カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

兄とその妹

2012-01-25 | 映画
兄とその妹/島津保次郎監督

 戦前のモダンな生活描写の楽しい映画である。今でいうと、というかちょっと古い言い方だけど、いわゆる当時のトレンディ・ドラマという感じなのかもしれない。西洋風の食事だったり、ハイキングに行ったりなど、都市生活を満喫しながら非常におしゃれなライフスタイルを送っていることがよくわかる。そうでありながら会社の中の軋轢は、妙に日本人的な村社会というのもなかなか考えさせられる。そういうあたりが現代人の目から見ると、率直な驚きと滑稽さを感じさせられるのかもしれない。その上やはり武士道的な潔白さがあって、そこまで強がる精神性の潔さも含めて、楽しい映画体験の時間となるだろう。クライマックスのどんでん返しのテンポも見事で、娯楽作としての映画のお手本のような作品である。
 会社勤めのときは、ビシッと背広で決めているのだが、家に帰ると和服にまたビシッと着替えなおす、という感じも見所だった。服の脱ぎ捨て方が妙に乱暴で、そうして着替えのその所作は、不思議な連携を見せて見事である。夫婦というものの共同作業の美しさというようなものが感じられて、ダンスを踊っているようである。
 兄夫婦と独身の妹が同居しており、家族なのだが付かず離れずというような距離感があって、しかし同時に互いの気遣いがある。結果的にそういうお互いの思いやりのようなものに、その育ちのような理想的ともいえる気高さがあるということなのであろう。ちょっと幻想的ですらあるのだが、恋愛では生まれえない愛の形ということも言えるのではなかろうか。
 最終的に兄のとる行動は、自分自身の利己的な感情に対するうしろめたさがそうさせたようにも思った。妹が潔く兄のことを考えているのに対し、自分自身は逡巡してしまった。結果的に思わぬ誤解の根が想像以上に広がっていることに驚かされるのである。相手にぶつける怒りは、そのような自分自身に対する怒りだったのかもしれない。恥ずかしさだったのかもしれない。それは極めて日本的な美学でありながら、どこか合理的に割り切れない近代性への批判なのかもしれない。
 古い映画には違いないが、基本的には今の日本の近代批判としても十分に通用するテーマのようにも思う。繰り返すが、そのような理想主義が好ましいと思えるうちは、日本的な美学は生き続けているということなのであろう。
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