カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

扉をたたく人

2012-01-26 | 映画
扉をたたく人/トム・マッカシー監督

 最初はホラー映画かなと、ちょっとドキドキした。でもまあ、人間の巻き込まれるホラー的な状況とは言えるのかもしれない。不法入国の問題。人間の生きがい。そしてもはや保守的で自由ですらないアメリカという国の悪夢のような現実。テロの生んだ殻に閉じこもろうとする苦悩の社会を、見事に描き出したといえるだろう。
 主人公の大学教授である米国人は、妻に先立たれて失意のうちにあるのか、何か覇気のない日常を送っているようだ。最低限の仕事をこなし、それ以上のことをするつもりなんてさらさらない。しかしながらいやいやながら学会で発表しなくてはならない羽目に陥り、その出張先でもある長らく住んでもいなかったもう一つのアパートに帰るのだが…。
 音楽をやりたいという気持ちはもともと持っていたようだが、最初からピアノのハードルは高すぎたようだ。気持ちとは裏腹にまったく上達するめどが立っていなかった。そうした中、一見単純そうに見える打楽器のジャンペという太鼓との出会いが生活を一変させてしまう。ひょんなことで知り合ったジャンペ奏者との交流と、彼に降りかかる事件にも否応なしに巻き込まれていく。いや、自ら積極的にかかわりを持とうとしていく。その彼の不条理な境遇に巻き込まれていく偶然のきっかけを作ったのは、自分のせいでもあるようだ。その上自分の住んでいるアメリカという国に対する信頼感も持っていたのだろう。
 しかしながら結果的に状況はまったく改善するようには思われない。むしろやれるだけの行為が、何もかも無駄にすら思えていく。ここは人によっては、何の自由も保証しない、いや、保証しないどころか、自由を束縛して何の関心もない冷たい社会であったのだ。
 自由というのはアメリカの理想を支える重要な思想のはずである。しかし、そういう絶対的とも思える価値観でさえアメリカの社会は、ある一部の問題として放棄して無関心になってしまったようだ。もちろんそのような世論は、自意識の中には微塵もありはしないだろう。テロに対する過剰な恐怖感が、結果的に一部の人間への強烈な差別という形で露呈していく。その上で何の罪の意識すら持たないし、関心すら湧かない。国を支えていた活力であるはずのアメリカの理想を信じた多くの移民に対して、かつては自分たちの姿であったはずの人々に対して、内と外の問題として受け入れようとしない人々。積極的に排除してしまおうとする人々。無言の憎悪が、夢と希望の前に、ただ無言を強いられ泣き寝入りせざるを得ない人々を追いこもうとしていく。誰も何もできない。あるのは人間の感情とは思えない冷たい規則だけなのだ。
 激しいアクションのある映画ではないが、実際は坦々と映像が進んでいくだけなのだが、静かながら確実に衝撃的な問題作だ。まるで共産主義の国の、それも過去の出来事のようなことが、現実にアメリカ社会を覆っているということなのだろう。
 しかしながら、そのような自己反省の出来る国であるのも、実はアメリカの姿だ。だからこそ、こうした映画が作られる。流れとしては、一方的な圧力が生まれた瞬間は多くの場合問題視すらされることは無くても、徐々にではあれ、このような疑問を感じる人々が、やはり自由に生まれていける社会なのであろう。若い国アメリカと言われるが、アメリカの経験が、その後の社会に与える影響は大きい。多かれ少なかれ、僕らの教師であるのは、そういう体験的な社会であるからなのであろう。そして、そのことにおいて、やはり自由な国ということになるのかもしれない。
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