先週「今母校の新校歌を覚えるので苦労してます」と書いた。本番は土曜日。あと2日しかない。

例によって「我流楽譜」を作って覚えんと努力してる。バスパートの特殊な旋律も90点は歌えるとこまできたと思う。本番で他のパートと混声した時、主旋律に引っ張られることなく、バスの旋律を歌いきれるかは大いに不安。
もっと不安はやはり詞。前にも「意味の解らんドイツ語なら覚えられるのに、日本語の詞となるとどうにも覚えが悪い。なぜか?」と疑問を書いたが、これはどうも理由があるように思えてきた。
1番、2番、3番を構成してる「単語」「文章」それぞれが情景を伴ってしまう。この「情景(意味)付き」がいいようで実は「順を追って覚える」のには不都合なものなんですわ。例えば演歌なら「泣いた女の」とくれば「笑み」にはならず、「涙」これは連想できます。ところが校歌ってやつはどの単語、文章をどう繋ぎ合わせても、ひとつの詞になるようなものばかりなんですよ。
情景を伴って覚えた「単語、文章」だけに、歌ってる最中に「あれだっけ、これだっけ?」が始まって、一つ出遅れたら、もう✖。練習の都度これの繰り返しです。
独語、伊語の詞だと何のひっかかりも無く、平板で覚えられる。「呪文」なんです。日本語はいやでも意味が伴うので、かえって混乱するんですわ。 「これ ほんと!」
そこで「カンニングペーパー」を作成しました。写真の小さいのがそれ。壇上でこれを手にしてるか、前の人の背中に針止めさせてもらおうかと考えてます。全詞は書いてません。歌われる単語を要所要所書き留めたものです。
これを作ったことで記憶が整理され、覚えが進んだようですが、まだ3番が不安定です。

例によって「我流楽譜」を作って覚えんと努力してる。バスパートの特殊な旋律も90点は歌えるとこまできたと思う。本番で他のパートと混声した時、主旋律に引っ張られることなく、バスの旋律を歌いきれるかは大いに不安。
もっと不安はやはり詞。前にも「意味の解らんドイツ語なら覚えられるのに、日本語の詞となるとどうにも覚えが悪い。なぜか?」と疑問を書いたが、これはどうも理由があるように思えてきた。
1番、2番、3番を構成してる「単語」「文章」それぞれが情景を伴ってしまう。この「情景(意味)付き」がいいようで実は「順を追って覚える」のには不都合なものなんですわ。例えば演歌なら「泣いた女の」とくれば「笑み」にはならず、「涙」これは連想できます。ところが校歌ってやつはどの単語、文章をどう繋ぎ合わせても、ひとつの詞になるようなものばかりなんですよ。
情景を伴って覚えた「単語、文章」だけに、歌ってる最中に「あれだっけ、これだっけ?」が始まって、一つ出遅れたら、もう✖。練習の都度これの繰り返しです。
独語、伊語の詞だと何のひっかかりも無く、平板で覚えられる。「呪文」なんです。日本語はいやでも意味が伴うので、かえって混乱するんですわ。 「これ ほんと!」
そこで「カンニングペーパー」を作成しました。写真の小さいのがそれ。壇上でこれを手にしてるか、前の人の背中に針止めさせてもらおうかと考えてます。全詞は書いてません。歌われる単語を要所要所書き留めたものです。
これを作ったことで記憶が整理され、覚えが進んだようですが、まだ3番が不安定です。
流そうとしていないところが、いい。その本気度がいいのだ。岳さんも、流すくらいなら、やらないタイプだろうな。大事なことだ。俺も流し続けで、生きてきたから。うーん、なかなかな画像でした。無事に頼む。
先日大和第九のおばさん達25名と懇親会をやったんです。自分も自己紹介するし、おばさん達の紹介も聞いた。解ったことは、皆さんは僕ほどに入れ込んでないということ。僕からみるとどこか中途半端に見えたけどね。歌うんならもうひとつ上のレベルで歌いたいと思わないの? 今日より明日 一歩でも進歩したいでしょう? 進歩したいと思ったら練習だろうし、覚えるための工夫だってするのが当然のように思えた。でも適当なところで「あきらめてる」のか「満足してる」のか。
で、その差は? なんだけど、 「好き」の度合い差だと思うんです。好きだから中途半端できないのよね。
でも新校歌は難しいわ。
岳さん、さかんに新校歌新校歌とおっしゃいますが私は聞いたことも見たこともありません。
今朝は時間がたっぷり、そこでユーチューブで検索しましたらヒットしましたよ。
希望ヶ丘高校校歌。
なるほどねぇ、凝った歌ですね。合唱コンクールの課題曲みたい。
パート別に録音されたものもありました。でもバスパートは見かけません。
俄か合唱団がパート別に演じるのは難しそう、岳さん難儀しますね。
学校行事の際など現役生徒はハモって唄っているんですかね?
まず、高校BLOGの表紙「今後の行事予定」の一番下に新校歌聞けるようにLINKしてありますよ。
難しそうだけど、美しい楽曲だと思いません? 僕は歌いたくなったんです。それが今回のようないきさつで、お尻に火がついて味わう気分無しの、地獄状態ってわけです。おかげでおぼえられてるってことも言えますがね。
では在校生は?というと まず今風でして歌う機会が少ない。そして歌っても全員主旋律 当然でしょうがね。「ここの高校は入学時から全校で4部パートの合唱で歌ってます」なんていうのもかっこいいけどな。
そうだ、あっちのBLOGに詞も読めるようにしておきましょうかね。
今朝、友人に待ち合わせの時刻を相談した。負担を掛けないようにしたものの、私の方での参加に対する危惧は未だあるけれど、来てくれる友人や役員女性の手前、都合を付けなければ。
去年頂いた冊子に、役員さんが「コンクールでもなければコンサートでもない、お祭りなんですよ。」と書いてあって、全くその通り、オリンピックと同じに集うことが大事なのだと思っています。
お祭りの盆踊りだって、踊りが上手な人もいれば、みんなに合わせてやっと踊っている人もいる、それで一夏の盛り上がりになっているのです。
さて、私の新校歌の学習は全体が入っている歌を流しっぱなしに聴いて、歌詞の情景を逐一思い浮かべて頭に入れました。暗算を頭にそろばんを描いて指の動きでの計算と同じです。反対に。旧校歌は、応援団の軍隊式教育で言葉だけで覚えた感がありますね。
土曜日はお祭りとして楽しみましょう。
そうです、「お祭り」でいいんです。ぼくだって気分は「お祭り」です。だから「箱根八里」はもうどうでもいい。
歌ってない、愛着ないと言っても母校の校歌ですからね。しかも「どうでもいい楽曲」なら覚える気にはなりませんが、こう素晴らしい(高校の校歌とも思えん)曲だときちんと歌いたくなるのが僕の「歌好き性格」。 となれば血の出るような努力あるのみ。
今日は朝の散歩もならず、まだ練習やってません。これから10回は歌うでしょう。特に3番を特訓。
今朝の散歩 新校歌の復唱してみた。 結論は✖だな。マイペースで復唱すると80点くらい。3番の語句が2番ででてきたり、2番のが3番で出てきたりとひどいもんだ。
そこへ伴奏と他パートの声をいれると、もうめちゃめちゃ。必死で次の語句を思い出そうとする脳の動き、出てこないままに音だけが進んでいく無惨、もうバスのメロディーを取り戻せない無情、今日は「迷惑をかけない」こと重視で新校歌に向かうわ。カンニングイペーパーをどう使うかだな。
そして、体操やった後、猫フン掃除してきました。我が家は無被害だったが、公園がひどかった。