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3月11日に思う

2019年03月11日 20時10分35秒 | つれづれなるままに
大和から白州までの帰路、ラジオで「あれから8年目」の放送を聞きながらドライブしてきました。
「へ~」と感心したり、「そりゃないだろう」と悲しんだり。時には「そうじゃないだろう」と怒ったり。5時間いろいろ考えながらの変なドライブでした。
ほんとに思うのは「形、物は作っても、『人の営み』はそう簡単には戻らない」という事。「永々と築いてきた文化」それはそんな簡単に取り戻せるものじゃないという事。
ここは大事なことだと思うんです。『人(が生きる)の文化』ってほんとに永々と築いてきたもので、あの津波はそれを一瞬にして全てゼロにしたということなんです。どんなに形を整えてもその文化は簡単には戻らないということ。「戻ったように見せたい」勢力もあるはず、「それでいいのか?」の問いは持ってないといかんと思います。
8年経って、「無利子で貸しだされた復興支援援助金」の返済が今年始まるんだそうです。期待した、あるいは想定した復興が進まず、返済に潰ぶされそうになってる人がいるそうです。その返済が次の「震災」になりかねない。「そんなの待ってやれよ。地域の復興を考えて立ち上がった人達だよ」。それを今殺したら「何の支援金だったの」じゃないのかな。一方で「イージス・アショア」の2機導入で2000億とか3000億とか、今年度予算が今通りますよ。僕は「金の使い方 ちょっと違ってない?」と思います。防衛はそんなに緊急じゃないでしょう?
『人の文化』の話。  オルテガの「大衆の反逆」を解説した中島先生が「永遠の微調整」と「民主主義」を定義されてました。ほんとにその通りだと思います。「人民による微調整」なんですよ。「1日にして成らず」を肝に銘じないと。「民がゆっくり。じっくり社会を作っていく活動」それをしっかり支えていくことなんじゃないでしょうか。

ここまで言ったからついでに。  大阪の「維新」 やりすぎです。 「市民の微調整」しかないんです。今度のやり方は「飛び過ぎ」です。どれだけ「自分達の正しさ」を説明してきたか? 反省してもらいたい。 こんな「大阪維新」なら潰れていいと思う僕です。
コメント (2)
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