原爆投下の責任

2023年09月22日 16時16分19秒 | いい加減な日本人
昨日21日広島市議会でこんなやり取りがあったようです。 広島の平和記念公園とハワイのパールハーバー国立記念公園の姉妹公園協定をめぐって、広島市市民局の村上局長が「原爆を投下した米国の責任の議論を現時点では棚上げして、まずは二度と核兵器使用を繰り返してはならないという市民社会の機運醸成を図っていく」と答弁されたようです。
広島市民の中には「米国の責任」をもっと強く問うべきと言う意見もまだ強くある。平岡敬 元広島市長はこの答弁に対して「けしからんことだ。核廃絶のためにはきちんと責任を追及する必要がある」とまで語ったようです。
さて みなさんはどう考えますか?
僕は外交(日本人の世界での立ち位置)という面で、今の日本、将来の日本がおそらく囚われ続けなきゃいけない問題の原点だと考えてることなので、単に広島市議会での議論として聞き流せないのです。それほど日本国民にとって「核心の話」だと思ってます。
簡単に言っちゃえば、「アメリカに謝れと言うなら、大陸に領土拡大を図って軍事力を行使した我が国の責任はどうなんですか?」と聞きたいのです。 この点については「日本国、日本国民は曖昧にしてる」と僕は見てます。総理大臣として謝罪を述べた方もいらっしゃいました。近年はそこに全く触れない傾向が強くなってます。日本は「歴史修正主義だ」と指摘もされてます。 ドイツは「私たちは間違ってた」を公言し、敗戦後の国の再興を始めましたよね。
もう一点 「核兵器で殺したんだから謝れ」は成立するのだろうか。銃や戦車なら誤らなくていいのか。今のウクライナを見ればただただ「戦争は理不尽、なんでもあり」じゃないですか。
だから逆に単純なんですよ。「武力で他国に攻め入ってたいけない。脅してもいけない。」 これだけのはずでしょう。
広島市議会での議論、結局は曖昧なまま事は進んでいくのだと思います。米国への責任追及もやってるような、やらないような。どこかにひっかり(わだかまり)を感じつつ、姉妹公園協定は結ばれるのです。そしてこれは日本の将来の「一事が万事」なんですよ。
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