、「面倒だから」 これなんですよ。 そして献立考えたって、ほぼいつもと同じ。これも新しいことやってみるのが「面倒」なんです。だからついついワンパターンに。 2週神奈川、1週白州のペースにしたって、昔はもうちょっと意義を感じて遂行してたようだが、今は変えるのが「面倒」だからになってるような。「ケジメ」をつけて生きよう 位は意識してるのかな。
こうなってくると世相、周りもどうでもよくなってくる。なんとかしたい、なんとかなる みたいな積極性は消えていくね。「勝手に政治ごっこしてたらいい。どうせ変わらんしな。」です。
ことほど左様に生活全般 ミクロにもマクロにもマンネリ化して、刺激を感じなくなってる。この一ヶ月はこんな「アリ地獄」みたいば所にいるようです。 以前は生活の刺激と思えた活動 例えば「オペラ歌練」なんかもただの行事になってるかもな。演目が違って、歌は違っても、努力して、公演やって そこまで。 そんなふうに見るようになってるな。
気づき始めた段階だから、まだ復活チャンスはあると思ってる。いや、復活せんと!
何か熱くなる刺激が欲しいな。
今週白州に来て、何故気力が薄れたかを考えてみようと思ったんです。 生活の全てが「マンネリ化しちゃってて、新しい刺激が無くなってる」 こういうことらしいんです。
例えばこんな事。 白州に帰ってくるにつけ4泊5日の食事を事前に決めて、必要食材を買い込んで入ってくるんです。買い物に出るなんて面倒だからね。ほらほらここにあるじゃないですか、「面倒だから」 これなんですよ。 そして献立考えたって、ほぼいつもと同じ。これも新しいことやってみるのが「面倒」なんです。だからついついワンパターンに。 2週神奈川、1週白州のペースにしたって、昔はもうちょっと意義を感じて遂行してたようだが、今は変えるのが「面倒」だからになってるような。「ケジメ」をつけて生きよう 位は意識してるのかな。
こうなってくると世相、周りもどうでもよくなってくる。なんとかしたい、なんとかなる みたいな積極性は消えていくね。「勝手に政治ごっこしてたらいい。どうせ変わらんしな。」です。
ことほど左様に生活全般 ミクロにもマクロにもマンネリ化して、刺激を感じなくなってる。この一ヶ月はこんな「アリ地獄」みたいば所にいるようです。 以前は生活の刺激と思えた活動 例えば「オペラ歌練」なんかもただの行事になってるかもな。演目が違って、歌は違っても、努力して、公演やって そこまで。 そんなふうに見るようになってるな。
気づき始めた段階だから、まだ復活チャンスはあると思ってる。いや、復活せんと!
何か熱くなる刺激が欲しいな。
年取ると、だんだん「面倒」が多くなるものです。
「面倒」を「面倒」と思わず、まめまめしくやりましょう。なんちゃって、私とて立派なことを言えた義理ではないが、「これが面倒ならば、これから何でも面倒になるな。そのうち、生きているのも面倒になるな。」と時々戒めています。
Kさんの十八番(おはこ)、頑張ろう。です。
程度、気付きには個人差があるものでしょう。解決策、良薬も人それぞれ。そんな人生の本質といつもむきあってるんだよな。
そこは理解してるつもりだが、日頃か 自分のキャラか わりとハイテンションのところで積極性を維持してる個人にとっては気づいて、マイナスに向かった時の良薬が見つからん気がするするのよ。それがさらにマイナスにする。面倒の連鎖はたしかに起きてるな。
しばらくは静かにしてることかな。 大きな刺激じゃなく、小さな感動でも探しながらね。
面倒と、岳氏はいうが、言われたくはないだろうが、「老化」ではないの?
3年間の頑張りは無駄ではない。多分野に入り込んだだけでも、すごいことだ。俺など躊躇ばかりして、そういう冒険もしていない。やってきたことが、体の内部に、きっと残っている。岳さんは努力してきた。なんだろう、と、考えながら、手にしてきた多くは、誰もができることではない。
えばっていいのだ。どうせ、また何かに取り組んでいくのか、そうしなければいられないのが、岳さんだ。 ひと休みしたなら、ゆっくり動き出してくれ。
肉体はもちろん、精神的にもこんな浮き沈みを繰り返しながら、右肩下りを生きていくんだろうな。
白州から戻ってみると、大和では大和の雑用が溜まってる。しょうがなく消化してる感。 まっこれも続けていけば、薄い灯台の光が見えてこないでも無い。気負わずにやっていく事でしょうかね。 淡々といきましょう、お互い。
ロゴセラピスト 藤田芽生と作家 小野正嗣の対談でした。
岳さんのこのブログを見て、色々考えていたのですが、立ちどまって考えるヒントがありました。
天気はうっとうしいし、政治はハチャメチャだし、右足の痛みはとれないし、舞台もやはりテレ、恥ずかしさが自分を縛るし 思うようにならんことに囲まれて生きてます。 「生きるってそういうことでしょう」なんですがね。 今日と違う自分を作りにいくことでしょう。
ところでこのシリーズの(3)になるんですが、(1)(2)も聞かれたんですか? これの再視聴はできないようです。