

写真は近所で売り出した戸建て住宅です。この土地は1家族が平屋で所有してた70坪ほどの土地でした。表の道路に面してる距離が13m程、奥行きが17mほどの長方形です。
この写真解りづらいんですが、その70坪の土地に3軒建ってるんです。道路側の中心部に65㎡を1区画、その両サイドと奥を2分割した2区画に割ったんです。そこに3階建てを作って売ってます。お値段驚くなかれ、手前の道路側は4900万円です。奥の2つは4300万程。
庭なんてない、お隣とくっついたよな家でこれだけの値段。今の僕は当然だけど、昔の僕でもこんな家を買おうとは思わなかったろうにだ。家という物に対する感覚、価値観が全く違ってる。「家族が成長していく場所」なんてないんだろうな。「夜露がしのげて、寝れればいい」だけなのか?人としての感性が養われるなんてなくて、感性が壊れていくんじゃないの。
一つは「社会人の平均年収と土地価格」という点。オレのおやじの時代はもっと恵まれてたろうけど、年収の上昇率より土地価格の上昇率が断然大きいということですよね。物みな金で換算される社会にあって、このバランスの崩れは「人の生活」を壊すことにつながるだろうな。
そして2点目、そうやって人間の感性が壊れていく中で、かってな妄想が芽生え、道徳観がうすれ、非社会的行動に走る人が生産される。「そりゃ言い過ぎ、考え過ぎ。」と批判する人もいるだろうけど、売り出し中の家で育つ子供が家庭の暖かさを感じ、社会とのつながりを感じられる機会が少ないことは確かでしょう。
1軒家の跡地を2軒や3軒にして売るのは当たり前になっている。建坪率をクリアすればOKですかね。
タクシーの運転手さんと話したことですが、最近は庭なんか面倒だから無くていい、が多いらしいですよ。
庭付き1戸建ての神話が崩れてきたらしい。岳さんのご両親のような、お庭を丹精されて子孫に残す親御さんは今や減ってきたのでしょう。
自分にとって、人にとって これとこれとどっちが大事な物なんだろうと考える余裕も無くなってる。「考えたってしょうがないでしょう」になってる。そして「いい生活」になってると思わされてながら、どんどん「人」じゃない「飼い馴らされた動物」になってるんと違うかな。
こういうのが結局 COP26なんかの問題に無関心でいられるようになる元なんですよ。やはり「人類は自滅」方向なんでしょうね。