表題は朝日新聞が読者に投げかけた新春最初のテーマです。いろんな角度から検証してます。
コツコツと築いてきた社会、いろんな所にひずみが出てきてる。人間社会、社会システムだけじゃない、それを取り囲む自然環境だっておかしくなってきてる。このまま放っておくと人間が生き続けられない環境になってしまうのではと警告する学者も出てきてる。
そこにコロナパンデミック。 上に書いた「ひずみ」をいやがおうにも顕在化して見せることになった。人々は気づき出した。このままでは何かおかしいぞ、まずいんじゃないか と。
今必要なのは「どういう未来にするか」の設計図だ。まさに社会のリ・デザインだ。
「みなさん、自分事として考えましょう」と問いかけてるんです。
新しい言葉、新しい絵じゃないんです。確固とした定義と、正確な設計図と、明確なロードマップを揃えた「デザイン」でなければいけないのです。
私達はそれが「まやかし」か「真のデザイン」かを見抜かないといけないのです。
コツコツと築いてきた社会、いろんな所にひずみが出てきてる。人間社会、社会システムだけじゃない、それを取り囲む自然環境だっておかしくなってきてる。このまま放っておくと人間が生き続けられない環境になってしまうのではと警告する学者も出てきてる。
そこにコロナパンデミック。 上に書いた「ひずみ」をいやがおうにも顕在化して見せることになった。人々は気づき出した。このままでは何かおかしいぞ、まずいんじゃないか と。
今必要なのは「どういう未来にするか」の設計図だ。まさに社会のリ・デザインだ。
「みなさん、自分事として考えましょう」と問いかけてるんです。
新しい言葉、新しい絵じゃないんです。確固とした定義と、正確な設計図と、明確なロードマップを揃えた「デザイン」でなければいけないのです。
私達はそれが「まやかし」か「真のデザイン」かを見抜かないといけないのです。
我が親族ながら、物事をよく考えて、彼らなりの「未来のデザイン」???を持っているのに感心した。
実は、真剣に考えていないのは自分だとわかった!
今年は、岳さんのブログの問題提起を受け止めて、世の中に微力ながらも貢献しないと、見事に取り残されるのは己だという事を肝に銘じたい。
社会人として仲間とそういう硬い話はなかなかできない風潮です。せめて親子孫でそういう話をするのは貴重です。
そして「こいつ何考えてんだ?」が消えて行って、「えっ、そんな風に考えてるのか」はいいですよね。
うちはもうちょっと先かな。まだまだ孫が小さくて、ゆっくり息子と話す時間はできません。やつはそういう話嫌いそうだし。子供が大学に行くなり、社会人になるとすることになるんでしょうね。