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「人災」として立ち向かうのはいつから

2022年08月05日 08時26分47秒 | つれづれなるままに
温暖化、異常気象が科学的根拠をもって語られだして20年近くになるんじゃないだろうか。
今年も一昨日、昨日 山形県、新潟県、石川県、福井県で集中豪雨が発生し、山が崩れる、家が水につかる、流される、田んぼが水浸しになる という被害が出た。
ここ5,6年はこの時期の決まった光景になってる。僕は梅雨が始まった頃に「また始まるな。どうか被災者になりませんように」と考えるのが癖になってる。近年大型化してる台風被害も含めてなんだが。毎年場所を変えて甚大な被害が発生してる。こうなると「いつどこで発生」してもおかしくない自然現象だ。「地球レベルの危機」なんだと思う。
人間はこの危機にまともに立ち向かおうとしてるのだろうか。僕にはそうは見えない。世界中の為政者はいまだに「他人事(二の次)にしてる」のではないだろうか。「危機」の規模と質が全く違うものだと捉えることが重要で、おのずと対策、アプローチも異なるはず。経験したこと無いアプローチ故にできたら触れないでいたいと願ってるのかもしれない。メディア報道にも「それは自然のしわざ」「しょうがないよね」で済ませてる部分があるように見える。
「生活様式の変更が必要」と言われてる。合理的で生き易く、欲望を満たしてきた生活様式を変えなきゃいけないんです。こんなことなかなか国民に向かって言えませんよね。
でも放っておくとジワジワと地球はむしばまれていきます。どうにか(「しょうが無いね」と変な諦め感を持ちながら)人間は対応して行くのかもしれない。でもどこかで地球はパンクし、もう元に戻れなくなります。そして「諦め」が「絶望」に変わるんじゃないですか。
「人災である」という点を重視し、正面から立ち向かう、生きてる我々にちょっと不都合な事実でも明らかにしていく。そんな謙虚さが求められてる時代なんじゃないでしょうか。
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その通り! (でん)
2022-08-05 09:04:24
中村桂子さん「老いを愛づる」より

1992年地球サミット(ブラジル・リオ)
  セヴァン・スズキ(カナダ 12歳)
「もし戦争のために使われているお金を全部、貧しさと環境問題の解決のために使えばこの地球はすばらしい星になるでしょう。」

山下清 画家 代表作に「長岡の花火」があります。
「みんなが爆弾なんかつくらないで、きれいな花火ばかりつくっていたらきっと戦争なんか起きなかったんだな」

中村桂子
「自然体で暮らせば、年をとるのも悪くない。人間も生きものだから、自然の摂理に素直になろう」
返信する
その通り。 謙虚にです。 ()
2022-08-05 09:13:40
でんさん 今日はまた暑くなった。 汗して帰り仕度。
郷里の福井がやられてる。 友人と交信してる。状況が良く解る。 やはり自分事として心配。 なのでついついこんな戯言を言いたくなる。
少なくとも我々は「謙虚」を旨として生きていきましょうよ。
文化人のすばらしい名言 勇気づけられます。
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