今朝は雲ひとつ無い、ド快晴の朝です。 外気は3℃までさがりました。 予想以上。空気がピリリッとしてて、空は真っ青、まさに秋の朝です。
この温度まで下がれば、薪点けてもいいんですよ。たぶん薪使ってる友人の大半は点けてるでしょうね。僕は今回の滞在では「使わないぞ」と決めてるとこがあるんです。 今回大和からこっちに向かう時点で「よし点けて温まろう」という心の準備をしてきて無いんです。こういう時になんか「寒くなったから」で点けるのは許せないというか、いやなんですよ。
僕の中で「薪ストーブに火を入れる」っていうのは「儀式」みたいな特別感があるんです。季節の変わり目なのかな、「これから寒い自然を楽しみます」みたいな、ちょっと「神聖な」気分で火を入れたいのです。
変な「こだわり」だなと思うんですよ。人が見れば「何考えてんの?」でしょうがね。 でもこだわりたいんですね。 ここ白州では自然の区切りなんですよ。僕には。
今日の夕方も下がるでしょう。明日朝は今日と同じくらいに冷えるはず。でもこの2回石油ストーブで頑張る。今度来る時には「よし、楽しむぞ。ヌクヌクしよう。」とそれを楽しむ心の準備をし、高揚感もって帰ってきて、神聖な気分でマッチ擦るのです。
この温度まで下がれば、薪点けてもいいんですよ。たぶん薪使ってる友人の大半は点けてるでしょうね。僕は今回の滞在では「使わないぞ」と決めてるとこがあるんです。 今回大和からこっちに向かう時点で「よし点けて温まろう」という心の準備をしてきて無いんです。こういう時になんか「寒くなったから」で点けるのは許せないというか、いやなんですよ。
僕の中で「薪ストーブに火を入れる」っていうのは「儀式」みたいな特別感があるんです。季節の変わり目なのかな、「これから寒い自然を楽しみます」みたいな、ちょっと「神聖な」気分で火を入れたいのです。
変な「こだわり」だなと思うんですよ。人が見れば「何考えてんの?」でしょうがね。 でもこだわりたいんですね。 ここ白州では自然の区切りなんですよ。僕には。
今日の夕方も下がるでしょう。明日朝は今日と同じくらいに冷えるはず。でもこの2回石油ストーブで頑張る。今度来る時には「よし、楽しむぞ。ヌクヌクしよう。」とそれを楽しむ心の準備をし、高揚感もって帰ってきて、神聖な気分でマッチ擦るのです。
京都のお坊さんの説教で「こだわりを棄てなはれ」とよく聞きますが、仏教だって精神性を重んじていますし、生きる上での色々な節目に精神性をバックにしても良いではないですか。
お坊様がおっしゃるのも解りますよ。でもそれは「度を過ぎてはいけない」ということでしょう。彼等だって「何時に起きて、なにして、これして」とわれわれ以上にこだわってるじゃないですか。
「こだわり」は人生の色であり、味なんですよ。それがなかったら、空の青さ、雲の白さ、葉の紅さ、焼いた100円メザシの美味さ 解からんで過ごすことになるんと違いますか。
…感動だわ。ささやかで目立たないが、感動、よ。
同期の人達はいっしょだな、こんな「ささやかなこだわり」に共感するんだね。そういう年齢ってことかもな。
でも増々こういうのって大事にしたいよ。先にも書いたけど、生きてる味だもんな。 こだわっていましょうや。