県の高校校歌祭で歌って来た。わが校がトップだったので最初の全体合唱「箱根八里」を壇上で歌い、さらに続けて「旧校歌」「新校歌」と3曲。
初めて挑戦した「新校歌」もどうにか迷惑を掛けない程度に歌えたのではないか。自己採点は60点。
3列のひな壇、一番端の最後列、新校歌は「口パク」になる可能性大だったので、最初っからこの位置を確保。前の人に隠してカンニングペーパーをチラチラ。おかげで詞が飛ぶことはなかった。でもメロディーが主旋律になった箇所が2つほど。まっ難しい楽曲の初挑戦でカンニングしたとはいえ、これだけついていけたら「よし」じゃないですかね。来年に続くというものです。
僕の隣で歌ってた人は今の校長でした。どの学校も校長は参加しないわけにいかんのでしょうね。校歌覚えるのに苦労してたようです。ここぞとばかりに「新校歌」に対する僕の思い
『入学時に全員パート分けし、週1回全校で4部合唱をやる。そうじゃないとこんないい歌もったいないですよ。あの高校に行けばあの合唱ができる。だから行く。そんな学生がでてきても楽しいんじゃないですか。』
を伝えたら、「今はそんな上から何かを強制するなんてないんです。」だって。
「今生徒が校歌を歌う機会ってあるんですか?」との質問には 「ないですね。」と軽く返ってきた。
在校生が4声で歌ってこないんじゃ、校歌祭への参加は増えないな。僕みたいに、歌ったことないおじさんが苦労して歌うんじゃ校歌祭にどんな意味があるんだろうか。旧校歌だけでいいんじゃないの? 昔の「寮歌祭」みたいに。
今回は特別に福島県立富岡高校の「母校で校歌を歌い隊」を招待してました。
福島県からバスで来た人が16名、それに神奈川近辺で避難生活されてる方が8名加わって24名で校歌を歌ってくれました。富岡って第一原発の第二原発の中間にある町なんですね。改めてその悲惨さを思いました。当時の校長が自分達の6年間と「・・・歌い隊」の活動について紹介されましたが、観客はみんなグッときたんじゃないですかね。いまだにこんな生活を余儀なくさせられてる人が大勢いることを忘れちゃいかんなと思いました。
初めて挑戦した「新校歌」もどうにか迷惑を掛けない程度に歌えたのではないか。自己採点は60点。
3列のひな壇、一番端の最後列、新校歌は「口パク」になる可能性大だったので、最初っからこの位置を確保。前の人に隠してカンニングペーパーをチラチラ。おかげで詞が飛ぶことはなかった。でもメロディーが主旋律になった箇所が2つほど。まっ難しい楽曲の初挑戦でカンニングしたとはいえ、これだけついていけたら「よし」じゃないですかね。来年に続くというものです。
僕の隣で歌ってた人は今の校長でした。どの学校も校長は参加しないわけにいかんのでしょうね。校歌覚えるのに苦労してたようです。ここぞとばかりに「新校歌」に対する僕の思い
『入学時に全員パート分けし、週1回全校で4部合唱をやる。そうじゃないとこんないい歌もったいないですよ。あの高校に行けばあの合唱ができる。だから行く。そんな学生がでてきても楽しいんじゃないですか。』
を伝えたら、「今はそんな上から何かを強制するなんてないんです。」だって。
「今生徒が校歌を歌う機会ってあるんですか?」との質問には 「ないですね。」と軽く返ってきた。
在校生が4声で歌ってこないんじゃ、校歌祭への参加は増えないな。僕みたいに、歌ったことないおじさんが苦労して歌うんじゃ校歌祭にどんな意味があるんだろうか。旧校歌だけでいいんじゃないの? 昔の「寮歌祭」みたいに。
今回は特別に福島県立富岡高校の「母校で校歌を歌い隊」を招待してました。

福島県からバスで来た人が16名、それに神奈川近辺で避難生活されてる方が8名加わって24名で校歌を歌ってくれました。富岡って第一原発の第二原発の中間にある町なんですね。改めてその悲惨さを思いました。当時の校長が自分達の6年間と「・・・歌い隊」の活動について紹介されましたが、観客はみんなグッときたんじゃないですかね。いまだにこんな生活を余儀なくさせられてる人が大勢いることを忘れちゃいかんなと思いました。
友人の夫君が県立商工の卒業生なので、舞台から降りて席に戻り、商工までを聴いてから、会館前にある和食チェーンサガミでご飯とざるそば天ぷらと刺身、茶碗蒸しなどを1000円で食事してから席に戻りました。
岳さんたちはジョリーパスタに言ったそうですね。いつもと違ったメンバーのランチ会もよかったと思います。
福島の皆さんのパフォーマンスには感激して泣けましたね。改めて、脱原発、脱核兵器の決意を新たにしました。
そのあとの休憩時間に女性陣が私達を探してくれて、10人で駅に戻る道すがら、デニーズでお茶でした。レモンサワーとおつまみのセット500円を注文した方もいたようですが、ノンアルコールやデザート類でかなりの盛会でした。岳さんはいなかったですね。どったの?
そうでした、吉田さんからメールもらって、ピザ食べに行きました。日高さん、佐藤さんとは今まで話すること無かったから、あんな時間も良かったかな。
富岡高校のあとは「女子会です」宣言でしたからね。こっちもお疲れ感だからまっすぐ帰りました。
これでまた一つ終わって、さて次はなんだ? 座間が始まって、フラッシュモブやってだな。
そうそう、厚木東卒で役員やってる女性が座間OPA仲間で、「やるんでしょう?」と声かけてくれた。仲間は嬉しいね。1週間後は座間だ。
福島の関係者が呼ばれたことはほんとに良かった。僕は新校歌を歌うつもりはさらさら無いのだが、岳さんがやっていることはまったく否定しない。大切なことだ。skyさんが戻って良かった。ああ、いつもの日々だ、と、安堵します。
校歌祭については本文にも書いた通りで、初挑戦で歌い、現校長から校歌の扱いの状況を聞くと、少なくとも母校については「新校歌」を歌う意義を感じないです。「これが私の青春」と思えない人が歌っても単なる紹介でしかないもんね。ただ、何度も書くけど「紹介するに値する、いい合唱曲」だとは思ってます。でもそれは「校歌祭」の趣旨とはちがうんじゃないの?
まっ僕にとっては挑戦材料だから、年々上手くなるバロメーターにしたいね。
ブログをお茶席にたとえると、岳さんがお茶を点てる亭主とすると、Kanou37さんはお正客で、いろいろ亭主をもり立ていても、次客がいないと何かと気になる、何で席に来ないのか等々のご心配、申し訳なかったです。
昨日のお茶会で、Kanou37さんと小から高まで一緒だった女性に、ボブディランばりの弾き語りの話しを為ましたら、ほお~っと言う感じでしたね。そんなことだから、36Hと37Hの仲良し女性達には語り継いでいきたいです。
校歌祭で、「岬巡り」の歌にギター伴奏がありまして、そのギターの音色がとても良かったので、あんな舞台で披露するのはさぞかし高価なものかな、なんて下世話な想像をしちゃいました。ギターもよい楽器だなあと改めて思いました。
そして校歌祭の観点から。 あれもルール違反でしょう。ルールなんてないんですが、校歌祭なんだから「岬めぐり」はないでしょう。わが校の新校歌以上に校歌祭から外れてるようにききました。あの辺を認めてると、次は何歌いだすか解らん。どの高校でも文化祭で最も熱の上がる「ストリートダンス7」みたいなのやる学校も出てくるのが心配。
そんな中で、2番手の吉田島高校の素朴さ、良かったです。応援歌の校歌祭へのアレンジも、リーダーの声も力強く、まさに青春校歌祭です。
平沼高校のカッチーニのアヴェマリアもいかがなものでしょうか。「どや、旨いだろう」のアッピールしたいでしょうが、コンサートでもコンクールでもない、校歌による新旧世代の交流の祭、これを忘れてはいけませんよね。
神奈川青春校歌祭 僕達の後輩が受け継いでく環境=神奈川県の文化にまで質を上げてないと。 それにはこの辺でもう一度定義し直したほうがいいと今回はつくづく思ったよ。
そうなのか、年老いた黄色のJバッチをつけて、黒いボタンの制服で歌っているのではないのですね。僕はどうしても、西の空高くそびゆる富士のいただきを、なのですよ。あの校庭で歌わされた歌が、懐かしく、切ないから、新しい校歌は受け付けないのです。
このブログはですね、岳さんの時には少年のような青年のような、問題意識と、ふつうはあり得ないかも知れない、初老の女性の間口の広い多彩な感性の女性のコメントで成り立っている。すごいのです。衰えが感じられない。生命力というか‥桜ヶ丘のわれらが校舎ーーーー。そうだ、絶対、校舎をやるべきだ。ではなく、校歌をやるべきだ。形を変えてはいけないのだ。なんちゃって、眠くなってきました。おしまい。