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札幌 スプレー缶爆発

2018年12月18日 20時44分36秒 | つれづれなるままに
痛ましい事故だけど、今らしいと思えるし、これをきっかけに社会点検、文化の再構築を考えるべきじゃないだろうか。ちょっと大げさな書き出しだけど、「危険をイメージできる」文化が必要なのではと思うのです。

・爆発の危険はガスボンベだけじゃない。

 卓上コンロのガスボンベだと誰しも「これは危険。燃えるガスが入ってるもの」と危険をイメージ出来る。でも一般のスプレー缶ではどれだけ危険と認識してるんだろうか? 今の報道でももっとその点を強調して欲しいと思う。
 提案なんだが、このような危険性のあるボンベ類は統一された「危険表示」があってしかるべきじゃないだろうか。例えば、肩の部分から2cmは赤い帯にし、なにも表示してはいけないとか。

・「便利さ」の裏には必ず何かの「ヤバい、危険」が伴ってることをイメージしよう。

 改めて自分の生活を振り返って見て。便利になってるよね。どんどん便利になってる。でもさ、その便利さの後ろには必ず危険な事、守らなければならない事があるよね。とかく「便利さ」の享受だけにとどまってて、それがあたりまえになった生活してないだろうか。便利であればあるほど、「どんな危険があるか」をイメージする力が今必要なんと違うかな。「原発」なんてその最たるものじゃないだろうか。プラスティックゴミもそう。

・その危険に個々が責任持つ社会に。

 いま「危険」をイメージする必要が無くなってるんだよね。それは社会システムがまとめてやるようになってるから。個々がやらないから社会がやるようになったのか、個々にやらせる事の危険を先にカバーしちゃってるのか。こんな営みの中で「危険をイメージする力」をなくしてきてる。
 「言い過ぎかも」だけど、何でもかんでも「やってあげる」システムって間違いじゃないのかな。「個の責任」という世界はしっかり残していかないと「享受するだけの」人間が増えるんじゃないだろうか。市がやってくれる「資源やゴミの回収作業」の集積場所を見てみなさい。あの「我儘な」出し方。ボランティアサポーターが必要になるし、集めた後でさらに分別が必要になってるはず。社会的無駄が増産されてるのが現実じゃないですか。

社会システムは面倒見過ぎてはいけない。「個の責任」はしっかり明示して残すべきだ。個が社会の一員である事をDNAから消さないために。
今回のスプレー缶問題、僕はこう考える。「便利さを享受した貴方が危険な状態を除去して社会に戻すまでが責任。その先は一括処理してもらう」 こうじゃないでしょうかね。札幌のアパマン社員は処理のやり方を間違えただけ。でもそこが問題です。危険のイメージがないから、平気で室内で大量に処理した。こういう人が周りに沢山増殖されてると思うと怖くないですか。
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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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またまた大賛成! (バスのでん)
2018-12-20 09:05:29
その通り!昨日も居酒屋で忘年会をやったけど、当然鍋はカセットコンロ!世の中もう慣れきって、操作は客任せ!中には使い慣れない人が弄り回したりしている。事故が起こる前に、今回の事件を契機にみんなで身近な「危険」について考えてみたい。
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そうですね、店の卓上コンロも ()
2018-12-20 14:14:57
でんさん 居酒屋の卓上コンロなんかも考えたら危険ですね。客がかってに使ってるところも危険だけど、大量に出る空(だろう)ボンベはどう始末してるんだろうか。
コンロが使用中にバーン という話は聞かないから、安全仕掛けがされてるんでしょうね。それだって、最近の各種メーカの不祥事を見るにつけ、不安一杯ですね。
でも「あるだろう危険」を一つ一つ考えたら生活できないですね。  そこでどうするかじゃないですかね。
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